藤原 洋 株式会社ブロードバンドタワー代表取締役会長兼社長CEOに聞く
知の創造は中国に学ぼう

IT技術大国である日本では、企業が技術の優位性を限界まで発揮させられるかということが重要なテーマとなっている。本来、技術と経営のバランスを取ることが最良の方法であり、技術の専門家に企業を管理させるに越したことはない。しかし、日本ではそのような企業家は非常に少ない。2013年4月25日、工学博士として成功したビジネスマンを訪ねた。彼はマイクロソフトの創業者ビル・ゲイツなど技術に精通する多くの企業家とのハイレベルな交流のなかで、日本の企業経営者の技術に対する理解不足によって知の創造力の低下を招いていることを悟った。取材のなかで藤原氏は、この点で中国がうらやましく、日本の企業家は中国の企業家に学ばなければならないと語った。

 

 

このままでは日本の土壌からは「ビル・ゲイツ」は育たない

―― ビル・ゲイツなどの企業家との交際はよく知られていますが、日本の企業家とアメリカや中国の企業家との違いについてお話いただけますか。日本からはビル・ゲイツは出てこないという人もいますが、いかがでしょうか。

藤原 私はビル・ゲイツだけでなく、スティーブ・ジョブズらとも付き合いがありました。ビル・ゲイツと知りあったのは、彼がマイクロソフトを立ち上げた当時日本にいたからで、そのころ彼を手伝ったことがあったのです。

彼らと付き合うなかで、私は日本のIT企業家たちの最大の弱点は技術をあまり重視しないことだと感じました。日本のIT業界では、技術を重視して成功を収めた企業はほとんどありません。これも、日本のIT企業が全世界のハイエンド技術の領域で主導権を握れず、重要な地位を占められない原因だと思います。当然これも日本の社会構造と大きく関係していると思います。

この点では、私は中国をうらやましく思います。中国では急速な経済発展の過程で、多くの企業家たちが技術を非常に重視し、技術を深く理解しています。このことは、国家の政策決定者の「本業」からも見てとれます。江沢民氏は電気機械エンジニア、胡錦涛氏は水利工程の専門家で、この二人の国家主席自身がともに技術者としての本領を備えていたことが、中国の企業家に大きな影響を与えたに違いありません。

逆に日本企業では、技術者と政策決定者はまったく違います。たとえば、大学では理系と文系とに区別されていて、両者間での相互理解と認識が不足しています。これは日本の教育体制の問題だと思います。技術を重視する企業家、特に技術を重視する国家リーダーと、日本の高い科学技術とをいかにマッチングさせるか、これは日本企業が成長する上で非常に重要なことだと思います。

イギリスから始まった産業革命から、われわれは社会体制の変革も見てとることができます。それは概念だけではなく、技術による変革でした。例えば、自動車の発明後には、世界の『道路交通法』も変わりました。これは新しく法律を策定する人間は新しい技術を深く理解することによって、それに基づいた交通規則が策定されるという変化です。現在、日本社会は細分化、固定化されすぎ、日本に技術を重視しないIT企業家を作り出しているのです。つまり、このままでは日本の土壌からはビル・ゲイツは育たないということです。

 

ノーベル賞受賞後だけの応援ではダメ

―― 日本政府は「技術立国」を提唱しています。ご著書でも同じように科学技術創造立国を提唱されています。以前、江田島の旧海軍学校記念館で「技術立国」という掛け軸を見たことがあります。あの時代の「技術立国」と現在の「技術立国」とはどのような違いがあるのでしょうか。また、藤原会長と日本政府の主張とはどんな相違点がありますか。

藤原 第二次世界大戦以前の「技術立国」は、日本を軍事大国とするために提唱されたものです。イギリスの産業革命が成功し、ドイツの軍事産業が急速に発展したのを見て、日本もこのようなスローガンを提唱し、強大な軍隊をつくろうとしたのです。ですから、当時の「技術」のほとんどが軍事技術でした。戦後、日本は戦争を放棄し、経済的には市場経済の路線をとり、科学技術で稼ごうとしたのです。現在のスローガンはそんな考えから出てきたものです。

しかし、日本政府の提唱する「稼ぐだけの技術立国」はまだ不十分だと思います。なぜかと言いますと、ある日本人がノーベル賞を受賞すると、日本政府はすぐに予算を通しますが、ノーベル賞を受賞していない研究者たちは依然として貧乏です。政府として、成果が現れてからようやくその研究をサポートするというのは頂けません。研究が開始された当初、基礎を築く重要な時期に、長期的発展を見越して選択しサポートすべきです。その順序でなければなりません。

例えば学校教育では、整備された初中等教育、高校教育、大学教育があってこそ、真の研究者が育つのです。日本は基礎の教育をおろそかにしているのに、誰かがノーベル賞をとると、多くの予算を付けています。これは本末転倒です。とても「技術立国」とはいえません。国家はノーベル賞をとるように奨励したり扇動したりすべきではなく、ノーベル賞学者を育成する土壌を作るべきなのです。これまでの日本政府のやり方はとても表面的で、表象的です。

私の著書のなかで提唱しているのは、さらに文化的色合いを持つもので、「科学技術文化創造立国」なのです。日本はこの道を歩むべきで、この方向に発展すべきだと考えています。戦後、日本は西側陣営のメンバーとなりましたが、私は科学技術とは文化であると考えています。外国との交流では自国が最も強く独占している分野の貿易だけに限らずに、科学技術の交流も行う必要があります。そのようにしてこそ、日本は国民的な科学技術レベルを向上させることができると同時に、隣国のため、国際社会のために貢献することができるのです。科学技術はそのような役割を果たすべきで、科学技術は日本と隣国との間の架け橋になるべきなのです。二つ目の役割は、科学技術文化が国民の知的水準とソフト文化の実力を向上させることです。科学技術文化は一時の利益を追求するものではありません。

