宮原 耕治 日本郵船株式会社代表取締役会長
130年を超えて日中の経済成長を支える

日本郵船株式会社(略称「日本郵船」)は世界のトップ500位の企業の一つで、創業してから120年以上たつ。これまで、日本郵船は中国の命運と深く関わりあってきた。「大道が正しく実践されたとき、天下は公のものとなる」――これは中国革命の先駆者、孫中山先生が1918年に日本郵船に贈った貴重な書である。その後の日本郵船の発展はこの言葉を実行し、グローバル資源をシェアするという理念を持ち続け、ウィンウィンの道を歩んでいる。7月10日、日本郵船株式会社の宮原耕治会長にインタビューした。

 

130年以上続く中国との深いつながり

―― 1875年、日本郵船の前身である三菱商会は横浜から上海までの定期航路を開設しました。これは日本初の国際航路です。周知のように、日本郵船は革命運動中の孫中山を乗せるなど、中国と深い関わりがありますね。

宮原 およそ150年ほど前は、日本は何も持たない海上の小さな島でした。明治維新以降、政府は殖産興業を重視しました。島国として国を発展させ、国民を幸福にしようとするなら、イギリスのように海運事業を発展させなければなりません。明治維新の初期に日本はそういうチャンスを迎えたのです。三菱グループの創始者である岩崎弥太郎は海運事業に着手し、日本郵船株式会社の前身である三菱商会を設立しました。

1875年、三菱商会は日本初の横浜と上海の外国定期航路を開設しました。それ以前は、北海道から大阪までのような、国内の海上航路しかありませんでした。ですから、横浜から上海までの定期航路の開通は、日本にとっては記念にすべき壮挙でありました。

日本がはじめて外国との定期航路を開通するにあたって中国を選んだのは、中国はまぎれもなく日本にとって大切な隣国だからです。現在、日本郵船は三菱商会として中国と縁を結んでから、130年以上も深いつながりがあります。今年は日中国交正常化40周年です。40年前、当時の社長が中国のお招きで訪中しております。

日本郵船は辛亥革命の指導者、孫中山先生とも深い関わりがあります。ご承知のように、孫中山先生は1913年と1918年に日本に来日されたことがあります。1918年に孫中山先生は広東軍政府の大元帥を辞退した後、日本郵船の「信濃丸」号に乗って日本に来られました。

その時、キャビンで書を書かれました。これは日本郵船にとって、かけがえのない宝です。第二次世界大戦終結前は、人も物資も船舶の輸送に頼っていました。その頃の船は貨客船と呼ばれ、最下倉に貨物を積み、中間キャビンに乗客が泊まります。その時代、孫中山先生をはじめとする世界の数多くの著名人はわが社の貨客船に乗船されています。チャップリンやヘレン・ケラーなどもいらっしゃいました。

日本郵船の成長とともに、ニューヨーク、シンガポール、ロンドンなど世界の各地に支社を開設しましたが、戦前においては上海支社の規模は支社のなかでも一番大きな存在でした。日本郵船にとって、どんな情況にあっても中国との関係をなくすことはできません。

中国の従業員を国際的な人材に育成

―― 競争の激しい中国市場で勝ち抜くために、日本郵船はハードウェアとソフトウェアの両面に力をいれているようですが、今後、中国での事業を拡大していくための課題は何でしょうか。

宮原 日本郵船の中国における事業は、海上運送、内陸運送、貨物の保管や付加価値サービスに重点をおいています。今、中国の自動車製造業が飛躍的に発展し、各種の自動車部品が世界各地から中国に運ばれてきています。いかに安全に保管し、すばやく輸送できるかが常に重要な課題であり、サプライチェーンの鍵でもあります。

自動車製造工場にとって、貨物を確実に期限に合わせて輸送できるかどうかが重要になっています。自動車の部品は私どもが責任を持って運び、完成品の自動車も我々が責任をもって全世界の国々に送り出しています。中国市場でもう一つ重要な事業がブラジルやオーストラリアなどの国から鉄鋼の原材料を中国に輸送することです。すでに宝鋼集団をはじめとする中国を代表する鉄鋼企業と20年間の輸送契約に署名しており、20万トン級の鉄鉱石輸送船による貨物輸送事業を引き受けています。日本郵船は日本の企業ですが、中国の大きな企業のお客さまからも安心して任せられるという信頼を頂いています。

