末澤 和政 藤田観光会長
「表面的な平和より率直に向かい合うこと」

水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない。箱根ホテル小涌園では中日国交正常化以前の1961年に中国の各界代表団の受け入れを開始した。これは戦後の日中民間友好交流の先駆けと言えるだろう。中国の著名人も多く箱根ホテル小涌園に貴重な墨跡を残しており、すでに50冊以上の「揮毫芳名録」が作られている。これは日中民間交流発展の重要な記録であるだけでなく、連綿と続いた半世紀にわたる日中友好絵巻ともなっている。2013年11月7日、山県有朋元総理の屋敷だった藤田観光のホテル椿山荘東京を訪ね、末澤和政会長にインタビューを行った。

 

日中民間友好を

若い世代につなげる

―― 御社は、中日国交正常化以前から50年以上にわたり中国との友好関係を築かれています。昨年8月には、「中国各界代表団揮毫足跡展」が開催されました。開催の経緯と、御社が中国との友好関係を築かれた原点について、お聞かせください。

末澤 箱根ホテル小涌園は1959年に開業しました。1961年7月には日中文化交流協会の招きで巴金先生を団長とした中国作家代表団が訪日したのですが、城山三郎さんのご推薦によって小涌園に投宿されました。これが私たちと中国とのご縁の始まりです。

その年の12月、楚図南先生が率いる中国文化友好代表団が訪日し、小涌園にいらっしゃいました。その後、弊社では多くの中国の文化、芸術、スポーツ界の代表団をおもてなししてきました。例えば、62年には中国映画代表団、中国劇作家代表団、63年には中国北京曲芸団、中国蘭代表団、64年には中国京劇代表団、中国バレーボール代表団などです。72年の日中国交正常化以降は、多くの経済界の訪日団が小涌園に宿泊されています。

60年代から今日まで、小涌園は400以上の中国代表団をおもてなししてきました。3000人以上のお客様が即興で揮毫を残してくださり、サイン帳は50冊にもなりました。

これらの墨跡は貴重な芸術品であり、また日中民間友好交流の足跡でもあります。私たちはもっと多くの人びととこの友好交流の歴史をともに分かち合い、温めたいと考え、中日友好協会、日中友好協会と協議し、2010年5月、中国人民対外友好協会和平宮で公開展覧会を開催いたしました。中国の前国務委員、中日友好協会の唐家?会長が開幕式典に出席してくださいました。

昨年は日中国交正常化40周年の年でしたので、東京、箱根、名古屋、札幌でも揮毫足跡巡回展を行いました。これらの揮毫が記しているのは、日中両国の一個人と一個人、一世代と一世代の友好の信頼関係であり、私たちは展覧会という形式でこういった信頼関係を展示し、日本の若い世代に伝えたいと思ったのです。

 

口コミが一番有効な観光PR

―― 御社は箱根小涌園、椿山荘、ワシントンホテルなどを運営され、海外から多くの観光客を受け入れています。現在、日本政府は「観光立国」を提唱していますが、十分な成果を得られていません。観光立国実現に向けた課題は何だとお考えですか。

末澤 個人的には、「観光立国」の実現のためには二つの方向から着手すべきだと考えています。一つは、日本を訪れる外国人観光客に満足していただくこと、もう一つは日本に来たことのない外国人に日本の魅力を知ってもらうことです。

日本に来る観光客の目的は、一つは日本の自然や文化、芸術を楽しむこと、もう一つはショッピング、そしてビジネスです。現在、外国人観光客の8割前後が東京と大阪に集中しています。

お客様に満足していただくために、第1の目的については宿泊と同時に、自然や日本文化に触れるチャンスを持っていただき、第2の目的のためには、日本の優れたメーカーの「メイド・イン・ジャパン」を品質と信用の証とすること、第3の目的については、ビジネスで来日する外国人に日本の投資環境を有望視していただくことです。

また、どのようにすれば、日本に来たことのない人に日本の魅力を知ってもらえるか。日本政府が現在行っているキャンペーンももちろん重要ですが、一番効果的なPRはやはり観光客自身による口コミだと思います。

2020年東京五輪は日本観光の試金石となります。今後7年間、日本が外国人観光客に満足してもらえれば、彼らは帰国後に回りの人たちにその感想を伝えてくれますし、また自身もリピーターになってくれるはずです。

 

チームワークは

日本人のDNA

―― 東京五輪誘致活動で日本人の「おもてなし」が脚光を浴びました。御社の考えるホスピタリティーとは何か。また、海外の観光客を惹き付ける日本の潜在的価値は何だとお考えですか。

末澤 確かに日本のホスピタリティーとおもてなしのレベルは世界から称賛されていますが、私は日本がこの面で外国に勝っているとは思っていません。私が各国で受けたサービスともてなしは、すべて心からのもので、少しも日本に劣るところがなく、それぞれに特色があるからです。

日本は古来農業国でした。長い間、人々はこの狭い島国で一生懸命田畑を耕して、生活を支えてきました。四季が分かれていて、春は種まき、夏は成長、秋は収穫、冬は貯蔵とすべての人々が同じ季節に同じことをしますので、日本人の時間の観念は強いのです。農耕民族ですから、みんなで一緒に働くことで収穫が保障されます。例えば、台風の襲来前にはみんなで急いで収穫し、自分の家が終われば他人の家の収穫を手伝います。ふだんは仲の悪い隣人でも、この時は損得抜きです。また、田んぼで害虫が発生すれば、みんなで協力して除草、害虫退治をし、自分の田んぼさえよければいいということはあり得ません。チームワークはすでに日本人のDNAの一部になっているのです。

