中国のスマゲー「陰陽師」が日本でも人気に

中国の人気スマホゲームアプリ「陰陽師」が中国だけでなく、日本でも大人気になっている。同ゲームは映像がきれいで、各キャラクターの声も全て日本の豪華声優陣が担当。日本の歴史と組み合わせて、フレッシュな体験を提供している。

同ゲームでは、日本の平安時代の有名な陰陽師・安倍晴明をメインとする陰陽師やいろんな妖怪が登場する。陰陽師たちは、和風のうつくしい衣裳を身にまとっており、強力な魔法を操ることができる。では、古代の日本において、実際の陰陽師とはどんな存在だったのだろうか。

 

陰陽師とは何か

日本では、陰陽師は飛鳥時代から存在し、律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つだった。陰陽五行思想に基づき、陰陽道から学んだ占術や風水によって、天体観測や暦法制定の職務を行っていた。その後、本来の律令規定を超えて占術や呪術、祭祀を司るようになった。そして中世以降、民間で占術などを行う人も陰陽師と呼ばれるようになった。

平安時代になると、陰陽師の発展はピークに達し、官職の域を超えて、神秘的な宗教色のある分野へと発展した。しかし、平安時代末期に、武家社会が台頭し、幕府を掌握するようになると、陰陽師は衰退の道を歩んでいった。

 

中国を源として日本で発展

陰陽師の登場は、中国とも深い関係がある。陰陽師が拠り所としている陰陽五行思想は、中国では周代(紀元前1046-256年)に既に形成されており、書物「周易」にはその思想が詳しく記されている。その内容は、天文や暦法、風水学、医学など多方面に渡り、今でも中国医学や哲学で応用されている。

古墳時代から飛鳥時代の期間、朝鮮半島の百済は五経博士を日本に派遣し、漢学知識を教授した。しかし、その影響は小さかった。日本の政治や経済、文化に本当の意味で影響を与えたのは推古天皇10年(602年)に、百済が観勒や学僧を派遣した時で、聖徳太子を筆頭とする官僚34人に、五行学説を含む中国の思想を教授した。この時に、日本が中国から学ぶという時代の幕開けとなった。

日本は、中国に「遣隋使」や「遣唐使」を派遣して学問を学ばせたほか、教師を日本に招聘して教授を受けたり、中国の政策や文化を少しずつ取り入れ、日本独自の文化を作り上げていった。そのような過程で登場したのが陰陽師だった。

 

日本でも話題に

スマホゲーム「陰陽師」が日本でも大人気となり、日本のメディアも次々に競って報道し、日本のゲーマーの間で話題となっている。多くの日本のネットユーザーからは、「中国のゲームだけど、映像がきれいで、遊び方も新鮮。やってみたらとてもおもしろかった」との声が上がっている。

同ゲームのキャラクターの声は、全て日本の声優が担当しており、中でも釘宮理恵は人気の声優だ。日本の文化がベースとなっていることに加えて、日本の声優が起用されていることもあり、日本人は親しみを感じやすいようで、日本のゲーマーにとっては始めやすいゲームとなっている。

ただ、好意的な感想も多いものの、中国産の和風ゲームとあって、違和感があるとの声もある。しかし、この中国ゲームが日本でも認められていることに疑いの余地はない。