日本のノーベル賞科学技術について(その3)~朝永振一郎博士~
~4つの物理学の基本原理の2つ「場の量子論」「繰り込み」を確立した教育的研究者~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

日本人2人目のノーベル賞学者の朝永振一郎博士は、湯川秀樹博士と京大理学部の同級生で、私は、より基礎原理的な研究をされていた朝永博士にも憧れて京大理学部に入りました。

朝永博士の話を聴いたのは、私が、2年生の1974年11月6日に国立京都国際会館で湯川秀樹・朝永振一郎・江崎玲於奈3博士を招いて開催された「ノーベル物理学賞受賞産学者故郷京都を語る」(主催:京都市、京都市教育委員会)座談会に出席した時でした。3人の発言を聴いていて、全く異なるタイプだなと感じたことを思い出します。中でも、朝永博士には、研究者でありながら、発言が、素人にも分かり易く教育的な姿勢を感じました。実際に、写真の色紙の言葉をこの座談会主催者である京都市の依頼で残されました。好奇心を大切に「科学の芽」を育てるようにという主旨の少年少女に向けメッセージを残されました。これは、今も京都市青少年科学センターで所蔵されています。朝永博士は、東京教育大学(現筑波大学)教授を長く務められ、科学者の役割として、自分自身が発見や発明に関わるだけでなく、人材育成を重視されているように感じました。

朝永博士のこの色紙の言葉を契機に、筑波大学では、朝永博士の功績を称え、それを後続の若い世代に伝えていくとともに、小・中・高校生を対象に自然や科学への関心と芽を育てることを目的としたコンクールを行い「科学の芽」賞を授与しています。

1906年東京市小石川区小日向三軒町(現在の文京区小日向)に京大教授で西洋哲学の朝永三十郎氏の子として生まれ、父の京大教授就任に伴い一家で京都に移住。1929年京都帝国大学理学部物理学科卒業。1941年東京文理科大学(新制東京教育大学の前身)教授、1943年超多時間理論、1947年くりこみ理論、1952年文化勲章、1956年東京教育大学長(~1961年)、1965年ノーベル物理学賞。

朝永博士のノーベル賞受賞理由は、「繰り込み理論によって量子電磁力学を完成させた功績」(米ジュリアン・シュウィンガー、米リチャード・P・ファインマンと共に受賞)です。「繰り込み理論」とは、場の量子論(量子化された場〔素粒子物理ではこれが素粒子そのものに対応〕の性質を扱う理論)において、計算結果が無限大に発散することを防ぐ数学的技法を指します。

ここで、量子化(Quantization)とは、物理量が量子の整数倍になること、あるいは整数倍にする処理を意味しますが、古典物理学(ニュートン力学や電磁気学)が、連続量を扱っていたのに対して、原子や原子核の世界は、素粒子を単位とする離散値を扱う新しい世界が拓かれました。情報理論でいうデジタル化と共通しています。物理学もアナログからデジタルへと変化した訳です。 (つづく)

 

藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。