小仲 正克 株式会社日本香堂代表取締役社長
日本の香文化を源流たる中国へ継承

香を焚いて琴を弾き、お茶の香りを味わい、名画の香りを楽しみ、香りに思いを馳せる……人が香りに寄せる想いは、蝶が花を慕うが如く樹木が太陽に向かうが如く、人が生まれ持った天性である。日本の「香」のふるさとは中国であり、日本で発展した。日本香堂は430年前に創業され、世界最先端の生産体制を有する老舗企業である。唯一無二の「香道」の発展と継承に力を入れるとともに、デモンストレーション等の活動を通して、発展・成熟した「香道」という一つの文化を中国へ伝えることに努めている。2013年7月10日、東京・銀座の日本香堂本社を訪ね、「日本の香文化の源流は中国にあります」と語る代表取締役社長の小仲正克氏に、茶道・華道と並ぶ日本三大芸道の一つである「香道」の起源と現状、そして伝統文化を継承する重要性について伺った。

 

 

香りは現代人の癒し

―― 日本香堂は、天正年間に御所御用も務めた伝統ある調香技術を継承しています。織田信長や豊臣秀吉が活躍した天正年間から今日に至るまで、文化は千変万化し、消滅してしまった日本の伝統文化もあります。香文化にはついてはどうでしょうか。

小仲 香文化は日本人の生活習慣に浸透しています。日本の多くの家庭にはお仏壇があり、毎日お線香を焚きます。また、お香を焚いてお客様をお迎えするのも、古くから受け継がれた日本の生活文化です。

現代人の生活リズムは速くなり、ゆったりとした時間を過ごしたいと考える方が増えています。お香には気持ちをリラックスさせる作用があるといわれます。受験生が受験勉強中モチベーションを上げたり、眠りに就くときや、友人とお茶を飲みおしゃべりするときにリラックスするなど、現代人がお香を利用する機会は増えています。

 

香文化発揚のために転身

―― 銀行マンから転身して会社を受け継ごうと思われたのはなぜですか。

小仲 私は子どもの頃、父のシャツにしみついたお線香の匂いを嗅ぐのが好きでした。香は身近な存在だったのです。

大学生のときは起業家を目指していました。銀行時代もその夢は捨てきれず、ビジネスの経験を積みました。しかし、7年半ほど経って、父から会社を継ぐように言われ、香文化という歴史ある唯一無二の文化を伝承していくために、より多くの人を必要としていると考え、決断しました。

 

「香道」は中国で生まれ

日本で発展

―― 日本の全国各地で「香道教室」を開かれていますが、「香道」の歴史について教えてください。

小仲 「香道」は茶道、華道と並ぶ日本の三大芸道の一つです。6世紀頃、香は仏教とともに中国から伝わりました。『日本書記』に、推古天皇3年の595年に、淡路島に香木が漂着したと記されています。島民がそれを火にくべたところ芳しい香りが広がり、島民は驚き天皇に献上し、聖徳太子はこれこそ世に稀な「沈香」であると言ったとあり、それが香に関する日本最古の記録となります。

平安時代の『源氏物語』には、衣服に香りを染み込ませるという場面がよく登場し、貴族が香を生活に取り入れ楽しんでいた様子がうかがえます。室町時代になると、大名が香を収集するようになり、香を焚いて優劣を競う香り遊びが「香道」の原型となりました。江戸時代に入ると、一定のルールに従い、香と文学、詩歌、季節、情緒を組み合わせたり、二種類以上の香木を焚いて香りの違いを識別したりしました。こうして、世界で唯一無二の「香道」が形成されました。

「香道」は、貴族の三条西実隆と武家の志野宗信が創始者とされ、現代の「香道」も、公家の流れをくむ「御家流」と武家の流れをくむ「志野流」の二大流派に分かれます。

 

香文化を中国の大衆生活へ

―― 現在、世界40カ国でビジネスを展開されていますが、今後の中国でのビジネス展開についてお聞かせください。

小仲 お香の原材料は元々「香りの港」といわれる香港から輸入しました。1970年に日本香堂の香港支社をつくり、2003年からはそこを拠点に販売を始めました。中国には何百社というお線香の会社があり、競争は熾烈です。我々は試行錯誤の末に、全く新しい領域でマーケットをつくろうと考えました。それは、仏教的要素を取り除き、お線香を焚くのではなく香りを楽しむことを知っていただき、我々の商品で生活の楽しみを享受していただくというものです。

最初は中国のスーパーマーケットに商品を置かせていただきました。しかし、お香は高級品なのでデパートだろうということになり、今では、直営店として中国全土のデパートに50店舗ほど展開しております。

 

中国生まれの「香道」が

源流に戻る

―― 現在、中国では日本の「香道」に触れてみたいという機運があります。中日両国の文化は同根同源だとも言われます。中国で日本の「香道」を広める意義及び成果について。

小仲 これまで、日本だけでなく海外でも、伝統ある香文化を次の世代に伝えていかなければならないという使命感を持って取り組んできました。また、世界各国で「香道」のデモンストレーションも行ってまいりましたが、中国の方が一番興味を持ち、造詣が深いという印象を持ちました。一から順に説明しなければならない欧米に比べ、中国では一を話せば十解るという感じです。やはり根は同じ文化ですね。中国ではこれまで100回近く「香道」のデモンストレーションを行いましたが、言わば「サケの遡上」で、日本で一つの形となり、発展・成熟した「香道」が、距離や障害を越えて再び源流に戻るのだと実感しています。

 

13年連続で全国絵画コンクールを開催

―― 絵画コンクールなどの文化事業も長年にわたって手掛けられていますが、その目的は何ですか。

小仲 「ふるさとのお盆の思い出」絵画コンクールを2000年から続けています。応募点数は毎年およそ7万点、展覧会場には10数万人が訪れます。日本で最大規模の小中学生向けの絵画コンクールです。

我々は伝統文化の継承の中で生きています。ですから、我々にはこの伝統文化を代々伝え、発揚していく義務があります。毎年お盆になると、みなが子どもを連れてふるさとに帰ります。お祖父ちゃんお祖母ちゃんと一緒に、ご先祖の御霊をお迎えするためです。

日本の各地で、太鼓の音に合わせて踊るなど特色ある催しが行われます。そうしたふるさとの風景を描いてもらい、子どもたちに日本の伝統的な習慣を継承してもらいたいと願っています。

 

日本文化を一番理解できるのは中国

―― 中国、日本ともに若者の間で伝統文化が薄れつつあると言われています。日本の伝統文化継承者として、この点についてどうお考えですか。

小仲 中国へは年に3~4回行っていますが、中国の方たちの前向きで一生懸命な姿に接すると、我々も頑張らなきゃいけないという気持ちになります。また、ここ数年の変化にも驚いています。以前に比べて社会的なエチケットやマナーなど、洗練の度が格段に進化しているように感じます。物事は変化するからこそ、ダイナミズムが維持されることを教えられます。日本文化は中国から多大な影響を受けてきました。伝統文化の流れの中で、共通することはたくさんあります。若者の手による日中共催のコンクールなどが開催できればすばらしいですね。日本文化を一番理解できるのはやはりお隣の国、中国でしょうから。