〈連載〉黒船来航と洋学③
対話(論戦)から条約の詰めへ
加藤 祐三 前都留文科大学長

日米全権の林とペリーが横浜応接所の8畳間の「内座」で会談し、論戦(対話)が始まる。使用言語はオランダ語、通訳はオランダ通詞・森山栄之助とポートマン。

ペリーが言う。

「我が国は以前から人命尊重を第一として政策を進めてきた。自国民はもとより国交のない国の漂流民でも、救助し手厚く処遇してきた。しかしながら貴国は人命を尊重しない。近海の難破船を救助せず、海岸近くに寄れば発砲し、漂着民を罪人同様に扱い、投獄する。日本国人民を救助して送還するが受取らない。実に反道義的である。我が国のカリフォルニアは太平洋をはさんで日本国と相対しており、往来する船はいっそう増える。貴国の国政をこのまま放置はできない。改めないならば国力を尽くして戦争に及び、雌雄を決する構えがある。我が国は隣国のメキシコと戦争をし、国都まで攻め取った。次第によっては貴国も同じようになりかねない。」

林大学頭が、おもむろに口を開く。

「戦争もあり得るかもしれぬ。しかし、貴官の言は事実に反することが多い。伝聞の誤りにより、そう思いこんでおられる。我が国は外国と交渉がないため、外国側が我が国の政治に疎いのはやむをえないが、我が国の政治は決して反道義的なものではない。我が国の人命尊重は世界に誇るべきものである。第一、この三百年にわたり太平の時代が続いたのは人命尊重の故である。第二に、大洋で外国船の救助ができなかったのは大船の建造を禁止してきたためである。第三に、他国の船が我が国の近辺で難破した場合は、必要な薪水食料等の手当てをしてきた。他国の船を救助しないというのは事実に反し、漂着民を罪人同様に扱うというのも誤りである。漂着民は手厚く保護し、長崎に護送、オランダカピタンを通じて送還している。貴国民の場合も、すでに措置を講じて送還ずみである。不善の者が国法を犯した場合はしばらく拘留し、送還後にその者の国で処置させるようにしている。貴官が我が国の現状を考えれば疑念も氷解する。積年の遺恨もなく、戦争に及ぶ理由はない。とくと考えられたい。」

ペリーは、「貴国が国政を改め、薪水食糧石炭の供与と難破船救助を堅持されるなら異論はないが…」と譲りつつも、「交易の件はなぜ承知されないのか」と迫る。

林が「日本国は自国の産物で十分に足りており、外国の品がなくても事欠かない。…それに貴官は人命尊重と船の救助が第一と申されたが、それが実現されれば十分ではないか。交易は人命と関係がない。…」と反論、ペリーは控室で考えたすえに「たしかに訪日の目的が達成されれば、交易の件は強いて主張しない」と、取り下げた。

ここで日米和親条約の骨格について、日米間の合意ができた。(つづく)

(都留文科大学長ブログ掲載「黒船来航と洋学」を補正、5回に分載)

 

 

加藤 祐三

<Profile>

三渓園園長(横浜)、前都留文科大学長、元横浜市立大学長。1936年(昭和11)年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程中退。専門は歴史学(アジア史、文明史、文化史)。『イギリスとアジア-近代史の原画』(1980年、岩波新書)、『東アジアの近代』(1985年、講談社)、『幕末外交と開国』(2012年 講談社学術文庫)など著書多数。


ペリー旗艦ポーハタン号への招宴 『ペリー艦隊日本遠征記』より


ペリーのオランダ語通訳ポートマンのスケッチ、右側奥から林大学頭、左側奥からペリー、中央こちら向きが森山栄之助