「日中友好は宿命」
西園寺一晃氏を訪ねて

西園寺一晃氏は現在、東京都日中友好協会の副会長、日本工学院大学孔子学院の院長などを務めている。スーツを着こなし、ブリーフケースを下げ、背筋をピンと伸ばして力強く歩く71歳の西園寺一晃氏に、北京でお話を聞いた。西園寺氏は1958年から1967年まで北京に暮らし、帰国後は朝日新聞社に入社、日中友好事業に従事してきた。父は政治家で参議院議員の西園寺公一氏(1906-93)であり、1958年に日中文化交流協会理事、アジア太平洋地域平和連絡委員会副秘書長を務め、国交正常化前の日中外交の先駆者として、1958年から1970年の中国在住期間に、毛沢東主席、周恩来総理とも親しく交際し、民間大使と呼ばれた人物である。

  

忘れられない子供時代

1972年9月25日、日中国交正常化の覚書にサインすべく、田中角栄首相が訪中した。「私たちは国交回復の歴史を忘れることはできない」と西園寺氏は言う。

「周恩来総理は、厳かに『井戸を掘った人を忘れてはならない』とおっしゃったが、これは日中友好事業のために尽力したすべての人を認めたものだ」。

「1958年、私たちが北京に着いて間もないころ、周恩来総理夫妻が中南海の西花庁で私たち家族に接見して、一緒に食事をしてくださいました。周恩来総理は私に2つのことを話してくださいました。1つは、今後の北京での生活で、たくさん友達を作るように、その友達はこれから必ず君の大切な財産になる。もう1つは、北京で生活するとさまざまな人や物事に触れるだろう。中国には良いところもあるが、良くないところもある。もし、短所や足りない点、間違いを発見したら、遠慮はいらないから、率直にお父さんに言いなさい。私は外国の友人たちからお世辞をたくさん聞くが、そういう話は好きではない」と西園寺氏は周恩来総理の思い出を語った。

このような経験は、西園寺氏のなかに、日中友好のために努力しようという使命感を芽生えさせた。「帰国後、私は朝日新聞社に入り、できるだけ真実の中国を日本の民衆に紹介しました」。

郭沫若についての話も西園寺氏の記憶に新しい。「郭沫若先生は私に、日本の軍国主義は中国に侵略して大きな災難をもたらした。日本人はこれについて反省し、二度とあのようなことをしないと約束すべきだ、とおっしゃり、さらにこの約束を実現するために、日本は絶対にその歴史を忘れてはならないし、中国人は過去のことは過ぎ去ったことだと言うべきで、一緒に未来の日中関係構築を考えることこそ理想的だ、とおっしゃいました。しかし、残念なことに現在の日中関係は先達の期待とは反対の方向に向かっています」。

 

歴史を心に留める

「現在の日中両国の若者たちにとって、新中国建国から1972年の国交正常化までの23年間の歴史は大変重要だと思います」と、西園寺氏は強調した。

「周恩来総理は、50年代の初めに中国は日本と国交を結ぼうとしたとおっしゃっていました。しかし当時は2つの障がいがありました。1つは日本がこの提案を受け入れるかどうか、もう1つは中国民衆の感情問題です。その頃の中国民衆には日本に対する憎悪が累積しており、『われわれ中国が強い国に発展したら、日本人に報復する』という声が強かったのです。そのような情況について周恩来総理は、絶対に軍国主義者を許すことはできないが、日本の民衆も被害者であり、われわれは友好を結ばなければならず、それが両国そしてアジア太平洋地域にとって非常に重要だとおっしゃっていました」。

「新中国の建国後、周恩来総理は自ら日本に向けて2回呼びかけました。1回目は全国政治協商会議のなかで持ち出されました。中国のジュネーブ総領事も日本側に向けて信書を出しましたが、日本側は取り合いませんでした。その後、中国は残留している日本人婦人、子どもや戦争の捕虜などをすべて無事に日本に帰国させました。この措置は日本の民衆を感動させました。日本の民衆は政府を批判し、それから日本国内で中国との国交正常化を求める声が日々高まったのです」と、西園寺氏は、これらは新中国政府の対日政策の勝利だと評価した。

このような情況のもと、日中両国は国交回復のための掛け橋が必要となった。「最終的に私の父がその重責を担うことになり、それが私たち一家が中国に行った理由です」。中国滞在は12年8カ月に及んだ。父の西園寺公一氏は日中両国の政治、経済貿易、文化などの分野の交流という重大任務を担った。北京台基廠大街1号のオフィスが日中交流の初めての重要な窓口となった。

西園寺氏は、「日中両国が今日の友好を実現するのは大変なことでした。日本社会党の委員長であった浅沼稲次郎氏は何度も訪中し、周恩来総理と会見しました。日本では、一日も早く日中国交を回復させようと奔走し、最終的に日中友好を積極的に訴えたために、右翼に殺害されました。奔走、流血の犠牲、先達の日中友好に対する努力の歴史を、両国の若い人には絶対忘れてほしくないのです」と厳粛に語った。

 

「日中友好は宿命」

日本の右傾化が日中間の衝突を招いているのではないかという質問に対し、西園寺氏は、「根本から言えば、日本人はやはりアジアや中国の国民と仲良くしたいと思っています。現在の問題は、政治家が賢明ではなく、日本のメディアにも偏見があることです」と言う。

西園寺氏は、「私が最も日本国民に伝えたいことは、中国は平和の発展の道を進んでいるということです。鄧小平氏は、『中国は将来強くなるだろうが、覇権主義は行わない』とおっしゃいました。私は現在も北京大学の客員教授ですので、いつも中国の学生たちに鄧小平氏の話が私を感動させたことを伝え、しかし現在の中国が覇権を行うかどうかは、あなたたち若い世代が自ら決めることだと話します。人類史上で強国と言われた国家には共通点があります。それは彼らが対外侵略、覇権主義を行ったことです。中国がそのようにするかどうか、それは中国の若い世代が自ら決定しなければならないことなのです」と心を込めて話してくれた。

西園寺氏の言うように「日中友好は宿命」である。地理的にも、日中は海を隔てて向かい合う一衣帯水の隣国であり、相互に重要な戦略的利害関係が存在している。西園寺氏は「ますます多くの日本人が中国語を学び始めていることにほっとしています。今は幼児クラスも作りました。このことは、多くの保護者が子どもたちに中国語を学ばせ、中国を理解してもらおうと考えていることを示しているのです」と、笑みを浮かべながら語った。