『日本のノーベル賞科学技術について(その6) ~利根川進博士~』
~化学から「分子生物学」に挑戦、1987年日本初のノーベル医学生理学賞~~北里柴三郎博士の「抗体」発見から100年後「免疫」機構を解明した日本人!~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

1984年久々に京大理学部の同級生で、化学専攻のエースの1人、大須賀篤弘君に会った時に、「近いうちに理学部化学専攻の先輩がノーベル賞を受賞すると思うよ」と言いました。誰?と聞くと、大須賀君は、利根川進博士だと答えました。それから、約3年後、私は、日立から当時ベンチャーの雄だった(株)アスキーへ転職し、政府出資の官民共同のデジタル動画像の研究会社の責任者として動画情報圧縮技術の研究プロジェクトに参画したところでした。人生の転機を迎え、自らの研究成果を国際標準化会議へ提案するという新たな挑戦を始めたさなかの1987年10月12日にビッグニュースが飛び込んで来ました。ノーベル医学生理学賞に利根川進博士が受賞するというものでした。大須賀君の予測を聞いてから3年後のことでした。物理、化学だけでなく、医学生理学分野での日本の初受賞にこみ上げてくる嬉しさと、日本も世界へ向けて勝負できると自分自身のテーマへの大きな励みとなりました。

あれから、27年後の2014年11月21日にスウェーデン大使館でお会いすることができ、色々とお話させて頂きました。私は、2015年5月カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)のフェローとして約3週間滞在しましたが、利根川博士が京大理学部の後、UCSDの博士課程へ進まれたことを知り、とても強い親近感を持ちました。利根川博士の研究は、当時から百年前の北里柴三郎博士の発見が生んだ謎から始まりました。北里柴三郎博士は、1889年に、不可能といわれた破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功、さらに破傷風菌の毒素を無力化する「抗体」を発見、血清療法を確立しました。また、抗体はジフテリアをはじめ、いろいろな感染症の治療に応用できる多様性を持つことも見つけました。

人体には、さまざまな細菌やウイルスなどの異物が侵入し、これに対して、血液成分の1つリンパ球のB細胞は、細菌やウイルスに対する抗体を作ります。すると同じ異物が再侵入しても、簡単に撃退できるようになります。この仕組みを「免疫」と呼んでいます。どんな異物が侵入しても、B細胞はそれに応じた抗体を作ることができ、その種類は100億以上もあります。しかし、この「抗体多様性の謎」は、北里博士の発見以来の謎でした。

スイスのバーゼル免疫研究所に来て約5年後の1976年、利根川博士は、米国のシンポジウムに招待され、抗体多様性に関する大発見に関する発表を行いました。「遺伝子が変化する。遺伝子情報はDNAに書き込まれており、一生その形は変わらないため、指紋のようにその人を特定する決め手になる。しかし、B細胞だけは自らの抗体遺伝子を自在に組み替えて、無数の異物に対応する無数の抗体を作ることができる」ことを証明したのでした。この発表内容が決め手となり1987年にノーベル賞受賞が決まった時、先輩研究者から届いた一通の祝電は「北里が始めたことを、君が完結させた」・・・というものでした。

藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。