野々垣 孝 アピ株式会社代表取締役会長
蜜蜂を通じて豊かな健康社会を創る

2013年、習近平中国国家主席はカザフスタンのナザルバエフ大学で講演を行った際、「我々に必要なのは環境保護と経済発展である。環境保護がむしろ重要であるが、環境保護と経済発展を両立させねばならない」と指摘した。

2017年、習近平中国国家主席は北京で行われた「『一帯一路』国際協力サミットフォーラム」において、古のシルクロード沿線地域は「牛乳とハチミツが流通する場所」であったと語った。蜜蜂、ハチミツ、養蜂はすでに「一帯一路」沿線国では共通の話題であった。

本年9月、記者は中国で開催された中国質量万里行促進会エコ養蜂業専門委員会の結成大会に出席した。席上、同委員会の惲銘慶主任委員は、「エコ養蜂業の発展度合は『両山理論』の最高の説明となる。養蜂産業の発展レベルが環境保護事業の基準となり、養蜂産業の繁栄は経済発展の最高の証明となる。養蜂業の振興は環境保護と一体であり、持続可能な発展の鍵であり、地域経済の成長を効率的に促進させ、現地の脱貧困に大きな意義を有し、明白な効果をもたらす」と述べた。

本年10月、岐阜県を訪ね、1907年に創業され、ハチミツ製品の製造と研究開発を行うアピ株式会社を取材した。同社は110年の長きにわたって、ハチミツ事業に従事してきた。

 
撮影/本誌記者 張桐 

歴史を詫び、中国を師とする

野々垣孝会長は席に着くや、静かな、ゆったりとした口調で過去の出来事を語り始めた。「私が小学2年の時、日本は太平洋戦争で負けました。小学4年から6年までの担任の先生は、中国から引き揚げてきた中尉でした。その先生から『中国人を殺す前に、中国人に自分たちの死体を埋める穴を掘らせて……』という話を聞きました。先生は普通の人です。このような普通の日本人が中国でそんな残忍なことができてしまうのです。当時の日本人は中国の人びとになんと大きな害を与えてしまったことか。日本人としてまず、過去の歴史をお詫びしなければなりません」。

アピ株式会社は、日本の養蜂業界で初めて中国に合弁会社を設立し、中国の養蜂業界との交流・貿易は半世紀以上になる。中国を訪れる度、野々垣会長は出会った中国人に率直に幼い頃の記憶を語り、心からの謝罪を述べる。それが会長の中国での出発点であり、半世紀にわたり貫いてきた対話の姿勢である。

「はっきり記憶していますが、1963年、私が結婚した年にハチミツの輸入自由化によって、35%の関税のみで自由に輸入できるようになりました。それからおよそ3年後、中国のハチミツが日本市場に入ってきました。現在、日本の輸入ハチミツの73%を中国産が占めています。中国と日本は嗜好が近く、中国産のレンゲミツとアカシアミツは日本の消費者にも人気があります。中国は毎年ハチミツを15万トン輸出しており、そのうちのほぼ三分の一が日本向けです。日本は国内の生態環境の変化により、ハチミツの生産量は年間2500トン前後ですが、日本人はハチミツ製品を非常に好み、年間4万トンを消費しています。日本の市場に中国の豊かで魅力的な蜜源は欠かせません。ハチミツだけでなく、ローヤルゼリーは96%が中国から輸入されています。ローヤルゼリーの製造は非常に手間がかかり、人件費がかかります。中国大陸では3000トンものローヤルゼリーを生産しています。現在、弊社には養蜂に従事する中国人の従業員が4名いて、ローヤルゼリーの生産に携わっています。彼らは非常に優秀です」。

一線を退いた野々垣会長であるが、若き日に中国を訪れた経歴を興奮気味に語る。「中国と貿易をしてきて、卓上に『毛主席語録』を置いた時代や鄧小平の改革開放の時代も経験しましたが、どの時代にも鮮明な特徴がありました。 中国がどんどん向上し、どんどん強くなっていくのを見ることができ本当に嬉しいです。中国について何も知らない日本人は、まだ日本の方が進んでいるという錯覚があるかもしれません。私は皆さんに、中国に行って、中国の発展の速度と社会の活力を見てもらいたいと思います。日本は明治維新以降、現代社会に突入しました。ところが、中国はアヘン戦争と列強の侵略を経験し遅れをとりました。しかしながら、日本にとって中国はずっと先生でした。今後もそうするべきでしょう」。

 
野々垣孝・アピ株式会社会長(中)、野々垣孝彦・同社長(右)

