夫婦の収入比と幸福の関係
男性の収入と女性の安心感は反比例

ニュース・リプレイ 世界で一番つらい生き物、それは男性。世界で一番矛盾している生き物、それは女性。

陳さんは名門大学の修士課程を修了し、就職して3年後の年収は20万元(約315万円)を超えたが、年収5万元(約78万円)の妻に稼ぎが少ないと不満を言われている。また別の夫婦、妻の栄さんの年収は15万元(約236万円)と夫の約2倍だが、家に帰ると偉いわけではないという。多くの事実が、夫の収入が多すぎれば妻の独立性を弱め、夫の収入が少なすぎれば、夫の自信喪失を招く。では、夫婦の理想の収入比は? あるメディアが20人にインタビューした結果、7割の人が夫婦の収入比が1.5: 1であることが、家庭の平和を保つ「黄金比」だと答えた。

 

売れっ子の司会者・魯豫は以前、自分の収入は夫の朱雷よりもかなり多く、自分が一家を支えているが、「彼がちょっとこだわっているのが分かる」と言ったことがある。「私は主体的に一家のすべての収支を担当していますから、彼は時にはメンツがないと感じられるでしょう。私は彼に、夫婦は一体だから誰が収入が多くても誰が一家を養ってもいいのよ、と諭します。彼の心理的バランスを保つために、私は義母に生活費を渡し、彼の両親にプレゼントします。でも月日がたつにつれて、なぜか分からないけれど二人の気持ちからは恋人だったころの純粋さと美しさが失われてしまいました」。

 

わが家の幸せは給料とは関係ない

出稼ぎ夫婦の話

7月23日午後3時、四川省眉山市の強い日差し、目を刺す陽光にさらされ、まるで蒸し焼きにされているようだ。

文豪・蘇東坡の故郷である眉山市の眉州大道の路上で、農民の出稼ぎ労働者である王宗得は街路樹に薬剤を散布しているところだった。

今年45歳の王宗得は眉山市洪雅県柳江鎮の農民で、十数年来ずっと出稼ぎに出ており、瓦職人、引っ越し業者を経て、眉山で緑化の仕事をしている。これは彼にとって最も長く続いている仕事で、「待遇も悪くないし、一番肝心なのは家に近いから、いつも家に帰って家族に会えることだ」と言う。

王宗得の給料は日給に換算すると一日120元(約1886円)で、毎月の給料は3000元(約4万7165円)前後だ。妻の胡夢は、眉山市が観光都市であることを利用して農民からサービス業経営者や従業員に転換するという考えを実現し、先日柳江鎮の農家レストランでウエイトレスの仕事を見つけ、毎月1200元(約1万8865円)の収入を得ている。「二人合わせて4000元(約6万2928円)余りで、富裕だとは言えないけれど、まあまあだね」と王宗得は言う。

王宗得は明るい人だ。仕事の合間には白い歯を見せて同僚たちと談笑している。家のことになると、言葉の端々に幸せがにじみ出てくる。王宗得の収入が妻の2倍以上だということは全く話にのぼらない。胡夢も自分の収入を夫と比較したことはない。「何を比較する? どちらにせよ、うちのお金。農村では毎月4000元あれば足りるから」。

いくら稼ぐかということから引き起こされる家庭問題は、王宗得にすればまったくでたらめな話だ。「われわれの生活はそんなに複雑じゃない。どうせ衣食住、交通費、医療、教育、介護ということだ。医療や介護は保険があるし、義務教育は無料だ。もし子どもが大学に行くなら節約すれば貯金できる」。

王宗得は、もし結婚生活を幸せにしたかったら、夫婦が両方とも責任感を持って、家庭のために頑張ることで、時間を作って家族と過ごし、気持ちを通わせるべきだと言う。「わが家の幸せは給料とは関係ない」。

 取材・王明峰 段小峰

楽しければいい

■ 周穎 北京の有職主婦

友達に、夫婦の収入の比率はどのくらいが結婚に有利かと聞かれた時、私は言葉に詰まってしまいました。そして、結婚生活の幸福と二人の収入とは直接関係があるの、と逆に尋ねたのです。

2008年、私はアルバイト生活に終止符を打って、起業した。収入は多くはないが、自分で使うには足りました。その後妊娠、出産で仕事はしばらく休業し、収入がなくなり、私と夫の収入比率は0:1となったけれど、私は自分の結婚が不幸で不安定とは思いませんでした。反対に、夫がもっとも多く私に言った言葉は「君の決定に従うよ。君が楽しければそれでいい」。私が夫に一番多く言った言葉は、「体に気をつけて。上を見ればキリがないけど、下を見ればまだまだ。私は今の状態に満足している」。

