岡田 卓也 公益財団法人イオン環境財団理事長イオン株式会社名誉会長相談役
中日で共に環境問題に取り組み理解し合う

1990年に設立された公益財団法人イオン環境財団は、日本だけでなく中国をはじめアジアを中心に世界各国で植樹等の環境保全活動に積極的に取り組み、これまでのイオングループの植樹本数は累計で1100万本を超えているという。イオンの創業者で名誉会長相談役であり、同環境財団の理事長である岡田卓也氏(92歳)に植樹に象徴される環境問題への取り組みと理念についてお伺いした。


撮影/本誌記者 原田繁

万里の長城での植樹活動

—— 貴財団では、植樹活動や小中学校への太陽光発電施設の寄贈など、これまで積極的に中国の環境問題に関心を持って活動していただいています。そのきっかけと背景について教えていただけますか。

岡田 環境財団を設立したのは1990年です。ちょうどその頃、ベルリンの壁が崩壊し(1989年)、東西ドイツが統一されました。あと10年で21世紀になる時に、国際情勢が大きく動き出しました。

「東西問題」は20世紀の世界的な課題でしたが、21世紀は「南北問題」が非常に大きな課題になると考え、そのキーワードの1つが「環境」と予見したのです。そして、21世紀が「水と緑の世紀」になることを願い、環境財団を設立しました。

環境問題の取り組みの1つが「植樹」でした。当時、中国をたびたびお訪れておりましたが、北京から万里の長城へ行く道路の途中は舗装もされてなく、八達嶺は樹木が非常に少ない状況でした。それで八達嶺に植樹をしたらどうかという提案をしました。

そこで、かつて現地にどういう木が生えていたかということを宮脇昭先生(横浜国立大学名誉教授)と中国の大学の先生方に調べていただいた結果、モウコナラという木だとわかりました。それでまず、3年間かけて苗木を育て、それを植えようということになりました。

苗木を作っているところを私も見に行きましたが、かなり広いところで、そこで育った苗を買って植樹を実施しました。第1回目の植樹は、日本からはボランティアで約1200人参加頂き、中国の方々とともに木を植えました。結局10年かけて、100万本を植え、この間、植樹活動に約1万5千人のボランティアの皆さんに参加頂きました。今、八達嶺は緑豊かな状態になっています。

この活動で、お互いに中日の友好関係もできました。植樹で知り合った中国の方の結婚式に招待を受けたこともあり、様々な意味でも、非常に意義深かったと思っています。

環境問題を考える原点―― 四日市

—— 1972年の6月頃、田中角栄氏の『日本列島改造論』が出版され、中国語版も出ました。その中には、日本のいろいろな環境問題も書かれていましたが、あの頃の中国人は読んでもピンとこない。まだ環境問題が表に出ていなかったからです。中国は環境問題について日本から何を学べばいいと思われますか。

岡田 日本では1960年代、モータリゼーションが発達した頃から、社会発展とともに公害が問題になりました。私は三重県の四日市出身ですが、ここは戦後、石油化学コンビナートができ、工場の誘致と建設が相次ぎ、非常に産業が発達したところです。

ところが「四日市ぜんそく」という公害病が発生しました。私が30代の頃のことですが、「公害のまち四日市」と言われました。私は郷里でこの様な経験をし、環境問題に対して非常に関心を持ったわけです。

身近なことでいえば、例えばイオンの幕張本社の周りにも木を植えていますし、イオンの店舗が開店する時、開店前の店舗の周りに植樹をするわけです。1100万本を超える植樹をしています。この植樹活動には、地域にお住まいの数多くの皆さまに、ボランティアとして参加いただいていることが特徴です。これは地域のお客さまに一番近い小売業だからできることです。「一緒に木を植えましょう」とお客さまに呼びかけ、皆さまが集まってくださる。そして木を植えると、その方々も環境問題に関心を持っていただけるのです。

今、丸の内周辺に新しく建つ高層ビルは、周りに木を植えています。今から20年前でしたら、企業の本社ビルができても敷地いっぱいが建物でした。最近ようやく日本も、高層ビル建設時に周りに植樹するようになりましたが、それは中国の方が早かったと思います。

環境問題は地球全体の問題

—— イオンでは、中国の小さな大使や、アジア学生交流環境フォーラム(ASEP)など、いろいろな社会貢献活動をやっておられます。中日間の青少年の交流や、アジアの青少年との交流について、どのようにお考えですか。

岡田 アジア学生交流環境フォーラムについては、最初は日本と韓国、そして中国の大学生と一緒に環境問題を勉強するという形でスタートしたのですが、毎年参加国を増やし、現在、ベトナム、タイ、マレーシア、カンボジアなど各国の優秀な大学と連携協定を結び、一緒に環境問題を勉強しています。環境問題というのは国境がないものなのです。

例えば、かつて国外で工業が急成長したときは、日本も環境汚染の影響を受け、海岸の松が枯れたのも一例です。ですから各国の学生さんたちがお互いに交流して、環境問題を勉強していくということは、自分の国だけの問題ではない、地球全体の問題として考えていくきっかけになるのではないかと思います。

小売業は平和でないと成立しない

—— 今年は戦後72年。われわれから見ると、日本が平和憲法を堅持してきたことは素晴らしいことだと思いますが、政治家の一部では、憲法、特に「戦争の放棄」をうたった9条を改正したいと考えている方もいらっしゃいます。

岡田 私どものような小売業は、平和でないと成立しません。戦争中は日本でも物資がだんだん不足し「配給制」となり、一般の店舗があっても物を自由に売るということはできませんでした。ですから、イオンの基本理念は、「お客さまを原点に平和を追求し、人間を尊重し、地域社会に奉仕する」と定めています。お客さま第一主義の考え方です。平和でないと成立しない「平和産業」であり、「地域産業」であり、「人間産業」であるのです。特に「平和産業」だということに誇りを持っています。そして、世の中はどんどん変化してまいりますので、この基本理念のもと「絶えず革新し続ける企業集団」として、日頃の業務に取り組んでいます。

また、企業というのは、単に収益を上げるだけではなく、社会貢献に取り組むべきでもあります。「公益財団法人イオン1%クラブ」を創設し、税引き前利益の1%を社会貢献活動に使っていくということを決めています。翌年には当財団を設立しました。また、私は自分の郷里・三重県から出発したわけですから、三重県で「公益財団法人岡田文化財団」を設立し、奨学金事業や文化事業等を実施しています。

—— 初めて中国に行かれたのはいつですか。

岡田 一番最初に行ったのは広州で、日中国交正常化より前です。香港経由で広州交易会へ何度か出席しました。当時は『毛沢東語録』を持って参りました。

—— 本日のインタビュー内容は中国にも発信します。中国の青少年へ向けてメッセージをお願いできますか。

岡田 中国と日本の交流は、非常に長い歴史があります。お互いに学び、理解し合い、かけがえのない地球を次代へ引き継ぐために、更に積極的に交流していただきたいと思います。