日本のノーベル賞科学技術について(その1)
~ノーベル賞とは?~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

遣隋使、遣唐使の時代から現代に至る、中国と日本の相互協力の中で、最も重要なのが、科学技術分野での協力だと思われます。1609年のガリレオ・ガリレイによる人類初の天体望遠鏡による惑星観測の結果得られた天動説から地動説への転換は、近代科学を産み産業革命へと発展しました。この欧州から始まった近代科学は、現代科学へと発展し、米国、そしてアジアへと拡がり、科学技術が産み出す産業によって、20世紀の日本、21世紀の中国の飛躍的な経済発展をもたらしました。現代科学に関わる科学者の最大の名誉は、ノーベル賞ですが、これからしばらく、私の連載コラムでは、中国と日本の科学技術分野における相互協力を推進するために、日本人ノーベル賞科学者を通じて見える現代科学とは?中でも日本の得意分野とその背景とは?について述べてみたいと思います。

昨年は、3人の日本人に対してノーベル物理学賞が授与され、2014年11月21日スウェーデン大使主催の祝賀会が開催されました。私自身、大使と親しくさせて頂いているために、久々に懐かしい歴代日本人ノーベル賞受賞者の方々と歓談する機会がありました。このような機会も含め、ノーベル賞受賞者22人のうち科学者は19人ですが、幸運なことに、19人のノーベル賞科学者の皆さんから、私は、全員から話を聴いたことがあります。そこで、私なりに理解している各々の授賞対象研究の概要とその人物像から見える日本の科学技術における得意分野について、何度かに分けて述べてみたいと思います。

ノーベル賞は1901年から始まり、物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に授与されます。1895年にノーベル財団が創設され、1901年に初めて授与式が行われ、ノーベル経済学賞は、1968年創設、1969年に第1回の授与が行われました。

賞創設者のアルフレッド・ノーベル(1833~96年)はスウェーデンの発明家・企業家で、爆薬や兵器によって巨万の富を築き、1888年に兄のリュドビックがカンヌで死去した際、フランスの新聞に「死の商人、死す」アルフレッド死去との見出しと共に誤報され、死後の自分を意識するようになり、1895年11月27日署名のノーベル財団による賞創設の遺言を残して他界したのでした。この遺言のために残した金額は総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナで、1897年4月ノルウェー・ノーベル委員会(平和賞、ノルウェー国会)が設立、6月7日カロリンスカ研究所(医学生理学賞、スウェーデン)が、6月9日にはスウェーデン・アカデミー(文学賞)、6月11日スウェーデン王立科学アカデミー(物理学賞、化学賞)が授与機関として整備されました。

1949年の湯川秀樹博士以来、21世紀に入って加速する「日本のノーベル賞科学技術」について連載します。

 

藤原 洋

 <Profile>

 1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。