総選挙後の対中政策は「強硬」か「柔軟」か

選挙前の世論調査と大差がなく、自民党が294議席を獲得し、政権を握ることになった。野田佳彦首相が率いる民主党は苦戦の結果、57議席にとどまった。民主党と同様に惨敗したのは、右派の政治家、石原慎太郎氏と橋下徹大阪市長が手を組んだ日本維新の会である。選挙前に「政界の“第三極”の勢力」となって旋風を起こすと叫んでいたが、54議席をとっただけだった。

今回の衆議院総選挙は、民主党の3年間におよぶ執政の「期末テスト」でもあった。ところが、合格はおろか、議席数は激減した。原発、消費税、TPPなど国内政策の揺らぎが国民の反感を買っただけでなく、外交上の稚拙さも政権を失った重要な原因である。

日本は対中政策においては、「強硬」か「柔軟」かの二者択一でやってきた。野田氏などの民主党のリーダーは落ち込んだ支持率を挽回するために、急場しのぎに中国に「強硬」姿勢でのぞんだため、この中日国交回復40周年の年に、中日関係はすっかり冷えこんでしまった。国民は「強硬」派の政党に「ノー」と表明したのである

しかし、率直なところ、まもなく誕生しようとする自民党政権にも、中国はいくつかの懸念をもっている。自民党内のタカ派政治家はこの選挙期間に「強硬」な発言をしてきたが、中国はこれに対し警戒せざるをえない。西洋政治学では「選挙キャンペーン」と「政権」とは同じではないといわれる。実際、自民党政権は、小泉内閣時代に中国への「強硬」政策で苦い体験をしてきたし、野党になってからも、民主党政権の中国に対する「強硬」政策の深刻な教訓をみてきたはずである。安倍晋三党首はふたたび権力を握った後、この教訓を活かすことができるかどうか。

2013年は『中日平和友好条約』締結35周年である。安倍晋三氏の父、安倍晋太郎氏は福田赳夫内閣の官房長官の時に、中日関係の4つの政治文章の1つである『中日平和友好条約』に心血を注いだ。その後、中曽根康弘内閣外務大臣の時、安倍晋太郎氏は日本の対中政府開発援助(ODA)を積極的に推進し、中国の改革開放の指導者である鄧小平氏に敬意を表していた。日本の政治家は「父親を継承」することを大事にしているが、安倍晋三新政権が「不肖な政権」にならないことを期待する。

2006年9月に安倍晋三氏が小泉純一郎氏を継いで首相に就任してから、その月に「氷を割る旅」として中国を訪問した。そして、中国政府の指導者と、首相就任期間中は靖国神社に参拝しないという共通認識をえた。中日関係を「戦略的互恵関係」と位置づけて、氷点に達した中日関係に変化をもたらした。最近、安倍氏は月刊『文藝春秋』に「政権をとったら、もう一度日中戦略互恵関係を再構築したい」と発表している。政治家にとって「信頼」は大切なものである。安倍晋三新政権が、この「信頼」を裏切らない政権であることを期待する。

安倍氏はこの総選挙で経済問題を第一に掲げて、新政権は衰退している日本経済の解決に最大の努力をすると表明していた。日銀の12月企業短期経済観測調査では、業況判断指数はマイナス12となり、二期連続で悪化した。メディアは日中関係の悪化と関連があると指摘している。安倍氏が新政権をとったら、日本の「国益」のためにも、中日関係を修復する努力をしてくれることと信じている。

今回の総選挙中、安倍氏は民主党政権の3年間は「敗北外交」であったと強調していた。中日関係をみるに、中日両国は「協力しあえば双方に利があり、闘えば双方が傷つく」ということが証明されている。日本の有権者は、右派政治家石原慎太郎氏の日本維新の会を認めなかった。これは国民が穏やかな政権を求め、与党が右傾化するのを望まないことの表れであろう。

いかに中国との関係を修復していくのか、安倍氏にはよく熟慮してほしい。