古田 英明 縄文アソシエイツ株式会社代表取締役
日中間の人材交流でウィンウィンを実現

21世紀の国際競争とはすなわち人材の競争であり、人材を掌握する者が未来をも掌握する。そのため、顧客のために優秀な人材を獲得するヘッドハンティング企業が生まれた。グローバル化が猛烈な勢いで進む今日、多くのヘッドハンティング会社が人材の溢れる中国に注目するようになった。人材獲得は世界の活力を喚起しているが、1996年4月に創業した日本初のヘッドハンティング会社である縄文アソシエイツはそのうちの成功者といえる。先日、同社を訪れ古田英明代表取締役と渡辺紀子アジア室長にインタビューを行った。古田氏は、日本のビラミッド型の雇用形態を打破し、「会社の終身雇用」から「社会の終身雇用」への大転換を実現するためには、日本はその原点である縄文時代に戻らなければならないと話す。社名に「縄文」を用いているのは、そうした意味を含ませているのである。

 

 

中国で成長してこそ

日本の国際競争力は増す

―― 社長は人材を発掘する専門家ですが、現在の社会が求める人材は10年前、20年前に比べてどのように変わっていますか。中国と日本には人材を求める上でどんな違いがありますか。

古田 人材に対するニーズは時代とともに変化するものの、基本的な点は変わりません。以前、私は渡辺アジア室長と重慶に行って三峡博物館を見学したのですが、非常に感じるものがありました。「縄文文明」は日本の大変古い文化で、中国の長江文明と同じです。当時の長江文明からは多くの素晴らしいものが日本に伝わり、日本文化の一部となり、数千年間伝承されています。

実は人材を選ぶ上にもある種の法則があり、それは長い年月変わっていません。たくさんの人の中で、誰がリーダーにふさわしいのか、どのような素質を持つ人がみんなをリードしていくのか、その法則はもちろんいつ、どこでも変わりません。人材を選ぶなかで、この不変の法則が8割以上を占めており、時代の発展によるグローバル化の要求などの変化がだいたい2割なのです。つまり中国と日本の人材に対する要求では8割は共通しています。

―― 近年、縄文アソシエイツは日本だけでなく積極的に中国に進出されています。なぜ中国市場に注目されたのですか。

渡辺 私は大学では中国文学の専攻で前職の商社でも中国に関する仕事が多かったのですが、社長の古田に縄文も中国アジアを積極的に展開するので一緒にやらないかと誘われ、入社に至りました。

なぜ中国での事業が必要なのか。日本はここのところずっと、世界で負け続けています。今は一時的にアベノミクスで経済が少し好転していますが、これだけでは失われた十年二十年は取り返せません。世界の競争の中で日本がもう一度輝くためには、海外、とくに中国を中心としたアジアに出て事業をする必要があるのです。

我々はずっと「和僑1000万人計画」を掲げています。が、現時点で人口が一億以上いる日本で、海外に住む日本人は150万人余り、わずか1%にすぎません。お隣の韓国では人口の1割前後が海外で奮闘しています。ですから当社が人材分野で尽力し、このギャップを埋めることは意義あることと感じています。

スタートは中国で活躍できる日本人のお手伝いが中心でしたが、今は中国人の方のスカウトに重心が移っています。もともと「縄文」というとても日本的な名前を持つ「ForJapan」の会社がなぜ中国人の方をお手伝いするのか?最初は悩みましたし社内で議論もありました。が、優秀な中国の方を発掘し日本企業の幹部としてグローバルな競争に勝ちゆく戦力となって活躍頂くことは意義あることだとの結論に至りました。

 

「眠れる」人材を発掘して

社会を活性化

―― 激烈なグローバル競争のなか、日本は経済を再び振興させるためにさまざまな努力をしなければなりません。日本企業はどんな役割を果たせるでしょうか。

渡辺 世界の舞台で活躍できる日本人を発掘、育成することが非常に重要だと思います。また以前の終身雇用制では、どんなに優秀な人材でも、一つの会社でしか活躍できませんでした。例えば大企業で海外の経験が豊富な役員の方が、別の会社へと転じその会社のグローバル展開を推進する幹部として活躍できれば、日本全体の力の向上に繋がります。我々は、一人ひとりの方にとって最も輝ける舞台を提供することで、企業・候補者いずれにとってもWinWinの価値を提供できると考えています。

