日本で中国文化を広める新華僑

陳建中氏は黄山美術社の社長で、文化交流を行っている新華僑である。長く日本に住み、その活動の原点は「文化」への深い思いである。

「文化」という仕事に戻る

1993年4月、陳氏は城西大学の経済学部に合格した。ある日、「大中国物産展」が渋谷の東急百貨店で開かれていると経済学部の張紀潯先生から聞いて、スタッフに応募した。

そして、陳氏が物産展の売り場で日本のお客さんに解説しているのを聞いた柳原書店開発部長の小笠原岡志氏は感動をおぼえた。すぐに、小笠原氏は地方巡回の「大中国物産展」にも陳氏に同行を依頼した。これを機会に、陳氏はやっと「文化」という仕事に戻ることができた。

「大中国物産展」の巡回展で、陳氏は日本で中国文化の旅をしているように感じた。思いがけないことに、柳原書店の社長が陳氏を書店の中国美術品の輸入担当者として招いた。

ここで、陳氏は初めての収益を得て、美術品は優雅に鑑賞するものだけでなく、ビジネスチャンスにもなるということを知った。ビジネスにならない文化は、生命力のないものである。

1999年に「大中国物産展」がそごう百貨店で開催された頃には、栄宝斎(えいほうさい=北京の琉璃厰に位置する筆、硯、墨、紙の文房四宝と印章、書画骨董などを販売する老舗)との交渉を任せられた。その後も、いろいろな苦労はあったが、陳氏は勇気をもって自分の会社をもつという新しい道を切り開いたのである。

海外の華僑華人には、自分で物事を決められる会社をもつという共通の夢がある。陳氏は会社名を故郷の黄山からとって、「黄山美術社」と名付けた。

中国文化を普及させ足下を固める

2002年から、陳氏は日本での栄宝斎の展覧会に関わるようになった。この間、中国国家文物局の専門家である陳烈氏と知り合った。

陳烈氏は「日本の人でも中国の展覧会を開いているのに、あなたにできないわけがない。長く展覧会のことをやっているから、美術品もそれなりに理解しているでしょう。中国の美術品のことをわかればできます。日本の人が中国文化のどんなところに興味があるかをつかめばよいのです」と話した。

それ以来、陳氏は日本で展覧会を開きはじめ、規模もだんだん大きくなっていった。

2003年、中国の油絵専門の「光亜画廊」のオーナーが陳氏を訪ねてきた。陳氏の中国文化と芸術に対する思い入れと人柄にひかれ、自分が購入した現代アーティストの1000点以上の油絵を、低価格で陳氏に売却した。

「あなたに売った絵を、一日も早く祖国へ返してやってください」と、このコレクターは話した。陳氏は、これらの油絵で、「中国の世界遺産油絵展」を何回か開催した。

新しい文化をつくる

『三国志』を日本人はだれでも知っている。陳氏は日本人の『三国志』への興味を知り、さらにビジネスチャンスを感じた。2007年、視察団を連れて、中国を3回訪問した。毎回10日位の日程で、行程は2万キロを超える。

2008年5月、日本で「大三国志展──悠久の大地と人間のロマン──」(東京富士美術館)を開いて、センセーションを巻き起こした。

このことから日本の「中国文化ブーム」や「三国志ブーム」の背景には、中国文化への創意的な関わりと、クリエイティブ産業を発展させる新華僑の姿をみることもできる。

文物展覧会の仕事は複雑で、他の文化活動と違うのは、学術的、芸術的価値を備えていなければならない。陳氏はこのことをよく理解しているので、展覧会はますます人気があがっている。

陳氏の次の大きな目標は、日本で「長江文明展」を開くことである。どの展覧会も人々の心を捉え、なおかつ文化産業として大きく強くすることで、中国のソフトパワーと発信を強化したいと考えている。

陳建中氏は長い歳月を異国の地で、心を動かす中華文明の歌を、「文化遺産」という旋律で伝えている。