榎 善教 エノキフイルム社長
私の日中交流史 その八

アジアにおけるテレビアニメーションの配給について忘れられない人達がいます。1997年春、香港でミニモーターの組み立てをしていた近藤宏さんが来社されました。アニメーションの海外配給に興味があると言うのです。

それならば、百聞は一見にしかずだからと、その年のカンヌのMIP(テレビ祭)に連れて行きました。それからの近藤さんはアニメーションインターナショナルを起業して、破竹の勢いで事業を伸ばして行きました。今日ではドバイにまで進出されて、押しも押されぬ配給業者の大物になりました。


香港のロビ二ア・チューさん(左端)年末のチャリテイ大会に参加して

また、間もなく台湾の黄智徳さんが日本の大学を卒業されて、帰国する際に当社に立ち寄り、アニメ業界に参入したいとの事でした。黄さんは真面目さが際立っていたので、さっそくご案内する事にしました。たまたま、JR東日本企画社がポケモンのアジア配給権を取得したものの、どうしたら良いかと相談に来たので、若い人達に20日ばかりレクチャーしたのですが、直ちに海外マーケットに出すには不安だったので、台湾の黄さんという人を紹介するから、先ずはそこにライセンスして、黄さんから、各国にサブライセンスして貰いなさいと指導しました。

黄さんのトップインサイトはその大役を見事に果たしてくれました。現在、彼女は台湾でケーブルのアニメチャンネルを運営するほか、上海でネット送信事業もやっています。

香港のメディアリンク社のロビニアチューさんは、地元の配給会社に勤務していましたが、日本のテレビアニメーションの配給を目指して自ら起業しました。


香港の近藤宏氏(右端)近藤のアジアMIPにて

妹やお母さんも協力して、先ずは広東語圏から、次いで北京語圏にそのマーケットを拡大して行きました。現在は巨大な中国大陸はもちろんの事、アジア全域で活躍しています。このほかにも、アジア地域に沢山の配給業者が居られますが、皆さんはまさしく出藍の誉れで、今では私のごとき老兵の出る幕はありません。

一方、エノキフイルムは日本からヨーロッパに進出した最初の会社と言われましたが、ロンドンのマーブルアーチに事務所を持ったのが1980年でした。そこから、中東、東ヨーロッパ、アフリカのマーケットを開拓して行ったのです。

1987年までに、戦争状態にない全ての国々を開拓してしまいました。


台湾の黄智徳さん(右から二人目)シンガポールのアジアMIPにて

ロンドン事務所は私の弟の榎善昭が担当しました。彼は東京外国語大学の学生時代に放送翻訳のプロになりましたが、書斎に閉じ籠るよりはワールドワイドに活躍したいと、日本脚本家連盟の翻訳部長を辞して、ジャパニメーションのセールスに大いに寄与しました。

1987年には、ロスアンゼルスにエノキフイルムUSAを設立、榎善昭が代表になりました。当時、南米の主要国はマドリッドのダビング版を用いて開拓済みでした。しかし、北アメリカ、カナダ、オセアニアの英語圏が未開拓でした。この頃になって北アメリカでもテレビアニメーションが認識され出しました。ディズニープロダクションは出遅れたので、当社がパリでフランス語にダビングしていた頃に音楽を付け替えていたハイムサバンのアニメーションチャンネルを買収したのでした。