日本のノーベル賞科学技術について(その7) ~白川英樹博士~
~バブル崩壊後の新時代を拓く13年ぶり科学分野 2000年ノーベル化学賞~ ~世界で初めてプラスチックとゴムに電気を通した日本人!~ ~京大・東大出身以外で日本人初のノーベル賞受賞で大学の新世紀へ!~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

バブル崩壊の傷が少しずつ癒えつつあった、2000年10月18日深夜、13年ぶりに科学分野での日本人ノーベル賞受賞のビッグニュースが入ってきました。白川英樹博士の「導電性高分子の発見と開発」(米国での共同研究者であるアラン・マクダイアミッド氏とアラン・ヒーガー氏との共同受賞)でした。白川博士の研究は、1966年東京工業大学化学工学専攻科博士課程を修了し、池田朔次(さくじ)教授の講座の助手となり、ポリアセチレンの重合の研究から始まりました。1967年秋、韓国原子力研究所から研究員として来ていた邊衡直氏がポリアセチレンと呼ぶプラスチックの重合をしたいと希望し、合成法のレシピを渡したところ、触媒の濃度をm(ミリ)の文字に気づかず1000倍にするという失敗をし、黒い粉末ではなく、ビーカーの溶液表面にボロボロの銀色の膜ができました。その膜の正体を調べると、ポリアセチレンの薄膜であることがわかり、触媒の濃度を濃くすべきだと白川博士は考えました。

白川博士はこの銀色の膜に注目し、なぜこのような物質ができたのかを注意深く検討し、後に「白川法」とよばれる、ポリアセチレン・フィルムの作成法を発見します。特に、ポリアセチレンの電気的性質に着目し、測定してみると、外見こそ金属のようでしたが、電気を通しませんでした。その後、転機となったのは、アラン・マクダイアミッド博士との出会いでした。1975年、東京工業大学に講演に訪れた博士は、金属光沢のプラスチックを見たいということになり、輝くプラスチックのフィルムを見て、銀色に光るのは、金属に近い性質を反映していると感じたそうです。

マクダイアミッド博士は、即座に、共同研究を提案、白川博士は、アメリカに滞在、マクダイアミッド博士とアラン・ヒーガー博士の3人で共同研究を開始しました。1976年11月23日、ポリアセチレンに少しの不純物を加えることで電気が通ることを示す針が壊れそうなほどに動き、電気が通るプラスチックが完成したのでした。この時の不純物は、臭素でしたが、後にヨウ素を加えるとさらに電気が通ったのでした。1977年、アメリカのニューヨークで開かれた科学アカデミーで、3人はこの導電性プラスチックを発表し、「プラスチックは電気を通さない」という当時の常識を覆し、ほんの少しの不純物(ヨウ素)を加えると、流れるはずのない電気が流れ、電球が点灯し、発表を見ていた研究者たちは、驚きを隠せず、その後、多くの企業家や研究者が関心を示し、大成功を収めたのでした。(つづく)

藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。