木内 敏之 木内酒造株式会社代表取締役
ジャパニーズウイスキーの可能性を拓く

中国では現在、日本のウイスキー人気が高まっている。2016年、200年の歴史を誇る老舗酒造会社の木内酒造株式会社は、風光明媚な筑波山の麓、茨城県石岡市八郷地区にウイスキー蒸溜所を建設し、ウイスキー事業に本格参入した。先ごろ、同社八郷蒸溜所を訪ね、木内敏之代表取締役に、ウイスキー造りの魅力、ウイスキー事業における社会貢献、そして中国市場進出への思いなどについて伺った。

地域の特産を生かした
必然的なウイスキー造り

―― 御社は、200年の歴史を誇る老舗酒造です。2016年から本格的にウイスキー事業に取り組まれています。なぜウイスキー造りを始めたのですか。

木内 当社は江戸時代後期1823 年の創業以来、時代に流されることなく品質本位の醸造を心がけ、酒造りの文化を大切にしてきました。そうした中、1996年に常陸野ネストビールをつくり出しました。現在、世界50カ国以上で愛飲されています。

ビール造りにおいては、海外ビールの模倣はせず、日本ならではのクラフトビールを追求しました。実は、茨城県は昭和43年頃には麦の生産高が日本一だったんです。ビール事業を始めるにあたり、地元常陸野で麦を栽培し使うことを決めました。

常陸野ネストビールを造る中で、日本の幻のビール麦「金子ゴールデン」をここ常陸野の地で復活させたのも、生粋のジャパニーズエールを造りたいという思いからです。

もともとお酒というのは、穀物から生まれています。お米が余れば日本酒を造ったり、ブドウが余ればワインを造るのと同じように、この地域は麦がたくさん獲れるので、ビールを造り、ウイスキーを造るというのは、必然的な考え方でもありました。

日本では、地元のものを食べよう、飲もうという動きがあります。20年ほど前に、地方の小さな醸造所で作るクラフトビールのムーブメントが起きました。その後、地ウイスキーのブームが到来しました。

当社が追及しているのは、日本らしさであり、常陸野らしさです。

ですから、常陸野の麦を使って、地域色を前面に出したウイスキーを造ろうと考え、2016年から茨城県那珂市にあるビール工場(額田醸造所)の一角で醸造・蒸溜をはじめ、その後、風光明媚な筑波山の麓、石岡市八郷地区に蒸溜所を建設し、ジャパニーズクラフトウイスキーの事業に本格的に参入することになりました。

独自のジャパニーズ
ウイスキーを造りたい

―― 2019 年4月、本格ハイボール「常陸野ハイボール」が誕生しました。御社のウイスキーの特徴と強みは何ですか。

木内 当社は日本酒のほかに、ビールを造っている会社でもありますので、炭酸を使ったお酒を造るのは得意とするところです。それで造ったのが、「常陸野ハイボール」です。特徴は洋ナシのような香りが際立つ、フルーティーなハイボールです。

ウイスキーを炭酸で割って飲むハイボールは、もともとはアメリカで飲まれるようになったお酒ですが、日本人がこうした飲み方の文化を定着させたといっても過言ではないでしょう。日本の暑い気候には、炭酸の入ったものが一番飲みやすく、ハイボールはすでに30年前、40年前の早い時期からありました。

当社はこれまで日本酒、ビール、焼酎、ワインなど、さまざまな酒を造ってきたものの、ウイスキー造りは初めてのことでした。

ビールと同様に、蒸溜設計を本場の海外メーカーに任せず、自社の技師が自らシステムを設計し、ウイスキーづくりに必要な設備は、世界中のメーカーから選び抜き、組み合わせました。

これは、ウイスキーの本場の国のスタイルで固定化されたものではなく、ウイスキー造りのあらゆる可能性を追求し、ジャパニーズウイスキーとして特徴のある木内酒造独自の一杯を生み出そうという試みです。

地元の観光・農業活性化に
地域一体で取り組む

―― ここ八郷蒸溜所は、以前は公民館だったと聞いています。なぜこの場所を選んだのですか。八郷蒸溜所の特徴と今後の展開、そして地域活性化など、社会貢献についてどう考えていますか。

木内 当社のビール工場は、ここから車で1時間くらいのところにあるのですが、やはりビール工場は平地で交通至便の場所が適しています。

一方、ウイスキー工場はロマンが感じられるような場所がいいと考え、茨城県内をいろいろと探しました。ここの工場からは風光明媚な筑波山が見えるんです。やっぱり景色は大事です。そして、造りもすごくしっかりしている公民館だった建物を改装しました。

地域活性化の観点で言えば、地元の麦を使うこと、まずこれが一番です。それから観光の拠点として、一般の方々にここを開放する予定です。今ちょうど工事中ですが、ここに地域の観光拠点を設けて、お客さんに見ていただきます。

それから、八郷蒸溜所のある地域は、豚をたくさん飼育しているエリアなんですが、当社でビールを造った麦芽のカスなどを豚のエサとして使っていただき、その豚から生ハムとソーセージをつくる工場をつくります。

すなわち、地元の農家と連携し、地域一体となった農畜産物の販売を行い、地域農業の活性化と地産地消に資する取り組みが今年の10月から始まる予定です。

大きな市場である
中国でも販売したい

―― 中国では富裕層を中心に、日本のウイスキー人気が高まっています。中国のウイスキー市場をどのように見ていますか。

木内 かつて、日本の高度経済成長期のころは、最初ワインが人気でした。そのころ、日本のウイスキーはあまりおいしくなかったので、ヨーロッパ産のものが好まれていました。ですが今は、日本のウイスキーがおいしいので、世界中で人気が高まっており、これからウイスキーバブルが起きると密かに思っています。

そうした中、中国で当社のウイスキーを販売したいというオファーをたくさんいただいています。しかし、東北から関東、中部地方などの10都県が、東日本大震災における放射能汚染地域という指定を受けており、日本から輸出される食品等に関する輸入規制があるため、中国などの海外に商品を送れないのが大変残念です。

この規制が緩和されれば、当社としては、大変大きな市場である中国でどんどん販売したいと考えています。また、中国の方に八郷蒸溜所へたくさん来ていただけるような準備にも取り掛かっています。

 

―― 社長にとってウイスキーの魅力とは何ですか。

木内 一つは、ウイスキー事業を通じて、地域とともに歩めるということです。ここでは麦がたくさん収穫できるので、地元地域の農産物を使ってウイスキーを造れるというのは、つくり手として確かな魅力を感じています。

それから、ウイスキー自体の魅力についてですが、ウイスキーには香りを何も足していないにもかかわらず、発酵と蒸留と熟成を経て、いろんなフレーバーが出るわけです。これは神秘的な仕事だと感じています。

実は新婚旅行がウイスキーの本場と言われるスコットランドだったんです。今から35年前になりますが、その頃からウイスキーに魅せられ、思い出とともに今でも大好きなんです。