現在、世界に5万4000人の従業員がいますが、そのうちの80%は外国人で、中国の従業員は全体の10分の1を占めています。今後の課題は、中国の従業員を国際的な感覚を持ったマネジメントに育成することです。中国の従業員も日本に来て研修や育成訓練を通して経験を深めています。

両国の青少年の交流促進が自分の務め

―― 中日関係が非常に微妙な時期に入りました。岡山県青年会の会長として、中日間の青少年の交流について、ご意見を聞かせてください。

宮原 日中間の最大の問題は、双方に対する理解が足りないということではないでしょうか。そして、一部のメディアの報道が表面的なことだけを重視し、日中間に不必要な誤解をもたらしました。しかし、メディアだけを責めても始まりません。互いの理解を深めるためには、交流を強化することが非常に重要で、我々は両国の青少年に交流のチャンスをつくってあげる責任があります。また、青少年の間だけでなく、日中の若い政治家も交流を強めるべきだと思っています。日中の政治家の間には不信感が漂っていますし、メディアの影響を受けやすく、メディアの一方的な報道だけで結論をくだしがちです。

日本のこれまでの世代の政治家は日中の友好往来を重視してきました。中国を理解するために、よく中国へ行っていました。こういう良い伝統を、若い政治家の皆さんたちも受け継いでほしいですね。

政治の不一致は経済の動向に影響しない

―― 中日は政治面で不一致が生じていますが、日本の経済界の代表として、今後の経済活動に影響を与えると思われますか。

宮原 日中は政治面で確かに小さな不一致がありますが、先ほど申し上げたように、その根本的な原因は互いの理解が不十分なことにあります。

中国の人口は13億人、日本の人口は1億人です。両国の国民は安定した収入と生活の向上を望んでいます。両国の経済界はそのために、ともに努力していく責任があります。

それと同時に、政府もこういった認識に立ち、大局から出発して長期的な視野で、FTA協議を推進し、通関手続きを簡素化させて、両国間の経済協力がいっそう促進することを願っています。

中国の企業家は実力も思想もある

―― 宮原会長はこれまで中国に何回も行かれましたが、中国で印象深かったことは何でしょうか。

宮原 中国の友人ですね。中国には何十回も行ってます。中国で印象深かったのは、やはり悠久な歴史と文化です。中国の書道や骨董品にも、中国の人の考え方にも、それを感じます。

中国の企業家たちとのつきあいを通して、彼らが経営管理に優れているだけでなく、それぞれ独自の哲学を持っていることを知りました。そして、人と人との関係を重視し、誠実さを重んじ、人を基としていることに感動しましたし、たいへん勉強になりました。

また、私は中国の食文化と酒文化も好きです。中華料理は食材が豊富で調理法も多様で、同じ食材を使ってもいろいろな料理に変化します。これも中国の悠久な歴史によって、もたらされたものでしょう。最近、中国では白酒(バイチュー)を飲む人が減ってきてるようですが、おいしい酒なのに残念なことです。

社会貢献は企業の責務

―― 日本郵船は物流業界のトップ企業として環境保護、省エネ、社会貢献を重視しています。最近、中国の企業も社会的責任を重要視しはじめましたが、この方面での経験を話していただけますか。

宮原 企業の社会的責任は日本郵船の重要な使命です。社内にはCSRグループと呼ばれる企業の社会的責任を果たす活動に取り組む部門があり、安全、環境保護、人権、社会貢献などを担当しています。公益活動では、中国とも深い関係にあります。例えば、河南省洛陽市の王坪郵船中日友好希望中学と尋村日郵一中に校舎を建設し、毎年、設備拡充のお手伝いを続けています。上海海事大学と大連海事大学にそれぞれ奨学金とNYK特別クラスを設け、中国の貧しい地域の学生のために高等教育を受けるチャンスと日本郵船に就職するチャンスを提供しています。社会に貢献できない企業は、社会から信頼を得る事も難しいのではないかと私は考えています。