石井 泰行 賀茂鶴酒造株式会社名誉会長
発想を転換して日中関係を新しい時代に

「清酒は神様からの賜りもの」――千年来、清酒は日本人の誇りである。大宴会、結婚式、街かどの酒場から一般庶民の家まで、清酒は日本中いたるところで目にすることができる。日本のように酒を心にかけてきた国はほかにないだろう。

 日本の皇室御用達の清酒である賀茂鶴は、清酒の王様で、日本では「酒王」と呼ばれている。賀茂鶴酒造株式会社は1623年創業で400年の歴史をもち、その清酒は磨き上げられた技術によって造り上げられ、品質のすばらしさは折り紙つきである。政府主催の宴会やさまざまなハイレベルの宴会で、常にトップに選ばれる銘酒である。

 最近、広島にある賀茂鶴酒造株式会社の本社で、名誉会長である石井泰行氏に話を伺う機会を得た。かつて石井会長は『毛沢東選集』を信奉しながら中国経済を学び、神保町の古書店で魯迅の本を探す早稲田大学の学生であった。

今なお1954年に郭沫若氏率いる訪日中国科学代表団を迎えたときの光景を記憶にとどめている。若い時からずっと中国に深い関心を抱き続け、中国が改革開放されるや、真っ先に清酒を中国市場に送り込み、事業での大成功を収めた。日本の清酒と中国について話しだすと、眼はらんらんと輝き始めた。

 「賀茂鶴酒造の清酒は、どのようにしてグローバル競争の激しい酒市場で盤石な基盤を固めることができたのですか」と尋ねると、石井会長は「中国市場をつかんだことが最大の秘訣です」と打ち明けてくれた。

ここ数年来、中国市場での日本酒に対する需要は旺盛で、この会社に大きな発展をもたらしている。以前は賀茂鶴酒造の主な輸出市場はアメリカだったが、現在では中国への輸出量がアメリカの3倍になっている。

石井会長は「フランスワインはフランス国内の販売額を急速に落としている一方で、中国への輸出量を増大させています。他の国の酒もみな同じ情況にあり、今日、中国市場なしには世界の酒造メーカーは成り立ちません」と話す。

 中国には「酒は人柄を見る」ということわざがある。強い中国酒と比べると、清酒の味はさわやかである。多くの学者は、国民性と関係があると考えている。

石井会長は「中国酒と日本酒は酒の作り方が違います。中国酒は一般的に蒸留酒ですが、日本酒は主に醗酵を経て造るので、味わいが異なります。体質の違いもあり、中国人は酒量が多い。中国の白酒(バイチュー)は度が強いですが、日本の清酒はさっぱりしています。とはいえ、お酒を飲んだ後のほろ酔い気分はみな同じです。いずれも人生の大きな喜びになっています。この点では、東洋人共通のものを含んでいるのでしょう」と説明する。

 酒文化について話を終えると、日本酒の醸造に用いる米の問題に話を移した。福島第1原発事故後、日本の多くの食糧生産地が放射能汚染の被害に遭い、日本酒醸造の米に大きな関心が高まった。

最近、日本が中国から米の輸入を始めたことに対し、中国の良質なお米を使って日本酒を醸造することになるだろうと予測する者もいる。しかし、石井会長は専門家として異を唱える。

「醸造に用いる米は気象条件によって大きく左右します。日本国内でさえ、使う米によって醸造される酒の味が違ってきます。たとえば広島県の米で造る酒は秋田県の遊佐米、京都の伏見米でできる酒とは味がまったく異なります。賀茂鶴の清酒の伝統の味を守るためには、広島県産の米を使わなければなりません。以前、日本酒メーカーが中国に進出し、中国の地元産の米で清酒を造ったことがありますが、味の差が余りに大きく売れ行きも思うようにいかなかったと聞いています」

 最近中国の酒マーケットでは、“日本酒は成功者が飲む酒”とされ、通常1本500ミリリットルの賀茂鶴が980元前後(約1万3000円)で売られている。そうした中、日本国内における清酒の大衆化が、中国国内で論争を呼んでいる。

これに対し石井会長は「みなさん誤解しています」と言う。「日本酒には等級があり、大衆化した酒もあれば、高い等級の酒もあります。賀茂鶴の清酒が対象とするのは消費レベルが比較的高い人々です。昭和天皇の80才のお誕生日の御祝を皇太子殿下(現天皇)の主催で行われた時、殿下より『桜の花びらの金箔を盃に浮かべて乾杯したい』との御内意を承り、私どもで桜の花びらを金箔で切り納入しました。丸の内の『山水楼』が中華料理を担当し、宮田社長から全宮家全員が桜の金箔を飲み干しておられたとの報告があり、それ以来『特製ゴールド賀茂鶴』に入れられていた四角い金箔は桜に変わりました。現皇太子殿下は英国留学中御指名があり英国の日本大使館にお送りしました。秋篠宮殿下は山科鳥類研究所のレセプション以来、御指名頂いております」。

 近年、中国の成功者が高級な日本酒を飲んでいる現象について、石井会長はズバリ指摘する。「そういう方々の中には、確かに日本の清酒文化をしっかり理解されている人もいらっしゃいますが、一部には高級な日本酒を飲むことを身分やステイタスの象徴とするだけで、日本酒の真髄を理解していない人もいるでしょう。物質的にも精神的にも豊かになってはじめて、本物の清酒の味が理解できるのだと思います」と。

 賀茂鶴の清酒は長い間、日本酒の中で他を圧し、世界の特級酒の品評会でも何度も大きな賞を受賞してきた。それでは賀茂鶴の清酒はどのようにしてこれを達成できたのだろう。

石井会長は記者に対して、会社の核心的理念について紹介してくれた。

「会社の成功で最も重要なものは精神的なものです。寿司を作ることにたとえれば、手で握ってできた寿司と機械で型にはめて造る寿司とは違います。心があってはじめて賀茂鶴の清酒ができる、これが賀茂鶴酒造の理念なのです」

さらに、「科学技術は必要ですが、科学よりもっと大切なのは信念です。賀茂鶴の清酒は簡単にできたものではありません。一瓶ごとに会社で働く人たちの心がこもっているのです。あの口当たりのさわやかな一杯の清酒の中に、消費者は一口で濃密な心を感じ取ることができるのです」と。

最後に、石井会長は最近の日中間の問題に言及した。「日本と中国は、距離は近いがお互いに分からないことがまだまだたくさんあります。両国はこれまで自分の立場で相手を見てきましたが、これではおのずと理解できないことが増えていきます。お互いに発想を転換して、相手を本当に理解することを学ばなければ、日中は新しい時代に進めないのです」。