中国女性初の『宇宙教師』――王亜平

自分の使命を果たすのみ

多くの中国人と同じように、王亜平の宇宙への夢も、10年前、揚利偉が宇宙へ飛び立ったときに始まった。

当時23歳の王亜平は、航空機のパイロットであった。固唾を呑んで打ち上げの中継を見ていたとき、彼女にある思いがよぎった。“中国には男性パイロットも女性パイロットもいる。男性宇宙飛行士は誕生したが、女性宇宙飛行士が誕生するのはいつだろう?”と。

10年経った今、彼女は中国人女性宇宙飛行士として宇宙へ飛び立ち、中国初の“宇宙教師”となる。

宇宙では、青少年に向けて無重力状態での物理実験の授業を行う。王亜平は間もなく行う授業にも自信をうかがわせる。教材の準備、研究実験内容、心得など授業の準備は完璧だ。

彼女は、授業の他にも、神舟10号の飛行中の機器の監視、宇宙空間実験、装置の操縦や乗組員の世話なども行う。また、宇宙船と目標飛行機器がドッキングする際の補助員として、毎回指令を送る前に正確にデータを判読し、情報を伝え、カウントダウンを行う。この時のために何千回もの訓練と2年余りの時間を費やしてきた。

同乗する張暁光氏は言う。「亜平さんは聡明で可愛らしい娘さんです。彼女の宇宙授業は必ず皆さんに驚きと喜びを与えるでしょう」。

同乗の宇宙飛行士、?海勝氏は「彼女は負けず嫌いな女の子で、私たちが手伝おうとしてもやらせてくれません」と王亜平を評する。

仲間から“娘さん”“女の子”と呼ばれる王亜平は、80年代生まれの中国人初の女性宇宙飛行士だ。

「生活の上では彼らは私を妹のように面倒を見てくれますが、仕事となれば共に戦う戦友でありたいと思っています。私たち80年代生まれが勇猛果敢に挑戦するところを見せたい」と意気込みを語る。

 

粘り強い訓練の成果

王亜平は、1年前の神舟9号の乗組員の選抜には僅差で落選したが、ほとんど中断することなく、その後の訓練にもいつもと変わらず粘り強く打ち込んだ。

彼女は山東省煙台市の農家に生まれた。中学を卒業後、家族は中等専門学校への進学を望んだが、大学進学の夢を諦められず、家族の反対を押し切って高校を受験した。高校卒業の年がちょうど空軍の第7期女性パイロット募集の年であった。彼女は次々と難関を突破し軍事学校に入学した。

初めてのパラシュート降下で、8人の女子訓練生たちは、地上の人間がどんどん小さくなっていくのを見て興奮しきりであった。指令が下りると、1人また1人と無我夢中で飛び降りた。2度目に飛び降りる時、キャビンの中が突如しんと静まり返ると、1回目の新鮮さと好奇心は消え恐怖心が押し寄せて来た。その日の帰りの車中、王亜平と仲間はみな涙に暮れた。

宇宙を探索するという更なる夢に向かって、2010年5月、王亜平は度重なる選抜を通過し、中国第2期宇宙飛行士の一員となった。

彼女にとっては負荷訓練が最も過酷であった。チームに入ったばかりの頃はずっと2級が突破できず、体は極限状態であった。焦りは募り、先輩たちに教えを請いながら時間外訓練をし、心血管と筋肉を鍛え、2年目には軽々と1級をパスした。

男性選手ばかりのバスケットボールコートで、彼女はゴール率の高い優れたフォワードであった。

宇宙授業の実験で最高のパフォーマンスができるよう、王亜平たちは地上で何度も訓練を行った。

実験が成功しなかったら?との質問に、彼女は答えた。「実験で出たままを話すまでです。広大な宇宙では私たちも生徒なのです」。この話をするときの彼女の煌く大きな瞳に心打たれた。

多くの若者と同じように、王亜平の趣味もカメラや音楽鑑賞である。神秘の宇宙を探求する美人宇宙飛行士のささやかな夢とは―神舟10号のミッションが終わったら、夫と食事をし、ショッピングをし、映画を観ることだ。