〈連載〉 孔子の一生「論語(為政編)」と私(第1回)
~十有五にして学に志す~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

私は、経歴的には、いわゆる「理系人間」なのかもしれませんが、中学一年の時に漢文に興味があり、孔子や孟子や唐の時代の漢詩の書物に凝ったことがありました。その中で、約二千五百年前、中国の春秋戦国時代に孔子が孔子自身の一生についての有名な言葉があります。『子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(シタ)がう。七十にして心の欲する所に従って、矩(ノリ)を踰(コ)えず。』(現代語訳「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命〔人間の力を超えた運命〕をわきまえ、六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまって、それで道をはずれないようになった。)

自分の人生を振り返り照らし合わせてみると、意外なことに共通点があるように思えます。少なくとも孔子と私の十五歳になる年の経験は全く違っていたために、興味をもつことも全く違っていたでしょう。では、これから何回かにわたって私の「為政編」を綴ってみたいと思います。

私が学に志したきっかけは、日本時間1969年7月21日 午前11時56分にアポロ11号によって人類が初めて月に降り立った時の感動と衝撃でした。乗組員は、ニール・アルデン・アームストロング(Neil Alden Armstrong)船長、マイケル・コリンズ(Michael Collins)司令船操縦士、エドウィン・E・オルドリンJr.(Edwin E. Aldrin, Jr.)月着陸船操縦士の3人でした。そして、アームストロング船長による「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である(That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.)」という言葉は、当時のNHKによる実況中継を食い入るように観ていた私の脳裏に焼き付いていました。今から思えば、月着陸船の燃料が二十五秒分しかなく、光り続ける警報ランプに、アームストロング船長の脈拍が極限値に達していたことを乗り越えての本当に凄い計画だったと思います。

中学生時代、直径11.5㎝の反射望遠鏡を抱えて天体観測に熱中した「天文少年」で、宇宙物理学、天文学、航空宇宙工学、コンピュータ科学に興味があり、宇宙、ロケット、コンピュータに関する本を読みあさっていました。アポロ11号の成功は、そんな私の宇宙への想いを確固としたものにした出来事でした。十五歳の頃の私は、そして、人類を取り巻く宇宙が地球をはるかに超える広大で多くの謎に包まれていること、また、人間を目的地まで運ぶには宇宙ロケットと共にコンピュータシステムが必要で、まだまだ、やることがたくさんあることを知り、いつの日かこれらの分野で仕事をしてみたいと思っていました。そんな少年時代の想いから、京大理学部へ進んで宇宙物理学を学び、社会に出てから東大で電子情報工学での博士号を取得する道を選んだのだと思います。(つづく)

 
1969年8月夏 中学3年の頃

 

 藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。