盛中国――旅先でバイオリンを収集

盛中国は1941年生、中国が盛大になる願いをこめて父に名付けられた。『中国のメニューイン』と評価された著名なバイオリニスト。毎年国内外で何百というコンサートやリサイタルを行っている中国クラシック音楽界のスター的存在。

1987年から毎年のように日本でコンサートを行い、出演料の一部を世界各国の留学生基金に寄付し、日本政府から『文化大使』称号を授けられた。さらに、中日文化交流での貢献に対し、1999年に日本政府から外務大臣賞を受賞している。夫人は日本人ピアニストの瀬田裕子さん。

 

◆盛中国(口述) 王振輝(整理、写真提供)

私は旅行好きです。まるで世界中を回っているような気分となり、楽しいからです。どんな所へ行ってもいつもバーやコンサートホール、図書館、ミュージアム、骨董市場などあちこち歩き回り、気に入ったものを手にしています。我が家の壁には日本画もあれば中国画もかかっています。どれも数百年を下らない時代もので、見ていると心が豊かになります。

旅先で収集することも好きです。書や絵画、時計などの骨董以外に、50本以上のバイオリンを集めました。そのうちの10本は古代イタリアで製作されたものです。どれもすばらしい物語や伝説に彩られ、はるか遠い底知れぬ謎を秘めています。

1996年、私は中国の国家旅遊局と鉄道部が主催した「東方急行列車の旅」に招待され、豪華な列車で北京を出発しウルムチまで行きました。全行程1週間の旅でした。同乗した外国人旅行客は1人5000ドル支払いました。その旅では麦積山、莫高窟、新疆のカレ―ズなど世界文化の宝庫を見て回り、とても印象深かったです。

新疆では、ぶどう棚の下にベッドを置いたのを思い出します。氷山の雪解け水が用水路を伝ってベッドの下を流れ、喉が渇けば澄んだ水が飲め、お腹がすけば手を延ばして葡萄が摘め、傍には羊の串焼きやナンがあり、時間があれば琴を弾き歌いました。本当に人の羨むような体験でしたが、それほどお金がかかりませんでした。

 ある道沿いに長さ1000メートルにも及ぶ果物の露店が出ていました。ところが驚いたことに果物の上にはハエがいっぱい集っていたのです。よそから来た人が不衛生だと嫌がっても、地元の人は、ここのハエはみな果物を食べて成長したので少しも汚くないと言って、お客に食べるようにと勧めます。私と同じ車の外国人客が試しに食べてみましたが、食べた後でお腹が痛くなったりしませんでした。火焔山では地元の人に言われたように卵を砂の中に埋め、その上に番号を付けました。卵は我々が景勝地から戻ってくる頃には、ちゃんと煮えていました。

 日本の温泉文化にも深い印象を受けました。日本では温泉文化は単なる入浴ではなく、自然と人間が合体した一つの文化です。特に雨が降っている日に温泉に行くと、外は雨が降って、下からは蒸気が湧きあがり、とても刺激的で気持ちもよく最高です。

何も特別な名目がない旅でも、旅はみな私たちの視野を広げ生活のクオリティーを高め、仕事や生活に大いにプラスになるものだと思います。