私は幸せと収入は関係ないと思います。関係するのは信頼、尊重、満足と助け合いです。

私と夫は結婚して10年たちますが、10年間、私は彼の給料、ボーナスやその他の収入を聞いたことがありませんし、彼も私に聞きません。私が家計を管理し、彼が稼ぐ役目。まだ子どもがいなかった時は、それぞれの生活があって、それぞれの付き合いがあり、私はただ「夫を助ける」だけだったけれど、子どもが産まれてからしばらくは家庭に入って、夫を助け子育てをしていました。

夫婦はもともと通りすがりの人で、縁があって家庭を作り、一つ屋根の下に住んで、一つのベッドに寝て、お互いに信頼し、助け合うものです。結婚の幸せが収入の比率によって決まるなんてことがあるでしょううか。もしそうなら、女性が10カ月間妊娠して出産するというのは大きな比率を占めるのではないでしょうか。洗濯や料理、家族の世話はどのくらいの比率になるのでしょうか。もし結婚の幸せが収入比で決まるなら、人と人との愛情の比率はどのように決めるのでしょうか。

トルストイは、「すべての幸福な家庭は、互いに似通っているが、不幸な家庭はどれもが、それぞれの流儀で不幸である」と書きました。夫婦双方が家庭のために支払いをしているが男女の社会での分業は同じではなく、家庭のために支払う方式と方法も異なっています。もし共通認識がなければ、大部分の人は夫婦になれません。もし双方が利益を求める目的で家庭を作るのであれば、8割は不幸な家庭となるでしょう。結婚のため、家庭のための支払いに報いを求める必要があるでしょうか。黄金比の収入であれば、かならず幸せになれるのでしょうか。人と人の間の感情が数字で測れる時、私たちの生活には楽しみが生まれるでしょうか。私たちの結婚は温かいものでいられるでしょうか。夫婦間では心から「愛してる」と言えるでしょうか。

 

愛情は金より尊い

■ 陳青松 吉林省党委員会事務局 公務員

もし私が「夫婦は男女双方が生活する目的で合法的に結びついたパートナー」という定義で夫婦を解読するなら、私が読み取るのは「生活」、「パートナー」であり、「夫婦の収入比」とは無関係です。

もし、私が生活の中で夫婦という言葉を解読するなら、母が決然として父に嫁ぐ時に言った言葉を思い出します。「もしあなたがご飯を食べたいのなら、私はあなたの後ろにいて袋を背負わせる」、これが直接私のパートナー選びに影響を及ぼしました。

私と妻は大学卒業時に結婚しました。私は部隊の下っ端の軍人で、妻は企業の下っ端の職員でした。私のほうが収入も多く安定していたから、私は妻の前で一度も「安定した仕事」、「収入の多少」という言葉を口にしたことはありません。というのは、妻は結婚する時には、私に「取りあえずの住み家があって楽しく生活できればいい」という希望を口にしたからです。私が的外れな言葉を口にして妻の尊厳を傷つけたりすることは私の望むところではありません。

後に私は公務員に転職しましたが、その時、妻の収入は私の2倍以上になっていました。妻は私に給料のことを持ち出したことはないし、彼女は私の給与振込のカードを持っていて家庭を維持するさまざまな支出に使い、彼女の給与振込のカードは私が持って外部での支出に使います。私の収入が家計に足りない時、妻は悲しそうな様子を装って、私の服の端っこを引っぱり、「あなた、お金をちょうだい」と言うのです。

妻は私を店に引っぱっていってシーズンごとの服を買う時、いつも気に入ったのがないと言って、家に帰ってからネットで買っていますが、私が気に入っても高くて買えない服が、翌日には私のクローゼットに吊るされています。

私たちはお互いに気を遣い合いながら、楽しく家庭を営んでおり、私たちは夫婦の収入比なんて計算しないまま10年間続いています。愛情は深いところにあってこそ真実で、金のように尊いのです。

 

家庭の「主夫」も悪くない

■ 馬薪蕊 北京 シナリオライター

今はもう「嫁にいってダンナに頼る」という時代ではありません。共働きがますます増えているし、女性はもう家庭の半分を支えています。しかし、社会的分業と業界区分の違いによって、多くの業界は女性が先天的に有利となっていて、男性に比べて出世するポテンシャルが高くなっている場合すらあります。

