内藤 誠二郎 内藤証券株式会社取締役社長
中国経済の転換はアジアの発展を牽引

7世紀、フランスのナポレオンは奇しくも言った。「中国は眠れる獅子である。神よ、彼を永遠に眠らせておきたまえ!」。2013年の年の瀬、内藤証券株式会社取締役社長の内藤誠二郎氏は中国の発展を喜び語った。「幾多の盛衰を経て、30年前、この眠れる獅子は遂に目を覚ましました」。1994年に初めて中国を訪問してより、内藤氏は中国の大発展を確信していたという。彼は中国株の取り扱いをいち早く開始し、まもなく上海事務所を設立した。それゆえ同業者から奇異の眼で見られた。しかし、彼が中国市場を選んだことが正しかったことは事実が証明している。中国新政権1年に当たり、内藤氏は中国経済の転換がアジアひいては世界経済の発展を再び牽引すると信じている。12月27日、日本の証券業界のパイオニアを取材した。

 

 

環境汚染の改善が

中国の転換を早める

―― 現在、中国のGDPは日本を抜き世界第2位の経済大国となりました。新指導部体制のもと、中国経済は着実に発展しています。しかし、日本では「限界にきており、更なる発展の潜在力はない」との報道もあります。中国経済の現状をどう見ていますか。

内藤 中国経済は高度成長の第一段階を終えました。すなわち、量的拡大によるGDPの成長です。しかし、GDPの成長とともに中国社会に大きなひずみをもたらしました。

中国は量から質の時代への転換期に入りました。為政者が環境汚染の改善や国有企業改革ができれば、質への転換をよりスムーズに進めることができるでしょう。

これまで中国は工業製品などの輸出によって経済大国になりました。今後は内需拡大という問題に向き合わねばなりません。中国の消費はGDPの30%に過ぎません。アメリカは60%、日本は50%です。内需拡大には中間所得層を増やし、貧富の格差問題を解決し、出来る限り富を国民に還元する必要があります。

かつてアメリカはものづくり大国でした。しかし、日本に繊維業を明け渡すなど、次第に諸外国の攻勢に負け、代わりに金融を国の成長産業に仕立て上げました。こうして過度に金融業を肥大させた結果が2007年から2009年のリーマンショックでした。『ウォール・ストリート・ジャーナル』も、「アメリカは99%の貧困層が1%の金持ちへのデモを起こした」ことを報じました。

富が偏在すると国が伸びなくなります。中国はアメリカの来た道を教訓にすべきです。日本人の中には、今の中国は日本の40年前のステージだと錯覚している人がいます。実際には、日本の経済発展の良い部分、成功した部分だけから学び、その時代の一番新しい部分を導入するので、発展のステージも速まります。証券会社を引き合いに出せば、中国の証券会社のトップは、日本の最大手証券のトップと同等かそれ以上の年収を得ています。

日本の高度経済成長期、「東京の予算でアメリカが買える」などと言っていました。今、中国も同じような段階にきています。中国が日本のようなバブル経済に遭遇しないことを願っています。

 

中国の大発展を直感

―― 1990年12月には上海で初めて証券取引所が開設され、翌91年7月には深?にも開設されました。御社は中国株式の取り扱いでパイオニア的存在として知られていますが、90年代初めに中国株に注目したきっかけは何だったのですか。

内藤 難しい理由はありません。直感で決めました。私が初めて上海に行ったのは1994年頃です。スクラップアンドビルドで、昔の古い建物をどんどん壊し新しいビルを建設していました。街中埃だらけで、インターチェンジも高速道路もありませんでした。

初めての証券会社訪問は現在の申銀万国証券の前身である万国証券で、中学校の裏にありました。印象深かったのは、万国証券の本社には建設予定の本社新社屋の模型が飾られていたことです。さすが中国だなと思いました。大言壮語というか威勢の良さを感じました。

上海では、道行く人の表情が生き生きとして活力に満ちていました。街全体と人々がガツガツやっているのを肌で感じ、この国は成長する、成長する国の株は儲かる!そう感じたのです。実際そうなりました。

当時、先輩証券マンが、私が中国株の取り扱いを始めると聞いて「中国?」「ケガしないうちにやめておけ」という目で見ていましたが、1997年に香港が返還される頃から「中国の情況はどうなの?」と真面目に話を聞く目に変わっていました。

その頃は毎年2、3回上海に行っていましたが、行く度に上海の新たな発展・変化を目にすることができました。1990年代後半頃、上海は大阪を抜くだろうと思いました。まもなく、大阪を抜いたと思いました。数年後、香港も抜かれたなと。最近になって東京をもしのぐ勢いを感じます。

 

