黄山のさらなる美しさ

 

新安江の山水画廊

フランス人を

羨ましがらせた村

 私たちは唐模村へ向かった。村に入ると、渓流がさらさらと音を立て村道に添って流れてくる。村の人は、「この水口(みなくち・水の出入り口)は村で一番のものです。徽州人は水を大切にしていて、金と同じくらいに大事にしています。どの村も水なくしては成り立ちませんので、村に水を引き入れています。この村は水の通り道というだけでなく、水が流れ出る水口で、古木が高く茂っています。渓流に歳月はないと言いますが、土手の古木に春や秋があります」と話してくれた。

 さらに、ムカデ橋を横切り、風水亭を迂回して行くと、高くて大きな牌坊(鳥居形の門)が立っている。振り返って遠くを眺めると、黒石の石畳が道一面に敷かれた村道がくねくねと遠くまで延びている。

往時を思いやると――浅い春の小雨の中を13~14歳の徽州の少年が春の季節に、家の人に別れを告げて、この黒石の石畳の道を踏みしめ、一足ごとに三回振り返りながら、異郷で暮らしを立てるために大山から出ていったのだろう。黒髪が白髪になるまで苦労し、功成り名遂げ晴れて故郷に戻ってくる――。

この情景はすでに古徽州のスタイルとなっているものだ。だからこそ、ここの古民家・古牌坊・古祠堂が今に至っても後人の賛嘆と敬慕を引き付けているのである。

唐模村では、私たちは合肥の師範大学から来たグループを見かけた。彼らは白壁と黒瓦の古民家、水街の長い回廊、青々した木々に向かい合って、画板を立てていた。

午後になると、お椀を抱えて徽州名物を味わっていた。豆腐脳(プルプルの柔らかい豆腐)を食べていた女子学生はニコニコと笑顔を振りまいて、「アフタヌーン・ティーですよ」と楽しげに声を上げた。

 それから、中国とフランスの共同経営による民宿に入った。全体は古い造りのままで、太い梁と細い柱がある徽州様式だが、仕切られて四つの部屋とバーがある。いかにも快適でロマンチックだ。このような共同経営の民宿が村には何軒かあった。

2010年6月、フランスの元首相ジャン=ピエール・ラファラン氏が仏中友好代表団の一行を率いて唐模村に来た時、次のような題詞を書かれた。

「中国の唐模村――世界で最も美しい村の一つ。好きになるのは同じ方向を眺めているからだ。つまり中仏両国が見つめる方向は、調和の取れた世界の建設なのだ」

 

石潭村の満開の菜の花(劉士斌・撮影)

黄山の美しさを絶えず発見

 石潭村は歙県霞坑鎮の古く貧しい山村の一つだ。20年前、桃の花、梨の花、菜の花が盛りの季節に浙江省の写真家・劉士斌さんは、この世間と隔絶された地に、同じく写真家の陳潔さんに連れて来られた。

この時から、劉士斌さんと石潭は切っても切れない縁になった。

「当時、私が初めてここに来た時、大山の風情に引き付けられました。明け方、山道を登って行き、丘の上に立つと、脚下に雲海が沸き起こり、雲と霧が流れ、徽派の建築物が見え隠れする。桃の花や梨の花が咲き競って、鳥は鳴き花が香り、群生する菜の花がそれを引き立てて、本当にうっとりするようでした。雨の季節になると、山の村が霧雨の中に漂って、まるで蜃気楼のようです」

この20年間、劉士斌さんはカメラでその美しい景色をとらえてきた。石潭は山深いところにあるので、私たちがまだ知らない美しさが少しずつ出現している。石潭を大山から全国へ、そして世界へ発信させよう!

 現在、毎年20万人以上の観光客や写真好きな人が石潭にやってきて、観光をし、写真を撮り、石潭の人が植えた菜の花やヒマワリなどの美しい風景を満喫している。

 黄山市文聯(中華全国文学芸術界聯合会)の呉順輝副主席は、「黄山では、写真撮影や写生などのカルチャー観光にたいへん力を入れています。また、撮影産業と芸術経済の戦略的政策を展開し、山水・文化・生態資源を統合した撮影百佳ポイントの作成を推し進めています。ですから、石潭村の撮影観光は日増しに増えています」と話してくれた。

 

黄山ブランドを打ち出す

 美しさが大いなる観光資源、この黄山の美しさが前代未聞の創造力をほとばしらせる。

黄山の仙都峰にある渓谷は、落差が大きく、滝の一つ一つ、深い淵の一つ一つにも奇形を作り、深い淵はまるで翡翠の緑色にも見え、また海のような青色をたたえ、また瑪瑙のような赤色になり、また赤銅のようなオレンジ色にもなり、まるで天上の仙境のようだ。

ここは1987年に発見された観光スポットで、今や奇松・怪石・雲海・温泉と並び称される黄山の五大絶景である。実際は、黄山の渓谷の褶曲やうねうねと続く新安江には、翡翠の谷と同じように人を夢中にさせる風景がたくさんあり、徽商の故郷である黄山として、西?・宏村・唐模などに続くさらに多くの徽州文化の宝庫がその発掘を待っている。

 上海の投資家・蔡平さんは、もともとは黄山の景観と茶葉に興味をもっていたのだが、黄山香茗ホテル有限公司の理事長として、2009年に大型マルチメディア・ミュージカル『徽韵』を主宰し、現在まで香茗劇院において800回連続で公演している。

蔡平さんは語る。「5月には、黄山観光のプロジェクトを始動させるつもりです。泥人形と木彫りの人形を用いて120人の徽州の有名人と徽州の『清明上河図』を展示する計画です。同時に4D映画『黄山を越えて』を出し、黄山の四季・風光・自然のガイド一覧を作ります。観光と文化を合わせれば、黄山観光はますます期待が持てるものになります」と。

 1979年に、鄧小平は徒歩で黄山に登り、「黄山ブランドを打ち出そう」という呼びかけをしたことから、中国の現代の観光旅行が始まった。その後30年以上にわたり、黄山は国際的に名高い観光都市として発展し続けている。