挑戦を続ける百年企業

東京商工リサーチの最新の調査結果によると、2016年12月時点で、日本には百年企業が3万3069社あり、2012年から5628社増加している。さらに1118社が2017年に創業100周年を迎える。日本は世界的に見ても百年企業の宝庫と言える。

それら百年企業のうちの多くが、アピ株式会社のように家族経営で代々伝わる中小企業である。「富は三代続かず」と言われるが、これらの老舗企業にはまったく当たらない。誠実、品質、進取という「不変のもの」を代々堅持してきたことが日本の企業が長く続いてきた秘訣である。しかし、それだけでは百年という激動の歳月、安定的発展を維持することはできない。アピ株式会社が長く続いてきた秘訣は何であったのか。

野々垣会長は直接その答えを口にすることはなかったが、会社の発展の歩みが如実にそれを物語っている。

1907年、祖父の野々垣良三が兄と愛知県一宮市で養蜂業を始める。1924年、有限会社岐阜養蜂場を設立。1974年、中国でローヤルゼリーの生産を開始。1985年、砂糖の加工を中心とする株式会社アピローヤルを設立。1988年、業界初の中国との合弁会社「河南康力蜂業有限公司」を設立。1991年、業界初の独立総合研究所を竣工・業務開始。1994年、健康食品分野に本格参入、同年、香港に現地海外法人を設立。1996年、医薬品事業を開始。2004年、業界初の産・官・学協同事業「サプリメント研究会」を立ち上げる。2007年、創業100周年記念式典を開催。2008年、経済産業省「明日の日本を支える元気なモノ作り中小企業300社」に選定される。2010年、中国上海市に亜碧(上海)商貿有限公司を設立。2015年、岐阜大学、岐阜薬科大学、岐阜女子大学と連携して「地域循環型女性研究者支援・育成プログラム」をスタート。

「もうおわかりと思いますが、当社はこの100有余年、会社を維持発展させていくために何度も方向調整を行ってきました。その鍵は変化への対応と飽くなき挑戦です。歴史のある企業は保守的になりがちです。しかし、新たな刺激を追求する勇気をもたなければ新たな活力は生まれません。水たまりのようによどんでしまいます」。

当然、ここに至るまでの道のりは平坦なものではなく、大きな失敗も経験した。「27、8年前のことです。『はちみつレモン』の大ブームがあり、弊社の50億円の売上げがブームによって2年で97億円までいき、ブームの終焉と共に元の50億円まで下がってしまいました。当時、業界全体がこのブームの恩恵を受けましたが、ブームが去った時、多くの企業が主力製品を失い大きな打撃を受けました。その後、当社は間もなく健康食品にシフトしました。それで今日があるのだと思います。しかし、その他の蜂蜜業者は他業種に転換しませんでした。すべての卵を一つの籠に入れてはならないということを、思い知らされました」。

 

養蜂企業が「健康大国」をリードすべき

昔から、蜂産品は優れた健康補助食品として知られている。アピ株式会社は養蜂業から健康補助食品分野に参入し、21世紀初めには医薬品工場を設立した。最近、習近平中国国家主席は「健康大国」を標榜し、日本政府も「健康大国日本」を提唱している。世界第二位と第三位の経済大国である中国と日本は、この点においては合致しており、これはアジア地域における大きなチャンスと言える。中日の養蜂事業はここにどう関わり、このチャンスを活かせるだろうか。

野々垣会長は次のように話す。「『蜜蜂を通じて豊かな健康社会を創る』。これがアピの企業理念です。この旗頭のもと、当社は100有余年の歩みを続けてまいりました。日本も中国も超高齢社会に入った現代において、医療・介護・福祉はさらに重要度を増しています。人々の願いは健康で長生きすることです。ハチミツ製品製造業は人々の健康と長寿に貢献できる産業です。両国国民の長寿と健康のため、両国の政府と民間がともに立ち上がり、我々養蜂業界がその先駆者になっていければと思います。私は第一線を退いていますが、50年前と同じ精力と情熱を傾けたいと思っています。それが日中両国にとって有益なことでしょう」。

野々垣孝会長の話を聞いて、ある出来事を思い起こした。北海道のあるハチミツ製品製造会社が自社の有名ブランド商品に中国産のハチミツを使用し、国産と偽装したことを疑われた。しかし、我々はそのことを喜ばしくさえ感じた。中国のハチミツが日本市場の水準に達し、高いブランドニーズを満たしたのである。中国の養蜂事業は日本市場に大きなビジネスチャンスと将来性を孕んでいる。