―― 社長は1996年に日本初のヘッドハンティング会社を設立されました。御社の理念は「一つの会社の終身雇用から一つの社会の終身雇用へ」ですが、この理念の他社との最大の違いは何でしょうか。

古田 「仕事」という行為は、近年生まれたものではなく、古代から継承されてきたものです。人間にとって仕事の重要性は言うまでもありませんが、人と交流できたり、自分の役割を発揮できたりすることはもちろん大変うれしいことです。日本語の「仕事」という言葉には、楽しみという意味も含まれており、周囲の人といっしょに楽しんで働くことをすることを意味しています。

ある仕事が自分に合っているかどうかを判断するには、10年以上必要でしょう。ですから、自分のしたいことと会社のしたいことを一致させるように努力することが最も重要になります。人間の一生で、そのような調整は多くても3回から5回程度でしょうか。

20年前は日本は日本的社会でしたが、徐々にアジア的社会、そして地球的社会へと変わりました。現在の日本の若者で一つのところにずっといる人はあまり多くなく、中国の若者と言ってみれば同じです。

しかし、若者には一つの会社を1、2年で辞めてしまうのではなく、最低5年は勤めるべきだとアドバイスしたいです。例えば、中国はこの10年、20年間に極めて大きく変化しました。当時1、2年の状況しか見ていなかったら、とても分からなかったでしょう。会社も同じで、5年あるいは10年間やらなければ会社の理念も見定められないし、熟練しないし知識も身に付きません。

もちろん、一つの会社に長くいればいるほどいいということではなく、企業の成長や自身のキャリアプランに基づいて総合的に判断することが基本ですが。

 

中国は最高責任者に

適している

―― 何度も中国にいらっしゃっていますが、もっとも印象的なのはどんなことでしょうか。

古田 中国人は独自の長所があります。例えば社長という地位に中国人は非常に適しています。ですから、日本企業がもし中国人を社長にしたら、大きく成長するだろうと思います。逆にマネージャー、財務といった実務的職種は日本人が向いています。要は中国人はトップに適しており、中間管理職は日本人が適任と言うわけです。日中間の人材交流と補填を進めウィンウィンを実現することが当社の最大の願いです。

渡辺 私が1989年に東京大学に入り、その後中国文学を専攻した当時、周囲の人たちは皆「なぜ中国?」と驚いたものです。それが、2000年くらいになると「先見の明があったね」などと言われるようになったんです。その変化には本当に驚くばかりです。中国のこの大発展を予測できた人は少なかった証左でしょうか。

前職で私は北京で6年間暮らしました。当時は日本企業の駐在員でしたが、主な仕事は中糧グループと提携するなど中国企業とつきあうことでした。最も印象に残っているのは、中国人の同僚と一緒に軍事訓練に参加したことです。その訓練に参加した日本人は私だけで、これは一生忘れられない得難い経験となりました。

 

日中の衝突は米国の利

―― ずっと中国古典文化を研究していらっしゃいますが、それらから何を学ばれましたか。

古田 どうすれば良いリーダーになれるか、リーダーはどのように部下を率いるべきかなどの問題で、日本は中国から多くを学びました。『論語』、『孟子』、『韓非子』、『孫子』などの古典の70%から80%の内容はエッセンスを書いたものです。私は中国人と触れ合い、真剣にこれらの古典を学び、彼らとは心の交流ができました。ですから、古典を学ぶことで日中両国民の心を通わせる懸け橋になると思います。

―― 現在、日中関係は国交正常化以来最も冷え込んでいますが、両国はどのようにこの状況を打破すべきだと思われますか。

古田 人材探しと同様、日中両国は共通のものを探しています。両国は共通の部分で努力し、小異を捨て大同を求めれば、最後は仲良くなることができます。また、私たちは成長の視点で問題を見る必要があります。1977年に初めて北京に行った時には、文革が終わった直後で、みんな人民服を着て、『毛沢東語録』を読んでいました。しかし、40年が過ぎて中国は大きく成長しました。日中両国は変化の中にあり、今解決できない問題は一旦置いておく、ということも必要かもしれません。何年かたてば、かつての大きな問題も小さく変わっているかもしれません。

日中両国はお互いの長所を取り入れながら、さらに深いところで手を取り、ともに未来を創造すべきです。

渡辺  紀子

東京大学中国文学科卒業後、商社にて中国を中心とするグローバルビジネスを担当。北京駐在を経て現在は縄文アソシエイツのシニアコンサルタント・アジア室長として中国アジアを中心に活動している。