黄河の清い水
――青海省の黄河大峡谷を訪ねて

 2011年10月末、ちょうど北京人が香山に紅葉を見に行く季節に、私たちは招かれて清い黄河の水を見に青海へ向かった。

 

天下の黄河、貴徳の水は青し

 濃霧のため、午前11時すぎのフライトだが、午後5時にようやく飛び立ち、夜の9時に貴徳に着いた。貴徳は青海省の省都・西寧市の南にあり、青海省海南チベット族自治州に位置している。

 翌日の朝食後に町を出て、森を抜けると河が見えた。すると運転手の東貝さんが「これが黄河ですよ」と言った。

 朝日に照らされて、北の谷間から勢いよく流れてくる清流、目の前で弧を描いて東に流れていく。水は澄み、私の故郷の嘉陵江の流れのように、涼しく感じられる。河辺にいき、手を伸ばして水をすくうと、水の音が耳に心地よい。

 これが黄河なのか。「太陽が西から昇らなければ、黄河の水は清くならない」と人々がいう、あの勢いよく流れる黄河なのか。「天下の黄河、貴徳の流れは青し」。青蔵高原の雪山と草原から細々と流れて集まる源の水は清らかだ。河の対岸の樹木は皮が金色に輝き、鮮やかな赤い色は、北京の香山の紅葉のようだ。この湖畔に大きな木製の水車がある。秋の水、青い空、紅葉した木、砂州、遠くの雪山、まるで美しい一幅の風景画のようだ。

 東貝さんが指さして言った。河畔のこの白い彫刻は「黄河の少女」と呼ばれていて、黄河(の少女)は青蔵高原から流れ出て、黄土高原に入り「黄河の母」となると。話し終わると、このチベット族の青年はヘッヘと笑い出した。赤茶けた顔は誇りに満ちていた。その顔を見て私たちも笑みがこぼれた。毎年百万人近い観光客が訪れる夏の貴徳では、ホテルや旅館は満室ですよ、と東貝さんが教えてくれた。

 

高峡に平湖が現れる

 車は「黄河の少女」を横に見ながら源流を遡っていく。日がそそぎ、涼風が吹き、道中のドロヤナギや柳の枝が舞っている。羊の群れや牛の群れが走り過ぎていく車を無視し、ゆっくり歩いている。両端の黄土の尾根は、風雨を経て彫り刻まれた古城や鍾乳石に似て、まるで濃い色彩の油絵のようで、典型的な丹霞の風景だ。

 突然、目の前が開け、そこには大きな「鏡」をはめ込んだような、かの有名な龍羊峡ダムが現れた。

 龍羊峡ダムは黄河上流に位置する初の大型階段式発電所で、黄河の「龍頭」発電所と呼ばれている。堤防の高さは178m、面積は383?、容量は247億?の大型ダムである。1976年に工事着工し1986年に完成した。総発電量は128万kWで強力な電流が西寧、蘭州、西安へと送られ、チャダム盆地、河西回廊に送り込まれる。

 「高峡に平湖出現」、これは「黄河の少女」の処女作だろうか。車を止めて眺めると様々な思いが浮かぶ。龍羊峡鎮がチラホラと見える。湖畔の漁舟が見えつ隠れつしている。ダム建設に関わった人々は、今どこにいるのだろう。青空だけは知っている。龍羊峡ダムは中国の誇りだ。チベット高原に光をもたらした。自家用車でのドライブは龍羊峡で一休みして、山紫水明の景色を眺め、魚やエビを味わって、青海湖へ向かうのが最良のコースだ。

 

小三峡の探検

 昼食を終えると、ジープに乗り換えて、新しくつくられたデコボコの山道を100kmほど走り羊曲峡に到着した。山の上の道路端に立って見下ろすと、なんと険しい渓谷か。河はとうとうと流れて水の音が響く。「気をつけてくださいよ。400m以上の高さですから」と運転手に注意された。

 偉大な黄河よ、静かに峡谷の中をくねくねと流れていく。

 一羽のオオタカが頭上を舞って対岸の峡谷の上空を旋回している

 広々とした青蔵高原、険しい大渓谷、人跡稀な山奥で、「深閨の娘は人に知られず」。遠くに出かけて「黄河の少女」を目にできるのは幸福なことだ。

 海南チベット族自治州境内の、黄河大峡谷区は400km以上の長さをもつ。名のある渓谷は10以上ある。連なる石羊峡、野狐峡、拉干峡は険しく、黄河上流の小三峡と呼ばれている。中でも野狐峡は、狭い所は野狐が飛び越えられるほどしかないので、この名前がついたという。

地元の人の話では、最近外国人がチベット、青海を好んで観光に来るのは、原始の風景、地元の風土や人情、自然の景色を見たいからであり、人口的な景観や新しく造られた名所には興味がないという。

今年の夏、青海の旅行者はとくに多かった。この夏、南方は暑かったが、青藏高原は涼しくて、観光と避暑を兼ねることができた。それにしても、原始の高原は雄大な風景だ。

 中国科学院地理科学・資源研究所のある研究グループは、青海省の黄河大峡谷観光資源の調査を行っている。グループの鐘博士とその学生たちは、研究成果を地元政府と観光部門と協働で検討している。それが自然を守るための開発で、科学的で調和のとれた開発であることを望む。「黄河の少女」の“青春”を守り、中華民族の最後の“処女地”を守ってほしいと強く願っている。