なんと美しい!桜の料理

弥生3月、桜の蕾が膨らみ、華やかな春の到来だ。携帯電話の画面に心地よく指を滑らせて日本各地からの「桜前線」のニュースを追ううちに、夢がうつろうような4月を迎えた。日本に再び、心から桜を待ち望み、桜を惜しみ、愛するみずみずしい季節が訪れた。

 私はといえば、心口一致というか、端正な顔面の「五官(眉・目・耳・鼻・口)」のうち、少なくとも「二つ」を働かせて、「目」は美しく鮮やかに咲き乱れ散る桜花を愛で、「口」は独創的で様々な桜のグルメを味わってみたいと思う。

桜の木の下で、もし一人桜を愛でながら、季節感にあふれた桜の食品を味わうことができたら、視覚的な満足感だけでなく、食い意地の張った胃袋の欲求も満たす、何と満ち足りた暮らしと言えるだろう。

 現在「和食」は、世界に名をとどろかす東の中国料理、西のフランス料理と肩を並べようと、世界非物質文化遺産に申請中だ。だが、現在人々が「和食」といえば、やはり他でもない寿司、刺身、ラーメン、天麩羅、うどん、懐石料理などになる。

翻って中国を眺めると、すでに中国の至るところの都市、街角に各種の日本料理店が存在している。しかし、日本の桜グルメに対して、熱いまなざしを向ける人はまだまだごく希だ。

 花見といえば、人々が思い起こすのは戦国時代に権力と栄華富貴を一身に集めた「サル」こと豊臣秀吉だ。彼は存命中の最後の年、慶長三年3月15日、京都醍醐寺で、史上これ以上の豪華さはないという桜の宴「醍醐の花見」を催した。

秀吉は、この豪華この上ない花見のために、近隣諸国から700株近い桜を移植させたという。桃山時代の幕を開いた豊臣秀吉は、醍醐の花見に際して醍醐寺に毎年盛大な花見の宴を行う場所として、独創的な工夫を凝らした三宝院を造営した。

 私自身は、遺憾ながら武士が覇を競った日本の戦国時代に立ち戻って花見を体験することはできない。しかし、現代流行っている様々な『桜グルメ』の素材を見ても、醍醐の花見の壮観さを想像するのは難しいことではない。

日本の桜は種類が多く、山桜、八重桜、大島桜、さらに吉野桜など数え切れない。そして、これらの桜はすべて食用として供せられる。中国料理は「烹?(調理すること)」を重んじ、日本料理では「料理」に重きを置く。

中国料理の「烹?」は「火の使い方」に重点を置くが、「料理」は見た目の盛り合わせの美しさを最も大切にする。「桜料理」もそうで、淡いピンク色を基調にし、印象を重んじ、器に凝り、一目で引き付けられる。

 私は、日本にこんなにも多くの「桜グルメ」があることに驚いた。店に行けば、カリッとおいしい桜煎餅や、口に入れるとすぐに溶けるチェリークリームサンド、薄皮で柔らかく、甘いホカホカの桜饅頭がある。

レストランでは、澄んだピンク色の桜蕎麦や様々な桜漬けを食すことができる。日本人は桜の花びらや葉をすべて「料理」し、黙々と胃袋に送り込むのだ。他にも、塩と梅酢に漬け込んだ桜の花びらで作った「桜茶」などは、飲んだ後も後味が尽きない。

 桜を愛で、惜しむことを人生と考える大和民族は、桜に対する情けがかくも深いために、桜を「食す」ことになったのだろう。(『日本新華僑報網』より抜粋)