モダニズム建築は中国の古典建築美と融合すべき

西洋人は建築デザインにおいて、「実」を体現する。例えば建築に彫刻化という特徴を持たせたり、部分と全体との比率、均衡、リズムを重視し、一種の形式美を創造することに重きを置く。人びとにさらなる奥行き感、立体感、超現実感を作り出している。

 

モダニズム建築思想の実験場

近年、モダニズム建築の思想が中国でしばしば表現されている。アモイの瑞華ハイテク研究開発センタービルは、「ねじれ麻花ビル」とも称され、見上げると腰が痛くなると揶揄されている。このビルは高さ99.7m、独特なデザインで、まるで建設中止の状態にあるようだ。それ以前には上海に「3つのキッチン道具」が出現した。上海のシンボル的建築物である上海環球金融中心、金茂大厦、上海中心大厦の3つのビルで、外見がそれぞれ「栓抜き、注射器、泡立て器」のようだと言われている。中国の大地はモダニズム建築思想の実験場となっている。

 
寧波博物館は、王?の「新郷土主義」建築の最も典型的なものであり、
中国文化を注入したモダニズム建築と認められている。

戦後の世界とモダニズム建築

建築史をさかのぼると、第二次大戦後、戦争で中断していた建築活動が各国で次第に盛り上がり、モダニズム建築の提唱者たちは戦前には実践できなかった理論と構想を実行に移し始めた。ドイツの現代建築家グロピウスとミースファンデルローエが率いるモダニズム建築が米国で盛んになり、やがて全世界に広がった。

モダニズム建築家たちのメッセージは以下のようなものである。建築家は伝統的な建築形式の束縛から脱し、工業のニーズを満たし、工業の時代の法則にのっとること。建築の形式は建造の目的と直接関係していなければならない。鉄鋼とコンクリートなどの現代建築の材料を使用すること。建築にはいかなる非実用的な装飾もあってはならず、直線、長方形、直角と立体を設計の基礎とし、機械の時代に呼応しなければならない。過激な色彩をさけ理性的色彩にすること。

そこから一連の奇怪なモダニズム建築が誕生した。例えば、米国のオーバリン大学の美術館の増築部分は奇怪な形状で湾曲しており、不規則で不思議だ。角に形を変えたイオニア形式の木製の柱がぽつんと置かれており、短くて太い形が面白い。モダニズム建築はこういった特徴を持っている。

 

風土に合わなければ奇怪なものに

ところで中国建築はずっと調和の美、あいまいな美、均衡美、文化的な美、精神的美を重視してきた。例えば、中国建築に特有な上にそり上がった軒には躍動美がある。さらに中国の古代建築の寄棟造、入母屋造などにはしなやかな曲線的な美がある。さらに、中国古代建築には深遠な哲学思想があり、北京の天壇が意図するところは一般人の情緒にとどまらず、天地を体現しており、崇高、調和、すがすがしさがある。天壇は帝王が天を祭る祭壇であるというだけではなく、中国古代の人びとの宇宙や天地に対する思考、感情や素朴な芸術観を体現している。

新しい「舶来品」としてのモダニズム建築が、中国化、民族化と融合し結合することを軽視すれば、深刻な乱調を引き起こす。

「ねじれ麻花ビル」はネット上で、この造形は伝統美学の調和美、精神素養とは遠く隔たっており、このような奇怪さは、精神的な喪失感と不均衡感をもたらし、心にわだかまりを感じさせると評されている。

 
上海にそびえ立つ「3つのキッチン道具」

文化的特徴を体現した建築を

中国の建築家梁思成は、「東方の古い国の都市が、建築の上で、もし完全に自己の芸術の特長を失えば、文化の表現や外観などの上で非常に残念なことだ」と述べており、力強い警鐘となっているる。またネット上にも、モダニズム建築のスタイルを借りるにせよ、民族の文化的精神を捨ててはならず、モダニズム建築の型のなかに、民族化、中国古典美のエッセンスを注入し、モダニズムと民族の特色をうまく結合させるべきだという声が多い。

建築界の多くの専門家と業界関係者も、モダニズムのスタイルを発展させるにせよ、外側の造形の形式美、幾何学的な美しさを偏重せず、「中体西用」で民族精神の素養、文化的意図、そして中国の古典建築美を取り入れるべきだと強い調子で発言している。

モダニズム建築の中国化について、フランスの建築家であり、フランス大使館北京新館の設計者であるアランサルファティも同様の見方をしている。「建築は一つの文化表現である。中国の建築は中国の文化的特徴を体現すべきだ。中国はもっと普遍的建築を増やし、国際的建築を少なくしてほしい」と述べている。サルファティのいう「普遍的建築」とは自己の独自の文化と伝統や風俗を取り入れた建築物である。ある評論家は、この観点に賛成し以下のように述べている。「建築家は中国文化、特に中国伝統文化、建築文化に対して十分な理解と認識が必要であり、とりわけ崇拝される文化と精神に共感する必要がある。というのは、十分な文化認識と観念の共鳴の上にのみ、近代化建築は国民と中国の特色に対する十分な尊敬と自然な融合を体現できるからである。いわゆる流行の看板を掲げて、民族的な需要を否定したり軽視してはならない」。

アランサルファティは、「私たちは建築とはユートピアではなく、人に使われるものであり、人びとに受け入れられ、感動を与えるものであり、また自己の意義を持ち、自己の価値を体現しなければならないということを忘れてはならない」と言う。モダニズム建築には、多くの人文的素養、精神を注入すべきであり、建築家も十分な素養を持っていなければならない。つまり、いかなる建築もすべて公共にサービスするためのものであり、単純な建築物の展示や建築理念の体現ではないのである。