【特別寄稿】絆 ―― 3・11東日本大震災1周年記念
日本在住23年目の一人の日本国籍華人の体験と想い

 

「年々歳々花相似、歳々年々人不同」(毎年咲く花は似たり寄ったりするも、人間だけが毎年どこかが必ず違う)。

あの3・11東日本から早くも1年経った。去年の3月中旬の今頃は、桜は咲き始めていたが、今年は厳冬のせいか、桜前線は今日もまだ九州地区の鹿児島、宮崎、熊本で満開となり、3月末日頃、東京に北上するようだ。

2011年3月11日東日本大震災(マグニチュード9.0、死者と行方不明者は約2万人)から1年を迎えた今年3月11日、東京都千代田区の国立劇場で日本政府主催の追悼式典が開かれた。天皇陛下ご夫妻、野田佳彦首相、犠牲者の遺族ら約1200人が参列し、大地震発生時刻の午後2時46分に全員が1分間黙とうした。ここでも改めて謹んで被災された方々に哀悼の意を表し、お見舞い申し上げる。


五月、新宿御苑チャリテイ-コンサート(前列中央の黒スーツが筆者、向かって左側が湯本淵駐日中国大使館公使)

一年過ぎた今も、日本各地及び世界各地から支援の手、支援の心がつながっている。今回の大震災を通じ、被災された方々の大切なものが数多く奪われ、復興への道は長く険しく、夢も希望も今は見ることができないかもしれない。でも忘れないでください、独りではないことを。“つながる”―その思いを胸に被災現場で懸命に活動する人たちが、ともに手を携え支援する気持ちを表現してくれた。皆の心が一つ:「街の復興の一助となりたい」(斎藤隆さん)。


現地震災復興支援の様子(前方右側が筆者)

2011年3月11日、日本で我が人生初めての震度9の大地震に遭遇した。前の日の夜遅く、当方が事務局を務めた、才利民副省長をはじめとする中国山東省政府ミッションと三菱グループ関係各社との懇親会が無事終わり、当日午後15:30からホテルニューオータニ―で行う予定だった山東省投資説明会に丸の内にある会社(三菱商事本社)から出かけようとした矢先の出来事だった。未曾有の恐怖で三菱商事本社ビルが激しく揺れた!普段大人しく壁にくっ付いている筈だったスリムラインの書類キャビネットがすさまじい音を立てて激しく左右に揺れた!遠くの川崎で石油タンクが天にも届くような高い炎と狼煙を上げて激しく燃えている!近くでも隣の東京中央郵便局の新築高層ビルが、まだ外壁が付いていないままの工事現場で各階の天井にぶら下がっている裸電球が明かりがついたまま勢いよく激しく揺れている!世界はどうなってしまったのかと別世界にいる思いだった!

それからは帰宅難民が町中に溢れている現実に身を置きながら2時間半を歩いて帰宅し、テレビ画面に延々と流れる大震災関連の映像に茫然とした。一刻も速く被災現地へ救援活動に行かなければとの思いが脳裏にずっと焼き付いた。

勤務先(三菱商事)の行動は速かった。震災発生直後、当面の被災地支援として義捐金4億円、三菱自動車「i-MiEV 30台及び他の緊急物資の提供に続き、「三菱商事 東日本大震災復興支援基金(100億円)」を設立した。総理府が被災地へのボランティア解禁発表の翌日、42326(34)の三菱商事全社挙げて、震災復興支援活動の先遣隊(合計10)の募集が始まった。津波に伴い毎日頻繁に起こる新たな余震、人体に悪影響を及ぼすかも知れない恐怖の放射能汚染の心配があったが、311当日の思いが蘇り、私は真っ先に躊躇なく手を挙げた。4日間をかけ、自衛隊第22連隊と共に現場に入り、仙台市の宮城野区(荒浜の隣の地区)の一戸建て住居の倒木や土砂、瓦礫の撤去など、思った以上の重労働作業を実施した。作業2日目、3日目には、私の担当で高圧洗浄機による洗浄作業も行った(写真参照)。壮絶な震災現場を目のあたりにする悲しさや、実態のしれない放射能や連日続く大きな余震などの恐怖もあったが、一番最初に無我夢中で復興活動に奔走できたことは正に「私の誇り」である。「様々な悲痛な出来事があっても、この経験を生涯の記憶として刻んで強く生きていかなければ」との思いを強くした。(三菱商事は2011年度に延べ1300名超の社員を被災地での復興支援活動に送り込んだ)

被災地から帰ってきた後、現地での様々な印象と思い出が脳裏に焼き付けられ、自分の従来の世界観に対し強い衝撃と震撼すら覚えた。被災地と被災者のために少しでも役立ちたい、自分のできることからやりたいとじっとしていられなかった。5月に一流の芸術家の方々を呼び、新宿御苑でチャリティ-コンサートを開催する一方、ボランテイアグループ「愛・日本」を立ち上げ、福島県南相馬市への震災復興支援活動(現地復興作業参加や資金、救援物資支援など)を開始した。


復興支援協議(左から高邑衆議院議員、桜井南相馬市長、筆者)

「絆」――人間と人間の「絆」、国と国の「絆」がその後の日本の主なメロディ、世界のメロディとなった。「all for one, one for all(我為人人,人人為我〈中国語〉)」。今回の震災及び震災支援活動を通じ、日本人同士、日本人と外国人を含む人間同士の絆、日本と諸外国との連帯感が強まり、距離感が縮まった。今回の東日本大震災という大災難に直面し、日本国民の冷静さに世界が驚き、高い国民素質が称えられた。そして、中国本土の中国人、日本在住の中国人及び全世界から尊敬と好意を一身に集め、日本と日本人は高く評価された。

巨人軍は不滅である。日本もまた不滅である。我々は一日も早い被災地の復興を祈念し、被災地の方々と共に、以前にも増して素晴らしき故郷が再建できることを夢見て、これからも「スピード」と「継続性」をもって、引き続き震災復興支援活動に尽力していきたいと願ってやまない。被災地の皆様のご健勝とご多幸を心より祈っている。