一つの家庭で男女の収入が生活の基本ラインまたは小康レベルを上回っていれば、大きく生活のクオリティーには影響しないものです。もちろん女性は夫が沢山稼ぐほうがいいでしょう。妻に安心感と優越感を与えるし、それが成功を示すシンボルでもあります。

男性も妻には自分より多く稼いでほしくないし、妻が自分より優秀であってほしくない。さもなければプライドが傷つくし、メンツもなくなる。でも、ますます多くの夫たちが妻の家事を手伝って分担していることもまぎれもない事実なのです。

最近ネット上では、「新養男時代」(男性を養う時代)という言葉が流行っていますが、これは「女は外、男は内」というライフスタイルを指しているものです。ネットユーザーたちは、この「養う」という言い方には賛成していません。男女の家庭内の地位が不平等であるかのようだからです。実際、男性が子どもを育て、家事をするのも仕事であり、価値の一種の表現であり、誰が誰を「養う」のかは関係ありません。「家庭の主夫」は家庭の楽しみを味わえるし、一種の分業であります。男女の不平等は女性に害をもたらすだけではなく、男性の心理も傷つけるのです。

微信(メッセンジャーアプリ)で流行っているフレーズは、「カネ、それは愛する二人を引き離す。カネ、それは愛のない二人をいっしょに寝かせる。カネ、それは多くの素晴らしい家庭を破壊する……」。夫婦は縁があってともに家庭を築き、仕事を分かち合い、喜びを分かち合うものです。テレビドラマ『彼と私と両家の事情』のなかの余味と毛豆豆のように、「そちらが総司令官で、こちらが仕事担当」。

 

誠意を尽くすことが大切

■ 易関西 チベット駐在軍人の妻

多くの人が、チベット駐在軍人の収入は高いと思っているでしょうけれど、「生命の危険地域」と呼ばれる厳しい面を忘れているのではないでしょうか。チベット駐在軍人は青春と健康を犠牲にしており、彼らの給料の中には高地手当や特殊任務手当がありますが、それではとても彼らの心身の健康の消耗と損失を補うことはできません。

もし、内地の多くの現代的な有職女性が持っている「経済的収入が家庭の地位、社会的地位を決める」という考えに照らせば、軍属の家庭の地位や社会的地位に不足はありません。でも、私は慎重に軍人の妻を選択しましたし、特にチベッ駐在軍人の妻ということから言えば、自分が犠牲になる用意はあったし、少なくとも拝金主義の女ではありません。夫が安心して高地で勤務できるように、家庭を営めるように、普通の人が想像もできないような犠牲を払っています。多くの女性たちが内地の快適な生活や仕事を投げ打って、チベットに来ているのです。

ほとんどの時間、子育てと双方の両親への親孝行は妻の役目となります。私は普通の仕事を持っていて、自分の1000元(約1万5713円)あまりの収入は自分に遣い、夫の給料で家計を維持しています。これは当然のことと言えるでしょう。

もちろん、チベット駐在軍の妻たちには、収入が高い人たちもおり、中には高地で勤務する夫よりも多く稼ぐ人さえいます。確かに金銭は絶対に万能ではないけれど、現代社会での生活の中ではお金がなければ何もできません。実際、ある意味では軍に着いてくるということは自ら失業したようなもので、「専業主婦」の生活を送るということです。軍人の収入は「食べられるけれど余裕はない」というところで、夫一人だけの給料で一家を養うにはとても追いつきません。でも私は、軍人の家庭としては、夫婦の収入に差があろうとも、お互いに家庭に対して誠意を持って努力し、共同で家庭を営んでいければ幸せだと思います。軍に着いてくる女性たちにとって、夫の世話や子どもの教育、家庭に多くの時間と精力を集中できるということは、間違いなくとても幸せなことだと思います。

軍人の家庭に限らず、すべての家庭にとって、夫婦双方が家庭に心を配り、お互いに心が通じ合っていることが、結婚の幸せを維持し結婚生活の質を上げる前提と基礎になるのではないでしょうか。社会的地位、経済的地位が高い人たちは、家庭でも全身全霊で家庭内の役割を果たす必要があります。双方が誠意を持って努力することで、家庭をうまく共同運営できるのです。(整理・黄自宏)