紙媒体はメディアとして生き残れるのか

1月7日朝、邵逸夫(ランラン・ショー=香港の映画製作者)が逝去したというニュースがソーシャルメディアやモバイルニュースのユーザー端末で天地を襲わんばかりの勢いで流れてきた。各大手新聞はすでに印刷が終わっており、掲載されたのは24時間経ってからだった。情報伝達がかくも手っ取り早く行われるモバイルインターネットの時代である。今日、紙媒体にはどのような優位性があるのだろうか。

 

相つぐ休刊――冬の時代

2013年、紙媒体は発行量の減少、印刷コストの上昇、広告収入の減収という厳しい情勢に見舞われ、多くの紙媒体が突然消え去り、この冬に別の意味での寒さをもたらした。

上海報業集団傘下の『新聞晩報』は昨年11月1日の1面に2014年の定期購読を募る広告を掲載したが、12月24日、「休刊公告」を掲載し、定期購読者に休刊後の購読取消や振替について説明した。

特筆すべきは『新聞晩報』の休刊が有名な『解放日報』と『文匯報』が合併して誕生した上海報業集団というバックボーンがありながら起こったという点だ。

かつてのライバルとして、解放日報報業集団と文匯新民聯合報業集団はそれぞれの傘下に多くの質や内容が似通った新聞や雑誌を抱えていた。上海報業集団の成立後、当然のごとく、同じカテゴリーの新聞や雑誌を「整理統合」するのは避けられないことだった。

新年に入り、これまで日刊だった『国際金融報』が何の前触れもなく忽然と休刊してから1週間近くを経て、1月6日に改めて発行した1面には「読者の皆様へ」と題する、今後は日刊から週刊に変更するという一文が掲載された。

2つの出来事がわずか10日の間に起こったことで、紙媒体の限界を嘆く声、「悲劇」の新たなテンプレートだという声が聞こえるようになった。

 

現在のメディアはチャネルが主役

新興のネットワークメディアはインターネットと共に成長し、モバイルインターネット端末の普及に伴って急速に成長した。コンテンツが生まれてから読者の手に届くまでの間にはただ1つの送信キーがあるだけだ。

紙媒体には印刷前に長いプロセスがあり、紙面を作り終えて工場での印刷に回す際に衛星を使ったとしても、その後にまだ製版、印刷の工程がある。そして実際に読者の手に渡るまでには郵便局からの投函という段階を経なければならない。

情報へのタイムリーなアクセスという面で、紙媒体はネットワーク上の新興メディアには完敗だ。だが、専門的かつ深みのある分析や解説では紙媒体の「完全なロジック、プロによる質の高い抑えの利いた文面」は依然として強力な競争力を持っている。

マクルーハンは「メディアとは情報だ」と言った。モバイルインターネットの時代、メディアは情報であるだけでなく、それはチャネルでもある。

紙媒体はできる限り多くの購読者を獲得し、ニュースのプロが提供する内容の正確性を保証し、独自の視点と観点を通じてその影響力を拡大し、最終的には広告をニュースと抱き合わせにして伝えていく中で収益を獲得する。

だが、紙媒体上のコンテンツはただ紙に印刷されるだけではない。ポータルサイトは強大なプラットフォームの力で、ほとんどコストをかけずに紙媒体から貴重なニュースコンテンツと情報をつかみ取り、広告収入のますます多くを奪っていくのだ。

従来のメディア人の感情から言えば、「コンテンツが主役」だという誇りは理解できるが、ビジネスモデルで見るならば、仮に紙媒体がチャネルの革新によって多少の応戦を試みたとしても、その結末は単なる「嘆息」だ。現代メディアへの転換に尽力している伝統メディアにとっては「プラットフォームが主役」というのがあるいは正道かもしれない。

 

ニューメディアとの融合が鍵

「伝統的メディアはニューメディアに取って代わられるのか」という質問に上海社会科学院新聞研究所の強蛍所長はきっぱりと「あり得ない」と答えた。

復旦大学情報・伝達研究センターの黄旦主任も、「現在、『ニューヨークタイムズ』は電子版にいっそう注力していますが、電子版に関心を持つ人がいるのは、やはりそれが紙の新聞と関連しているからです」と述べている。

モバイルインターネット研究連盟が調査したあるデータは、相当数のユーザーが依然として新聞を重要なニュースの取得手段としており、かつ「紙媒体の影響力はステークホルダー(消費者等)に影響を与える点だ」ということを明らかにしている。

だが、ますます多くの読者が日刊紙や都市報を通じてではなく、また携帯電話ニュースやPCのインターネットからでもなく、携帯電話あるいはタブレットPCのニュースクライアント端末で多くのニュースをタイムリーに得ていることは否定できない。

かつては最新のメディアだったモバイルニュースは現在では逆に時代遅れになってしまっている。1月12日、『新華毎日E刊』が1月15日を以て正式に配信を停止することを発表した。

すでにミニブログはファッショナブルなものではなく、WeChat(ウィーチャット)ですら人々から「飽きた」と感じられている中、最新の科学技術がもたらす最新のチャネルを積極的に取り込んでニューメディアとの主体的な融合を選ぶことしか紙媒体を救う道はない。

時は流れ、技術は進歩し、情報のキャリアは変化しつつある。変わっていないのはメディア業界の人間だ。メディア人の「道義を貫いて、見事な文章を書く」という節操が残っていれば、あるいはいつの日か、紙媒体は1つのニュースユニットとして紙への印刷から脱皮して存在し続けているかもしれない。

大衆の記憶の中には、その正確さ、詳細さ、客観性が紙媒体のイメージとして残っており、印刷媒体というキャリアが変わっても、依然として人びとから敬意を持ち続けられているだろう。