日本には八百万の神が宿ると言われ、山、大樹、滝、海、そして太陽、月、火、雷、動物、植物に至るまで、すべてが祭祀や崇拝の対象になります。ですから、日本人はさまざまな価値観を受け入れられ、世界各国の人びとをおもてなしできるのです。外国の人が自分たちの生活習慣と異なるからといって、無理解だったり排斥したりはしないのです。

チームワークと、各種の価値観を肯定することは日本人の民族性です。これが日本人のホスピタリティーが高い評価を受ける根本的な原因であり、外国人観光客を引きつける潜在的な価値ではないでしょうか。

 

草の根交流が

民間友好の大樹に

―― 御社では2010年に「中国営業部」を新たに創設されました。なぜこの部署を作られたのでしょうか。

末澤 これまでもお話していますが、私たちは先達から継承してきた大切な財産を持っています。当時の先達による中国各界との草の根交流が、現在では友好の大樹となっています。しかし、私たちはこの大樹の陰で涼しい顔をしていてはならないのです。草の根交流を続けて開拓し、次世代につなげて発展させ、さらに多くの木を植えなければなりません。これが中国営業部を創設した目的です。

 

文化や芸術の交流が

両国民の心の扉を開く

―― 本年9月には、巴金や鄧穎超、趙朴初などの著名人が宿泊した箱根小涌園で「中秋節in箱根2013」を開催するなど長年にわたり中国との文化交流を続けられていますが、民間レベルでの文化交流の重要性・必要性について、お聞かせください。

末澤 国と国、政府と政府の交流は、情より理に傾き、双方ともに自らの立場に立ち、各自の主張を持っていますので、摩擦が生じることは免れません。しかし、民間と民間の交流は情や人と人との信頼関係を重んじますから、国家間や政府間の関係の影響を受けません。

中国人、日本人を問わず、私たちはみな美を追求し、美を愛し、文化や芸術が日常生活に深く根付いています。私は、相手国の文化と芸術を理解するということは、相手国のライフスタイルを理解する重要な手段だと思います。日中国交正常化以前にも、藤田観光では多くの中国の文化、芸術団体をおもてなししましたが、まさに日中両国の民間芸術交流が、両国の国交正常化のための環境を作り出し、両国の人びとの心の扉を開いたのです。

 

両国は健全な関係という

正常な軌道にある

―― 昨年は中日国交正常化40周年、本年は日中平和友好条約締結35周年です。本来ならば、両国の友好関係は増進されるところですが、現状は厳しい局面を迎えています。今後、中国とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。

末澤 政治のことは分からない民間人として、私は現在のこのような関係は必ずしも悪いこととは思いません。人と人との付き合いと同じで、率直に自己主張をし、双方でともに折衷点、妥協点を探すほうが、本当の気持ちを隠して表面的な平和を保つよりはいいのです。私は現在の日中関係に悲観はしていません。両国の関係は健全な関係を築く正常な軌道を歩んでいると思います。現在は両国の民間人がコミュニケーションを取り、相手に理解してもらい、相手の立場を思いやるよう努力することが重要です。

 

人を知り、部下を守り、

感謝を忘れない

――  “熱血漢”の銀行マンの活躍を描いたドラマ「半沢直樹」が近年例を見ない高視聴率を獲得しました。会長ご自身が銀行マン時代に学んだことは何でしょうか。

末澤 銀行員時代には多くのことを学びました。それは以下の3点です。まず1点目は、人を知ること。銀行ではある会社に貸付を行うかどうか判断する時、まずは経営者を、次にその会社の業界での位置、投資内容と収支計画、最後に会社の財務状況を見ます。経営者の人柄が良く、投資内容に社会的意義がありさえすれば、貸付金は必ず回収できるのです。

2点目は、部下の肩を持つこと。ある時、私は債券の買い入れと売り出しの指示を間違えてしまい、債券部門の部長の叱責を受けました。しかし私の上司である課長が立ち上がって、「末澤の出した指示は私の出した指示です。責任は私が負います」と言ってくれました。とてもうれしく、今後は課長について頑張ろうと決心しました。

3点目は恩を忘れないこと。ある企業のトップが会社の利益が上がらないということで、私にアドバイスを求めてきました。私は財務状況を見て、リストラを提案しました。その方が帰った後、課長から「そんな提案は誰でもできる。彼は部下の顔を、そしてその家族の顔を思い浮かべ、リストラはできないと思い悩んだ末、すがる思いで当行を訪ねてくれたのだ。我々の先輩方が信頼関係を積み重ねて来てくれたからだ。君はそれを“台無し”にしたんだ」と言われました。以上の三点は終生忘れることができません。

 

感謝の心が成功に導く

―― 会長は常々、“仕事は天と地と時の利”と話されていますが、『半沢直樹』と同様に奮闘している日中両国の若いビジネスマンに向けて、メッセージをお願いします。

末澤 今日、貴誌のインタビューを受けることができ、大変光栄に思っています。しかしこれは私自身の努力ではなく、40数年間に先達と中国各界の皆さまとが築き上げた偉大な友情によるもので、これが「人の和」です。「日中友好平和条約」締結35周年にあたる本年、ちょうど藤田観光の会長に就任しました。これが「天の時」です。そして「地の利」とは、多くの部下たちのサポートがなければ、今日の成功はあり得ませんでした。

自分一人の力では、すべてを成し遂げることはできません。ですから、今社会でがんばっている若い人たちにはそのことを分かってほしいのです。そして周囲の環境や周囲の人に対して感謝する心を持ってほしいと思います。皆さんに誤解してほしくないのですが、これは高いところから若者に説教しているのではなく、自分自身にも言い聞かせているのです。人がどんな時でも忘れてはならないのは、感謝の心を持つよう努力することです。