榎 善教 国際アジア共同体学会 顧問
アイヌ民族と日本民族 その1

長年、日本列島には旧石器時代の遺跡はないとされていたが、それを見事に覆したのが、宮城県の築館町上高森遺跡の60万年前の住居址であり、埼玉県秩父市小鹿坂遺跡から出土した50万年前の人骨である。

我々ホモサピエンス(新人)がアフリカ大陸から出て来たのが10万年前とされているから、秩父原人(ホモエレクトス)は旧人という事になる。

その後、7万年から1万2千年までの間、いわゆるヴェルヌ氷河期になって、厳しい飢餓時代を迎える。人類は大型獣のマンモスやへら鹿を追って中東から東に移動を始めた。これがいわゆるグレートジャーニーである。アジア大陸を横断してアメリカ大陸に至ったのがアメリカインディアンであり、南米大陸に至ったのがインディオである。

日本列島に定住したのはアイヌ民族である。

ヴェルヌ氷河期の海面は暖冬期に比べて140メーターも低下したので、海峡のほとんどが陸橋となり、日本列島は島ではなくて中国大陸の東端となっていた。したがって、マンモスやへら鹿の骨が出土するわけである。

北海道十勝の更別村から偶然ナウマン象の骨格が出土したが、寒冷地故か発掘した当初はまだ腐敗臭がしたと言う。

現在の日本列島、すなわち中国大陸の東端にアイヌ民族がやって来て定住した1万6千年前は日本海もオホーツク海も湖であった。近年、アイヌ民族は言語学、人類学、考古学、医学の見地からトルコ東方からやって来たと考えられている。1万6千年前には、人類はまだ文字を持たない。今から8千年前にようやくシュメールの楔形文字が登場するのである。

アイヌ民族にはユーカラ(神謡)があり、口伝されて来た歌詞や話し言葉により、彼等はインドヨーロッパ祖語に属している事が判って来た。

したがって、その祖型はヘブライ語、アラム語、ラテン語、ケルト語、ゲルマン語等に共通する単語が散見出来るのは興味深いところである。

しかし、現在、残念ながらアイヌ語を日常語としている人は見当たらないので我々がアイヌ語に接するのは、地名くらいのものだろう。

元々、アイヌ民族が日本各地の地名を命名したのである。それ故、奈良時代には改字令が発令されて、日本各地の地名を日本語に改称したのである。すると、アイヌ語地名を改称した当の日本民族はどこから来たのだろうか?

この謎は多くの学者が長年研究して来たが、未だに明確な説明が出来ていない。曰く、騎馬民族説、中国江南人説、南方渡来説等々諸説ある。

山海経は中国の地理書であるが、戦国時代から秦代、漢代(BC4世紀からBC3世紀)にかけて徐々に加筆されたとされているが、ここに倭人に関する記述があり、『倭人は楽浪海中百余国に分かれて住む』とある。

楽浪海とは中国江南地域、山東半島、遼東半島、朝鮮半島の範囲を言う。

AD57年の後漢書の東夷伝の倭人にかんする記述では、倭の奴国が朝貢したとある。また、隋書の百済伝には「百済の人の中には、新羅、高句麗、倭などの人がいる」とある。

日本書紀によれば、継体天皇の6年(AD512)任那の4県を百済に割譲したとある。(続く)