~「日本のデジタル社会へ向けての課題と展望」その2~
平成の失われた30年とは?②
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー代表取締役会長兼社長CEO 一般財団法人インターネット協会理事長


図1.日本の1965年以降の食料自給率の推移

前回、平成日本の「失われた30年」とは、「デジタル化の遅れ」と、これを助長した「一極集中」(首都圏と大企業への集中)にあることを述べた。今回は、その中で、「首都圏一極集中」という課題とその対極的な現象としての「地域経済の衰退」について述べる。現在、首都圏に日本の3分の1の人口と経済活動の約半分が集中している。これは、37万km2の大半の国土を活かしていないことを意味しており、前安倍政権のキャッチフレーズに「一億総活躍社会」があったが、これは、現在が「一億非活躍社会」であることを物語っている。

現代史を紐解くと、第二次大戦による敗戦後、日本は、工業化の道を選択し、農業を犠牲にして工業化を図った。すなわち、農地を工場に転換したのである。このことは、食料自給率の低下を意味し、実際、カロリーベースの食料自給率は、1960年の80%から2000年の40%まで、40 年で半減している(図1)。「農業社会」から「工業社会」、そして「情報社会」へと、産業構造の変化と共に、急速に社会は変化した。しかし、日本における「情報社会への進化は、デジタル化を伴わない産業構造の変化」であったと言える。デジタル化した国家のGDPは、この30年間で大きく伸長したが、日本のGDPは、ほとんど変化していない。1960年の第1次/第2次/第3次産業別就業人口の割合は、32.7%/ 29.1%/ 38.20%だったが、1995年には、6.0%/ 31.8%/ 62.2%へと変化し、2010年には、4.2%/ 25.2%/ 70.6%へと急速に変化した(図2)。


図2.日本の産業別就労人口の推移

「工業社会」から「情報社会」への移行による産業構造の変化に伴い、現代日本の就業人口の割合は、70%以上を第3次産業が占め、約25%を製造業が占め、第1次産業が4%程度にある。しかし、かつて農地から工場への転換で繁栄した日本の地域経済は、平成年間に失速したのである。すなわち、産業構造の急激な変化と共に、円高、ドル安が進み、日本の大企業を頂点とするピラミッド型の製造業では、日本の工場を海外移転する動きが加速した。また、かつて輸出産業を牽引した家電、半導体、通信機は一気に減速し、現在、国際競争力を維持しているのは自動車産業と素材産業だけである。しかも、これらの産業の多くの工場が、海外移転したために、大企業の下請け構造に組み込まれてきた製造業に属する中小企業の衰退も加速した。この結果、特に地方での高度知的人材の雇用が減少し、平成年間には、首都圏への人口流出が続いた。

以上に述べたように、日本の地域経済の衰退の根本原因は、「工業社会」から「情報社会」への移行に適合する「工業」に代わる「産業創出」が出来ていないことにある。

 

 

プロフィール

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社イターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI 大学院大学学長(4月から)、東京大学大学院数理科学研究科連携客員教授。