日本のノーベル賞科学技術について(その5) ~福井謙一博士~
~フロンティア精神溢れる「フロンティア軌道理論」で1981年日本初のノーベル化学賞~ ~全ての化学反応の仕組みを説明する理論を初めて導いた日本人!~ ~「化学」を「現象論」から「理論」へと転化させた画期的な仕事人!~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO


福井謙一博士

1981年10月18日深夜、4人目の日本人ノーベル賞受賞の大ニュースが流れて来ました。この頃は私自身、社会に出たての若いころで、スペシャリストかジェネラリストを目指すか迷った時、博士号を取得するが、T字型人間を目指そうと思ったことがありました。福井博士が、学生たちに言い続けた言葉とは、「基礎を勉強しなさい。でも専門外に思える分野でもつながっていく可能性がある。Iという字の形のように自分の専門だけを深く追求するより、Tという字の形のように間口が広く、しかも特定分野について奥行きの深い、『T字型人間』になりなさい」というものでした。

福井博士は、1952年フロンティア軌道理論(フロンティア軌道〔軌道の密度や位相によって分子の反応性が支配されていることを解明!〕)を発表しました。この業績により、1981年にノーベル化学賞を受賞しました。

化学反応論には、「求核剤」(電子密度が低い原子〔主に炭素〕に反応し、多くの場合結合を作る化学種)と「求電子剤」なる化学物質の規定が前提となり、従来の「有機電子論(化学結合の性質および反応機構を、電荷の静電相互作用と原子を構成する価電子から説明する理論)」では、電子密度が高い部分、求電子剤では電子密度が低い部分が反応点と考えられ、全ての占有軌道が反応に関与しているということになっていましたが、福井博士の定量的な「フロンティア軌道理論」によれば、「求核剤」では基底状態において電子によって占有されている分子軌道のうち最高エネルギー軌道の最高確率密度部分が、「求電子剤」では電子によって占有されていない分子軌道のうち最低エネルギー軌道の最高確率密度部分が反応点となります。従って、最高被占軌道と最低空軌道を合わせてフロンティア軌道といい、反応するのはフロンティア軌道だけであるとするのが「フロンティア軌道理論」です。

以上のように、福井博士は、世界の誰も考えなかったこと(複雑な化学反応を理論物理で説明)を思いつきました。それは、少年時代の恵まれた知的教育環境が大きく影響しているようです。福井博士は、工場経営、外国貿易を行う福井亮吉氏の三人兄弟の長男として1918年に生まれ、少年時代を大阪府西成郡玉出町で過ごしました。そこで、夏休みや春休みには自然に囲まれた生家や若狭湾海水浴に連れて行かれ、小学生時代は、豊かな自然環境の中で、昆虫や、鉱物など何でも手当たりしだいに集めてまわるのが好きで、海中にいるプランクトンを集め、顕微鏡で観察し、生き物の営みに深く感動し、磯でウミウシやハナデンシャの美しい姿に見入ってしまったとのことです。1935年旧制今宮中学校を卒業しますが、中学時代は、ファーブル昆虫記を愛読し、ファーブルは一流の昆虫学者であっただけでなく、一流の化学者でもあったことが福井少年を大いに刺激したようです。大事なことは、詰め込み教育環境ではなく、自発的に好奇心を喚起する自然環境なのだと思います。

 藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。