日本のノーベル賞科学技術について(その17)~下村脩博士~
~米東海岸から西海岸19年間かけて85万匹のオワンクラゲを家族で採集~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

 2008年下村脩氏(米ボストン大学医学校名誉教授)、マーチン・チャルフィー氏(米コロンビア大学教授)、ロジャー・チャン氏(米カリフォルニア大学サンディエゴ校教授)にノーベル化学賞が授与されました。受賞理由は、「緑色蛍光タンパク質(GFP;Green Fluorescent Protein)の発見と開発」です。

下村博士は、北米西海岸沿岸を海流に乗って漂うオワンクラゲから、最初にGFP を単離し、紫外光を当てると、このタンパクが明るい緑色に輝くことを発見。チャルフィー博士は、さまざまな生物学的現象に対する発光タグとしてのGFP の価値を実証し、線形動物、透明な線虫の6個の個別の細胞をGFP を使うことで着色。チャン博士は、GFP の蛍光発光メカニズムの全般的理解に貢献し、色のパレットを緑以外にも広げ、種々のたんぱく質や細胞に違った着色を実現。この結果、多くの科学者が、いくつかの異なった生物学的過程を同時に追跡することができるようになったのですが、この下村博士の業績は、社会への波及性という観点からは、特に医学への多大な貢献があり、正に歴史的研究といえます。

地味ですが、信念の人であり、誤った研究成果を安易に発表した論文に対して、相手が権威者であっても真理のために反論の研究論文を発表しつづけた下村博士の研究人生が著書『クラゲに学ぶ』(2010年長崎文献社刊)に綴られています。オワンクラゲから採集できるGFPはせいぜい1か月で30mgだそうですが、1回の実験には100mg必要で、数か月も毎年、家族総出でワシントン州フライデーハーバーまでクラゲ採りを行ったとのことです。その他、発光生物を世界中追い求めたのです(ニュージーランドの淡水貝ラチア、スコトオランドのオキアミ、ロスのツバサゴカイ等)。

1988年までで、オワンクラゲ採集は終了したとのことですが、1989年のアラスカ沖でのエクソンモービルのタンカー座礁以来、オワンクラゲは、ほとんど絶滅したそうで、下村博士の19年にわたる採集が数年でも遅れていたら、GFPを人類は、発見できなかったのかもしれません。今では、GFPの構造が明らかになったために、人工的に合成することもできるようになったのですが、科学と技術とは、常に「自然に学ぶ」というのが、下村博士の信念です。

下村博士の以下の言葉には、重みがあります。「これまでのノーベル賞受賞者は、旧帝国大学の出身がほとんどだが、いい学校に行かなかったから良い研究ができないという考え方はやめるべきだ。」「アメリカ合衆国に居住しているが、研究費がないから研究ができないという考えは改めるべきだ」「自分のすべての研究は、3人の恩師〔安永峻五教授(1911-1959)長崎大学:薬学から化学へ専攻変更、平田義正教授(1915-2000)名古屋大学:ウミホタルのルシフェリンの結晶化、フランク・ジョンソン教授(1908-1990)プリンストン大学:オワンクラゲの採集〕に導かれて生まれてきた」・・・。

 藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。