〈連載〉 北京紀行(その6)
~人民日報本社を訪ねて~
藤原洋 株式会社ブロードバンドタワー 代表取締役会長兼社長CEO

このたび、北京にある人民日報本社を(日本語版蒋豊編集長<写真右側>のアレンジで)訪問させて頂きました(人民日報海外版主任記者のChen Shu Rong氏<写真左側>と)。なにぶん人民日報と言えば、日本にも他の国にも相当するメディアが見当たらない、そのメディア特性や影響力において中国特有のメディアだと位置付けられます。改革の父=鄧小平による標語がモニュメントになっていました。次に目についたのが、入り口の巨大な壺でしたが、地方都市からの贈り物とのこと。

人民日報とは、中国共産党中央委員会の機関紙で、人民日報社発行。1948年6月15日、湖北省の党地方支部において創刊。翌1949年3月に本部を北京へ移転、同年8月に党の公式機関紙となりました。1985年7月には国外向け版の発行を開始、現在、英語版、日本語版、フランス語版、スペイン語版、ロシア語版、アラビア語版の7か国語で配信。改革開放路線による市場原理の導入後、発行部数は減少したようです(1000万部から500万部へ)が、広告の掲載やインターネット配信等を開始するなど編集方針が変化しているようです。唯一政権を担う中国共産党の機関紙であることから、日本のメディアと異なり、政府や党の公式見解や方針を通じて、現代中国を理解するのに重要なメディアであると言えます。また、「人民日報」のロゴは、由緒正しい毛沢東の揮毫(きごう、揮=振るう、毫=筆)によるものです。人民日報と日本のメディアとの関係は、朝日新聞と読売新聞との間で提携関係にあるようです。

中に入ると、海外版副編集長の劉曼軍氏の部屋に案内して頂きました。日本支社の開所祝いの写真がありました。地下へ降りるとスタジオがありました。隣の部屋で徐蕾キャスターによる私のインタビューが行われ、その日のうちにネット配信されました。一階玄関には、前総書記の胡錦濤氏から発せられた2005年6月の言葉が掲げてありました。また、事業に対する取り組み姿勢と大局観をもって団結せよとの標語が見えます。また、優れた記事を書きトップ紙面に掲載されると社内表彰されます。この表彰発表掲示板の前では、数人の若手記者が喜んでいる姿が印象的でした。入り口を再度見渡すと、中国共産党による「優秀事業所証明銘板」と武装警官が、目立っていました。

海外版建屋を出て、しばらく構内を歩くと広大な敷地に社宅とモダンな新社屋が見えます。本社社屋の入り口から入ると、創刊以来の歴史的な場面、特に毛沢、鄧小平、江沢民、胡錦濤の言葉の説明パネルがあります。また、人事異動の告知が掲示されていました。最近の電子新聞はスマートフォンやiPadに対応しています。印刷所、出版局、史跡、独身寮、ネット編集部と建設中の次の超モダンな新社屋、特に、社員とゲストのための食堂は、とても感じの良いものでした。

以上に述べたように人民日報本社は、素晴らしく快適なオフィス環境・生活環境があり、とても明るい雰囲気でした。毎年40人くらいの新人を採用するそうですが、全国から極めて優秀な大学院卒業生を中心に8000人の応募があるそうです。記者の方々と話してみて感じたことは、中国共産党中央委員会の機関紙というよりも、難関のマスコミ入社試験をパスしてきた、日本の一般紙・経済紙の記者の方々とどこか共通点のあるジャーナリストに近いという印象を受けました。

 

藤原 

<Profile>

1954年、福岡県生まれ。京都大学理学部(宇宙物理学科専攻)卒。日本アイ・ビー・エム株式会社、日立エンジニアリング株式会社、株式会社アスキー等を経て、株式会社インターネット総合研究所等を設立し、現職。96年、東京大学より工学博士号を取得。現在、SBI大学院大学副学長教授、慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授。