 

「第四次産業革命」がやって来る

―― 起業家に必要な知の想像力をどのように理解されていますか。また、「第四次産業革命」の到来を予言されていますが、ご説明いただけますか。

藤原 企業家は多くの役割を担わなくてはならないと思います。そのうち最も重要なのは今まだない新しい産業を創出することです。言い換えれば、産業革命は企業家によって起こされなければならないということです。企業家はその責任を担っているのです。例えば、イギリスの産業革命後、以前は多くの人力を使って完成していたものや、人力でも完成できなかったものでさえ、機械によって易々と完成できるようになりました。機械を利用してさまざまな新しい産業が形成されたのです。これらの新しい産業の出現によって、以前は農業に従事するしかなかった人々が工場に入って仕事を得たため、大規模な雇用が生まれました。企業家は企業経営だけではなく、新しい産業を創出する責任を負ってきたのです。それによって新しい雇用と社会を発展させるという効果をもたらしました。

もし既成の産業に頼り、自身の会社のことだけを考えていたら、未来は開けません。経営の合理化は必要ですが、合理化を追求するだけでは、社会に負担をかけることになります。例えば、以前は100人でできた仕事が、今は70人しか必要ない、となれば雇用する人数は減少します。すべての企業が合理化を追求するだけになれば、雇用が減少するだけでなく、社会も前向きの発展を止めてしまうでしょう。ですから、企業家は経営合理化を進めると同時に、新しい産業を積極的に創出すべきです。

新しい産業を創出し、新しい雇用機会、新しい職種を創出する時代が今から始まります。例えば、日本経済の二大基幹産業である自動車と電機産業は日本の技術と雇用を支えています。しかし、よく考えると、多くは、欧米の成功モデルを真似してきました。もちろん日本でも改良を行っていますが、「知の創造」という意味からすれば、この産業界の努力はまだ不足しています。新しい発明、新しい技術を新しい産業に転化させること、これがすべての企業家の原点であり、なすべきことで、また出発点でもあると言えます。

私は「第四次産業革命」の必要性を発表しました。ご存じのようにこれまでの3回の産業革命は社会に大きな富を作り出しましたが、同時に産業革命にはマイナスの影響もあります。以前、イギリスのマンチェスターで、市内の煤けた道路で150年以上前の石炭利用の痕跡を見ました。当時の大気汚染は深刻だったろうと思いました。日本にもそのような時代がありましたし、現在中国でも環境汚染問題が深刻化しています。第三次産業革命はIT産業を創出しましたが、この新産業のマイナス面はエネルギー消費です。2006年のIT産業のエネルギー消費量は日本全体の5%を占めていましたが、2025年にはこの比率が40%前後まで上昇するのではないかと思われます。単純に言えば、コンピュータの速度が上がるほど、スマートフォンが普及すればするほど、消費電力も大きくなるのです。IT産業の発展はやや早すぎ、行きすぎているようで、環境エネルギー問題を生み出しています。

第四次産業革命とはその問題を解決する方法であり、環境エネルギー分野での新技術なのです。その一つの可能性は、再生可能エネルギーの利用で、例えば太陽光、風力発電、および蓄電です。第四次産業革命によって、「再生可能な産業構造」を有する新社会体制を構築する必要があります。

 

中国の学生は日本の学生のお手本

―― 何度も中国にいらしていますが、日中両国間の企業文化にはどのような相違がありますか。また日本の若者は中国のどの点を学んだらよいと思われますか。

藤原 私は10回ほど中国に行っていますが、中国の経済文化はとても合理的だと思います。以前ある中国の大学教授に日本の大学に対する見方を聞いたことがあります。彼は、日本の大学は国に頼りすぎ、いつも国に補助を求めているが、中国の大学は経営の面では進化していると話してくれました。その教授の大学では収入の三分の一を授業料、三分の一を企業からの研究委託費、残り三分の一を知的財産収入から得ているとのことでした。

私はこの教授のお話から、中国の企業家の考え方が理解できました。さきほど申し上げたように、彼らは技術が分かっているからこそ技術の優位性を積極的に発揮できるのです。この中国の大学の経営モデルは問題点を明らかにしてくれました。日本の大企業ほど、国に多額の補助金を求めています。多くの日本の経営者は起業家精神に乏しく、経営不振を社会環境のせいにして、このままでは企業を維持することもできず、雇用を保証することもできません。しかし中国の経営者は、起業家精神が旺盛で、自立しています。中国の方が、市場経済の原理に基づいて行動していると思います。この点は、日本は中国に学ぶべきです。

まさに企業経営者がそんな状況ですから、日本の学生も依存心が強くなるのです。私の経験では、アメリカや中国の有名大学の卒業生はみな小さい会社に就職し、自分の力で会社を大きくしたいと希望しています。しかし、日本の有名大学の学生は多くが大企業への就職を希望します。私はこの点を不満に感じています。日本の学生たちは自分が何もせずに安定した生活を得ようとしています。これは日本の大学教育の問題です。日本の学生はもっと夢を持たなければいけません。この点では自立心の強い中国の学生は日本の学生のお手本といえます。