鑑古堂の古美術鑑定(1)
取り戻された恭王府の至宝

北京市西城区の前海西街に、恭王府と呼ばれる恭親王の邸宅跡があり、今も世界中から観光客が絶えない。

愛新覚羅奕訢は道光帝の6番目の男子で、咸豊帝の異母弟。生母は、孝静成皇后・博爾済吉特。清朝の12の鉄帽子王(世襲制の爵位)のひとり。恭親王の爵位を封じられた。

恭親王奕訢は古物の収集家として知られ、広大な恭王府は、数え切れないほどの宝物・珍宝、文物・書画のコレクションで溢れている。

その中で、今回紹介するのは、戦国時代の『青銅縄紋龍耳獣足方尊』である。

  古代中国の青銅器は、古くから王侯貴族が祭祀に際して、賓客をもてなすのに使用されたことで知られる。

  『縄紋龍耳獣足方尊』は青銅製で、器形は方形で、四つの脚は獣脚をかたどっている。腹は膨らみを帯び、丸みを帯びた双肩にはそれぞれ螭龍の形象をした耳がついている。胴体の部分は上から下へ縄紋の帯によって2列4段8ブロックに分割され、それぞれのブロックに、幾何学的な龍の紋様が彫刻されている。

全体は端正でしっかりとした造型でありながら、精緻で美しく、春秋戦国時代の青銅器の逸品とされる。『縄紋龍耳獣足方尊』は、もともと恭親王のコレクションで、恭王府が所蔵する数多い珍宝の中のひとつである。

清朝末期、朝政は腐敗し国力は衰退した。皇帝の6番目の男子であった恭親王奕訢は、宮廷を維持し、退却への道筋をつけるために、王府内の多くの宝物を日本の大手古美術商である山中商会に売却した。

その後、これらの宝物は山中商会の山中定次郎らの手によって分類され、ニューヨーク、ロンドン、日本の京都本部へと送られた。

『縄紋龍耳獣足方尊』は、1913年のある日、ニューヨークで開催された清朝恭王府コレクションのオークションに登場した。当時のオークション図録には、「春秋戦国時代の青銅獣足龍耳四方尊」の記録が残っている。

この逸品は1世紀近くの時を経て、2018年、再びニューヨークのオークションに出品された。当時、筆者はその情報を得ていたが、残念ながら会場には足を運んでおらず、実物を鑑定して入札・購入することはなかった。その後、そのオークション品の出どころを知り、強く悔やんだものである。

ところが、運はまだ尽きていなかった。1年後、この逸品は著名な会社の大規模オークションに再び登場したのである。天意か運命か、筆者は一度失ったチャンスを再び手にして、この宝物を落札・購入し、今では鑑古堂の宝となっている。