田中 道信 「販売の鬼」
中国市場と企業は営業を重視せよ

先日、東京で行われた日本徽商協会の式典上で、「販売の鬼」田中道信氏が同会の顧問に就任した。このたび、83歳になる田中氏にお話をうかがう機会を得た。田中氏は日本経済界で活躍し続け、日本の200を超える企業を指導し、今なお25社の企業で代表取締役、最高顧問、取締役を務めており、日中両国の企業家たちに深く尊敬されている。2011年7月、田中氏は日本で活躍する女性企業家・陳暁麗が中国安徽省安慶市で起こした泰邦公司を自ら指導しに訪中した。その日、田中氏は朝8時から夜8時まで話し続けた。同社の人々は、彼の卓越した経営戦略思想に啓発され、同時に気力溢れるプロフェッショナル精神に励まされた。また田中氏は、「新華僑の企業のさらなる発展のお手伝いをしたい」と語った。

  

「販売の鬼」

1936年創業の株式会社リコーは今日、オフィス設備のグローバル化、デジタル化をリードしており、世界の150余の国と地域に支社支店を置き、年間売上高は170億ドルに達している。田中氏は1953年に西南学院大学商学部を卒業後、理研光学工業株式会社(現・株式会社リコー)に入社、福岡支店に勤務した。戦後まもない当時、オフィス用品はそれほど売れなかった。彼は九州地区での営業成績によって「販売の鬼」という称号を勝ち取り、その後も広島支社、大阪支社の支社長を歴任し、1970年には40歳でリコーの最年少取締役に就任した。

昨年末、田中氏を訪ね、1953年のリコー入社当時からのお話をうかがった。

意外なことに、田中氏はすぐに「販売の鬼」について触れはしなかった。「1953年というのは戦後からまだ間もなく、各業界が発展しようという時期でしたが、給料が取れる仕事を探すのは決して簡単ではありませんでした。私の生家は父が15歳で死去、母の許で育てられた貧しい家で、6人の弟、妹との生活のため、母と私で行商をして歩きました。ですから、大学卒業後リコーに入社できると決まった時は本当に感激しました。私はもう大学生ではないんだ、立派な人間なんだと思い、恩を感じながらリコーに入社しました。私は毎月給料をいただく時、内心ではたいへん恥ずかしく思い、自分にこう問いかけたのです。『こんなにたくさんの給料に見合うだけの仕事をしただろうか』と。そんなふうに仕事に対しては、もっと会社にもうけさせる方法を考えるように、いつも自分を鼓舞していました。自分の苦労や疲れなどはなんでもありませんでした。その信念をよりどころにして、私はリコーの福岡支社でしっかりと足場を固め、3年間で市場を広げたのです」。

「お客様は神様」

ここで、私は目下の中国市場を思った。大量の農民が都市に出てきて仕事を探し、大量の大学生が就職活動をしている今日の中国は、当時の日本に似ているところがある。異なる部分といえば、現在の中国の若者は仕事に関して浮わついた気持ちで、他人と比べてばかりで、責任感や恩を感じる精神も少ないことが、中国の職場の質に影響を及ぼしているという点だ。

田中氏は中国を20数回訪問しており、中国市場に大きな変化が生じていると認めている。「初めて上海に行ったのが1986年で、その後行くたびに大きな変化を感じていました」。同時に田中氏はこう指摘する。「中国企業、市場は販売に対する認識が不足しており、まだ販売の神髄を把握していません。多くの人は顧客が最も大事、顧客第一、お客様は神様だと言うものの、心の中では本当にそのように思っていないのです。私の見たところ、中国の中小企業は販売をしていますが、大企業は基本的には直接販売はせず、代理店を増やすことに力と財力を注いでいます。これは実質的に顧客を軽視、販売を軽視しているということになります。彼らは販売の重要性を認識していなかったり、販売を軽く見ていたり、また販売という苦しみに耐えられなかったりしています」。

田中氏は、多くの企業が「お客様は神様」だと言うが、では「神様」に対してはどうすべきなのか、それはオフィスに座って口々に「神様」を敬っていることではなく、まず第一歩は外に出て「神様」を拝むことで、「神様」と会うことが必要だと言う。販売は「口」を使い、もっと「足」を使わなければならないのだ。

「時間厳守が基本」

田中氏は昔を回顧してこう言う。「以前、一部の営業マンは顧客のところに3回通った後、もし結果が出なければもう行かなかったのですが、私は少なくとも5回は行きました。ある時は行ったけれど顧客が留守だったので、名刺を残そうとしました。しかし、その時私は名刺を置くだけでは足りないと思ったので、名刺に「お訪ねいたしましたが、ご多忙のようでお目にかかれませんでしたので、失礼いたします」と書きました。このようにして数回訪問した後、顧客は「何度も来てもらってすまなかった」とおっしゃって、当社の製品の紹介を真剣に聞いてくれたのです。

営業に従事する者は、時間厳守が「基本中の基本」だと田中氏は言う。「私が営業を担当していた時には、いつも約束の時間より10分は早く現地に着いていました。多くの企業で最高顧問を務める今でもそのようにしています。ある時、営業に行った事務所で、入り口が分からなくて時間をロスしてしまい遅刻したことがあったのです。それ以来、行ったことがない場所で営業するときには、いつも十分な時間の余裕を持って早めに出発し、二度とそのようなことがないようにしました」。

「営業に行くときには早めに目的地に着くという、その早めの時間の中で多くのことができるのです。例えば、頭の中で顧客との商談をどのように始めようかと考えたり、パソコンを開いて情報を確認したりします。このほか、その会社に出入りする社員の顔色を観察し、やる気があるかどうか見たりします。ある有名企業に営業に行った時のことですが、会社の玄関から出てくる社員たちがうなだれてひそひそ話をしていたのです。「今月の給料もまた遅配だろうな」と言っているのが聞こえました。当時はすでにこの会社を何度も訪問しており、契約を結ぼうという段階でした。私はこの情報を得てから、とりあえず契約しないことをすぐに決めました。その数カ月後、この会社は倒産しました。私はこの情報のおかげで自分の会社に損失を与えずにすんだのです」。

日中関係の早期改善を

田中氏の数十年にわたる販売経験は、短いインタビューの時間でとても語り尽くせるものではない。彼の著書はすでに中国語に翻訳されており、中国東方出版社から刊行予定となっている。彼の著書は日本の「経営の神様」稲盛和夫氏の著書と同様、中国で大きな反響を呼ぶだろうと言うと、田中氏は笑って「稲盛和夫先生は哲学的な視野から経営を語っています。彼はマクロ的ですが、私は実用的な角度から販売を語っていて、ミクロ的です」。

インタビューが終わる間際、こらえきれず微妙な問題について聞いてみた。民間人として「諸島」をめぐる問題についてはどう考えているか、という問いに対して田中氏は明快に答えた。「日本政府は愚かなことをしました。以前、自民党政権の時には中国を研究していましたが、民主党政権は中国について無知だと言ってもいいでしょう。だからあんな愚かなことをしたのです。このままでは日本経済は大変なことになります。今は政治と経済が分けられる時代ではなくなりました。ですから、一日も早く日中関係を改善できるような方策を考えることが必要です。お互いの歴史と文化をよく理解しようとする気持ちをもって、進めることが根本的思想と思います」。