鈴木 幸一 IIJ代表取締役社長
インターネットは諸刃の剣
――多くのリスクを解決しながら世界を変える

1946年、神奈川県生まれ、早稲田大学卒の鈴木幸一氏は、国内インターネットサービスの草分けとして有名である。92年、インターネットの商用化を目的として、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)の設立に参画し、94年4月には代表取締役に就任した。それ以来、ネットワーク技術の分野で常にイニシアティブをとり続け、日本のインターネット業界をリードしてきた。日本のインターネットの歴史はIIJの設立とともに始まったのである。これまで雑誌のコラムや日刊紙のブログに書き綴ったエッセイをまとめた『言葉の水割り』や、『鈴木幸一の文明漂論』などの著作がある。また、毎年上野で開催される「東京・春・音楽祭」では実行委員長を務めている。

 

情報分野のヴァスコ・ダ・ガマに

―― 日本初のプロバイダーとして大変有名ですね。なぜこの業界を選んだのですか。また、今日のインターネット社会のプラス面とマイナス面をどうみていますか。

鈴木 私が最初にインターネットを知ったのは1969年、23歳のときでした。その当時、インターネットはアメリカでも実験段階でしたが、日本ではまったく知られていませんでした。

インターネットの特徴の一つは情報伝達の技術革新、グローバル化でしたが、技術の中身よりも、その仕組みを変えたことが大きいと思います。

私が考えるには、インターネットこそ、情報分野のヴァスコ・ダ・ガマです。ヴァスコ・ダ・ガマは大航海時代の幕を開け、地球上に物理的なルートをつくり、グローバル化していきました。インターネットはそれを情報の分野でやった。これに気づいたことこそ、この事業を始めたきっかけです。

これまで情報と言うものは国をはじめとする権力やマスメディアが統制してきました。情報の受発信の構造を変え、グローバルで共有できる仕組みを作ることは世界を変えることになりなります。

もう一つの契機は閲覧ソフトの登場です。日本ではネットの商用接続を誰もやらないからやった。しかし、創業当初は役所からなかなか認可を頂けなかった。ただ、この技術は100年に一度の技術革新と言うべきもので、すべての仕組みを変えてしまう技術です。だからこそ早くやりたかった。そこで私どもが先陣を切ったのです。

インターネット社会にはプラス面とマイナス面があります。2012年12月、日本では総選挙が行われましたが、一部の候補者の演説はインターネット動画で見ることができました。もっと進めて、電子投票が実現すれば、投票率も上がり、選挙結果も変わるかもしれません。ネット選挙が解禁されれば、将来の政治への影響も大きいと思います。それをプラスの面とみるかは、議論の余地がありますけれど。

マイナス面は、すべての情報について、規制しにくいところにあります。これまで、情報をある程度統制することで国家というものは成立してきた。しかし、受発信の構造が変わる今日では、どのように情報が扱われ、グローバル化していくか。規制しようにも規制できない部分もある。たとえば、日本の法律では、ポルノを流してはいけない。しかし、アメリカのサイトにつなげれば、光の速さで、リアルタイムで見ることができる。つまり、ある国の法律で規制されていることも外国のサイトにつなげば見えてしまうということです。自国の法律で規制してもしきれない。たとえば、テロリストなどがその国を追われながらも世界に向けて発信し続けることができる。日々、インターネットの利用領域が拡大を続ける中、これは怖いことです。大航海時代から500年経って、情報分野でのグローバル化の時代を迎えています。社会を本格的に変えていくのはこれからです。今後の課題は大きいと感じています。

 

今年は両国の関係改善の年

―― IT分野で中国は日本より遅れましたが、近年、急速に発展しています。中国市場の現状をどうみていますか。日中関係が決して良好とはいえない中で、中国の企業との連携についてはどのように考えていますか。

鈴木 当社は、中国国内におけるクラウドサービスの提供に向けて、北京に本社を置く中国電信(チャイナテレコム)と業務提携を進めています。上海のデータセンターやネットワークなどのインフラを提供してくれています。当社はそれを利用してサービス基盤の構築や運用を行っています。中国電信とは長いおつきあいをさせて頂いています。

日中関係について言えば、現在のような状態は一時的なものだと思います。友好的な未来はかならず訪れます。このままの状況をほっておくべきではありません。それはお互いにメリットがないからです。2013年を両国の関係改善の年にすべきです。

 

外国人の働く環境を改善すべき

―― 次世代インターネットの将来性を考え、若いエンジニアの育成に力を入れていますが、若者の人材育成について、どのように考えていますか。

鈴木 日本人の特性は真面目で、ち密なことを積み上げていくのが得意なところです。あるサービスを運用するとか、クオリティを高めるとか、信頼性を高めることなどは日本人の気質に合っています。一方で、斬新なことを考えたりするのは不得手です。

それが比較的同質的な民族ならではのものなのかどうかはわかりませんが、たとえばアメリカのIT業界を見ると、決してアメリカ人だけで製品を開発しているわけではなく、いろいろな国から来た人たちが、アメリカという場で、それぞれの独自性を生かしながら、個々の才能を発揮できる環境が整っています。

その意味では、日本もアメリカを手本にして、外国の人たちが自由に働ける場になれば良いと思います。しかし、日本語が難しいのかどうか、外国の異質の文化を持った人たちの流入が少ないのが日本の現状です。中国の若者にもあると思いますが、働く場としては日本よりアメリカの方が魅力的なんですね。

若者の人材育成について言えば、中国の学生と話をすると、たくさん質問をしてくる。とても元気がいい。逆に日本の学生はシーンとしておとなしい。技術革新を進めるには多様な民族が混じり合った方が良いのかもしれません。

―― 中国に何度も行かれていますが、どのような印象をお持ちですか。また両国は今後どのような関係を構築していくべきだと思いますか。

鈴木 中国との付き合いは長いです。北京や上海など多くの大学に呼ばれて講演をしました。私は横浜の中華街のすぐ近くで生まれましたから、中華料理とは縁が深いのです。中国でもいろいろな地域の中華料理を食べました。とてもおいしかったです。

また、私は旧い家に育ち「四書五経」(儒学の根本経典、四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、五経は『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)を読まされたり、斗酒なお辞せずといった酒飲みですので、酔って中国の詩の話をすると、まるで李白(唐代の詩人、子供の頃から猛烈な読書家で四書五経を学び詩をつくった)のようだと言われたりします。

好きな都市は大連です。雰囲気が日本の北海道と似ています。北京も上海も面白いですね。私は中国ならどこでも住める自信があります。

ただ、私の息子は今、北京にいるのですが、大気汚染の問題を早く解決した方がいいと思います。今、北京では青空が見えない。かつて北京の青空は日本人の憧れでした。秋の北京の空の美しさは格別で、絵画にも残されています。地方都市の大連も昼間の太陽がまるで月のようです。香港もひどい。とても心配です。

かつて経済発展の時期は、日本も大気汚染の問題に悩まされました。環境分野で日本と協力して改善に努めていくべきだと思います。

いずれにせよ、近年の中国人の反日感情や日本人の中国嫌いを見るにつけ、中日間ではどんどん交流することが大切で、もっとお互いのことを知りあうべきだと痛感しています。