インターネットはできなくても

インターネット営業に精通

―― 日本は80年代から、中国は90年代からインターネットが普及し、インターネットの急速な発展により、投資環境は大きく変わったと言われています。社長自身、海外での業務経験がありますが、グローバル化の観点からインターネットの功罪をどのように考えますか。

内藤 恥ずかしながら、実は私は社内でただ一人、インターネットを使えない人間なんです。しかし、社員にインターネット営業を提案したのは私自身です。インターネットの利便性は認識しています。

しかし、人間関係は対面のコミュニケーションで築くもので、インターネットだけに頼ることは健全ではありません。今は人とのコミュニケーションに乏しく、「空気が読めない」若者が増えてきました。それでは良い組織はつくれません。

また、インターネットによって情報の量はものすごく増え、グローバル化し、世界同時化します。そうすると良いニュースも悪いニュースも一挙に世界に広がり、伝える必要のない情報も伝わります。一般的に悪いニュースの方が伝わりやすいものなのです。インターネットに当然利点はありますが、混乱を招くという弊害もあります。

 

今後も中国での事業を

着実に展開

―― 御社は創業80年の総合証券会社として「日本からアジアそして世界の証券会社へ」を企業理念としていますが、今後の取り組みについてお聞かせください。日本、中国、アメリカにはそれぞれどのように注力していかれますか。

内藤 今後も中国での事業を更に着実に展開していきたいと考えています。中国はすでにアジア最大の経済体になり、アジア経済は世界経済の半分を占める方向です。

当社は日・米・中の個別株で事業を推進します。それ以外のASEANの株式はファンドでの業務を行います。優良企業の株に投資し、日本の投資家に販売するのです。一方アジアの投資家には、低成長といえども日本企業の中で新しい時代に羽ばたいていく企業も出てくるでしょうから、そういう企業の株を買ってもらうのです。

アメリカは移民政策をとっており人口も増えています。中国経済がアメリカ経済を抜くとよく言われますが、アメリカ経済は停滞することはあっても後退することはないと思います。中国は現在一人っ子政策を見直していますが、将来的に7億人から8億人に落ち着いた状態で質の高い経済になることが理想ではないでしょうか。

今後も日本の投資家に向けて中国株のPRをしますが、お客様次第です。2012年の尖閣問題の時には日中の投資家たちが軒並み中国株を手放しました。

 

靖国参拝の日本経済への

影響を懸念

―― 2013年12月26日、安倍総理が突然の靖国神社参拝を行い、中国、韓国、アメリカから厳しい批判が出ていますが、この行動をどう思いますか。

内藤 行くべきではなかったと思います。国家のために亡くなった人を参拝するという解釈は、日本国内にのみ通用する考え方です。国をつくった人々、すなわち明治維新で亡くなった国造りの人々と、外国に戦争を仕掛けたA級戦犯を同一に参拝するというのは、配慮に欠けていると思います。

今回の参拝が日本経済に影響を及ぼすことを懸念します。2012年の時のように日本商品の不買運動などが今後起きないことを願います。今はじっと見守るしかありません。

日中関係はお互い密接な依存関係にあります。日本も中国も民間の企業レベルでは互いにビジネスをやりたいと願っています。中国の経済人も日本に来ましたし、日本からも経団連が訪中しました。この機会に、両国の経済界は何とかしなければいけないとそれぞれが感じていると思います。

 

民間交流が日中関係の基盤

―― 現在、中日関係は緊張状態にあります。このことは経済にも影響を及ぼしています。昨年は民間交流も楽観視できない情況でした。どうすれば関係改善をはかれると考えますか。民間交流が果たす役割についてはどのように考えていますか。

内藤 民間レベルでの交流を地道にやっていくしかないと思います。企業レベル、文化・芸術レベルなど、徐々にパイプを増やしていくことです。そうした土台の上に立って、政治・外交レベルでの相互理解がなされ、両国の交流が深めていけるのだと思います。民間レベルでの交流が活発になり両国の関係が改善されるよう願っています。

昨年は民間レベルでの企業交流は足踏み状態でした。日本商品の不買運動や店舗破壊もありました。そのような中で、車などは最終消費者向けのものづくり産業ですから、最後は出荷量を回復しました。安い賃金を求める企業ならば、今後、中国からミャンマーなどへ工場移転するかもしれません。

また、人民元と円のバランスの関係で日本に工場が戻ってくることも考えられます。国外に工場を増やしてきたので、円安の影響下でも国内で工場を経営していた時に比べて、貿易収支が大幅に増えることは大きく期待できないでしょう。

今後5年、10年経つと、世界は変わっていきますから、工場建設は日本だけ、中国だけとかいうのではなく、時代の変化に応じて柔軟な経営をやらないといけません。時代に柔軟に対応できない企業は淘汰されて行くと思います。