〈連載〉孔子の一生「論語(為政編)」と私(第6回/終)ゴードン・ムーア氏へ思いを馳せて
~七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

現代語訳では、「七十になると思うままにふるまって、それで道をはずれないようになった」という意味のようですが、この境地が、2500年前に孔子がこの域に到達したゴールであったと思われます。人間は、何歳まで生きるのか?2013年に日本人男性の平均が初めて80歳を超えて80.21歳で世界4位(1位香港80.87、2位アイスランド80.8、3位スイス80.5)となりました。そこで、現在60歳の自分自身も70歳まではかなりの確率で生きると仮定すると、誰かを目標にして道を外れないようになろうと思うことは決して無駄ではないだろうと思います。

そこで、まだ、70歳まで約10年ある中で面識があって自分より年輩の方で目標とすべき人を探してみると、1人見つかりました。ゴードン・ムーア氏です。彼は、天文学が好きで、母校のカリフォルニア工科大学(Caltech)が主導するTMT(ハワイ島マウナケア山頂で建設が始まった直径30m望遠鏡)のメインスポンサーです。写真は、2008年5月2日に、天体望遠鏡プロジェクトの進め方について意見交換するためにハワイ島Caltechケック天文台でお会いした時のものです。私も微力ながら、京都大学、名古屋大学、国立天文台が共同で推進する岡山3.8m天体望遠計画を支援させて頂いています。

ムーア氏は、1929年生まれで、1957年、ロバート・ノイス氏と共にFairchild Semiconductor社を設立。1961年にはICを初めて商品化し、1個1ドルという破格の安価で販売し、60年代後半には同社を世界最大の半導体メーカーに発展させた人です。しかし、創立期に資金提供を担った親会社との間に経営方針について対立し、1968年7月、ムーア氏はノイス氏と共に新たにIntel社を立ち上げました。創立当初は、ノイス氏が社長、ご自身は副社長に就任されたムーア氏は、その後1975年から4年間社長、1979年から8年間は会長を務められ、現在は名誉会長として、Intelと半導体産業の発展を願っておられます。

私は、ムーア氏よりも25歳四半世紀年下なので、ムーア氏の半導体との出逢いと異なり、インターネットとの出逢いがありました。新たなテクノロジーとの出逢い、そして起業、博士号を取得するまでテクノロジーを究めると共に、事業意欲が旺盛なムーア氏の生き方に強い親近感を覚えています。一線を退かれた後も、1965年に提唱されたムーアの法則は、今もIT産業の成長の基礎を支える根拠として生き続けています。そんなムーア氏のような70歳を目指し、思うままにふるまっても道を外れない70歳に向って歩んでいければと、ハワイで毎日大好きな魚釣りを楽しんでおられるムーア氏への思いを馳せています。

 


2008年5月2日、ハワイ島Caltechケック天文台にて

 藤原  洋

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。