「中国ギャップイヤー計画」プロジェクト
新しい道を選択し始めた中国の若者

湖南師範大学を卒業したばかりの孫暁さんは当初、アフリカについて「黒い悪臭を放つ用水路、道端に横たわる病人、ハエが群がる魚を売る屋台」といったイメージを抱いていた。ところが、2015年、「中国ギャップイヤー計画」に参加しケニアを訪れた彼女がその1年後に話した現地の印象は、「スラム街で元気よく生き生きと落書きを描く人、民族舞踊を情熱的に踊るダンサー、好奇心いっぱいの子供たちの好奇心に満ちた大きな眼」といったものだった。

孫さんが参加した「中国ギャップイヤー計画」は、中国青少年発展基金会の出資援助による社会共益プロジェクトで、卒業を控えた若者たちが、国外または海外に3カ月から1年間出かけ、異文化を体験することを支援するという内容だ。彼らが、引き続き研究を深める、あるいは社会人になる前に一定の期間日常生活を離れて異文化を肌で感じることを通じて、自分自身をより深く知ることを目的としている。2016年の「中国ギャップイヤー計画」の募集は、4月15日にスタートする。


「中国ギャップイヤー計画」に参加している若者たち

将来のことを考えるための一定の期間

2015年、「中国ギャップイヤー計画」は、8人の若者が、中国国内、米国、オーストラリア、スリランカ、インドに赴き、ボランティア、アシスタント・ティーチャー、アルバイト、旅行などを行うための資金を援助した。

ギャップイヤー計画の主目的について、同計画の発起人である喬新宇氏は、「一言でいえば、『シンプルと幸福に立ち返る』ということだ。私は、社会という大海原の波に若者たちが呑み込まれてしまわないようにと願っている。半年から1年間、自分が心からやりたいことを実行に移し、将来の自分の仕事や人生の意味を落ち着いて考えて欲しい」と話した。

国外から海外に拡大

中国青少年研究センター青年所の鄧希泉・所長は、「『ギャップイヤー』は、社会・経済の発展がある段階まで来ると、必ず現れる現象のひとつであり、新たな潮流となった生活様式だ」と指摘した。

「ギャップイヤー」という概念は、1960年代にヨーロッパで生まれた。1972年、「ギャップイヤー・アクティビティ・プロジェクト(GAP)」という組織が英国で誕生した。

海外、特に英国、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの各国では、「ギャップイヤー」がかなり発展しており、成熟している。ギャップイヤー関連プロジェクトは、数年前から英国での流行の兆しを見せ、若い多くの学生の間で人気が高まり、大学からの支持も得ている。

中国でも、「ギャップイヤー」は、若者たちの間で日ごとに人気が高騰している。2009年、「遅到的間隔年(遅れたギャップイヤー)」が出版され、多くの人々の関心や興味を集めた。2009年末、国内大手SNSサイト「豆瓣(Douban)」のユーザーが自発的に立ち上げた「ギャップイヤー旅行網」が誕生した。2014年、喬新宇氏は他の発起人と共同で、「中国青少年発展基金会中国ギャップイヤー公益基金」を設立した。翌2015年、「中国ギャップイヤー計画」が始動した。


「中国ギャップイヤー計画」に参加した孫暁さん

参加者の心配や疑念を払しょくすべき

新しい理念である「ギャップイヤー」は、中国で発展するプロセスで、さまざまな困難に遭遇した。進学・就業の圧力や帰国後の不確定要素などさまざまな原因によって、多くの学生は、「ギャップイヤー」の道を選ぶことを躊躇した。

中国青少年発展基金会公衆普及部の顧蒸蒸・部長は、このような問題について、「現在、基金会は普及計画の見直しを進めており、募金・伝播・普及から出資援助・実施に至るまで、安定的な発展・推進に全力で取り組んでいる」と述べた。

さまざまな困難があるものの、「ギャップイヤー計画」の前途はきわめて明るい。参加者は、ギャップイヤーの間に、自分が本当に進むべき方向を見つけることができる。NGO(非政府組織)の仕事につき、公益事業に身を捧げている人もいる。