歳月も変えられない「華人」の愛郷心
ミニブログ@元年

「春節(旧正月)は日本に住む中国人にとって、まさに『我々は此処に、家族は彼方に。此処では故郷を懐かしみ、故郷では私をしのぶ。此処で私は楽しくやっていても、故郷では私の帰りを待っている』という心境です」と、株式会社アルバックスの呂娟代表取締役は、10数年来日本で春節を過ごしてきた「複雑な思い」をこう表現した。

 時代は進んでいる。春節前、東京小伝馬町駅近くの中華料理店「境耘閣(きょううんかく)」に、40数名の華僑、華人の若者が集まり大いに新年を祝った。意表をついたのは、会ってまず、皆が自分のハンドルネームを告げてから、実名を名乗ったことだ。

もともと彼らはミニブログ仲間なのだ。日頃、コメントがくれば転送したり、ブログが更新されれば書き込んだり、互いにフォローし合いながら春節の時を待ち、楊嶸と李文韜の二人の若者が、「コミュニティ」で呼びかけたところ、首都圏の四方八方から40数人のメンバーが一同に会して新年を祝うことになったのだ!

 一人の新華僑のメンバーは言う。20数年前日本に来た。春節になると家族に国際電話をかけよう思う。だが毎年その時期の国際電話は混雑してつながらず、電話機を持ったまま離せないと。「80後」(1980年代生まれ)の新華僑は笑う。彼らは、春節にはMSNやQQ(中国で最も普及しているインスタントメッセンジャーソフト)やスカイプなどにつないで、家族に会うだけでなく、家族が春聯(しゅんれん=春節に門に貼る祝いの一対の句)を貼ったり、爆竹を鳴らしたり、餃子を包んだり、白酒(バイチュウ)を飲んだりしている様子を、画像でたちまちにして見るのだという。

 日本では明治維新以降、春節はなくなり元旦が重要な祭日となった。しかし、日本企業の中国人従業員には、いつも正月休みを過ごした後、会社に休みを申請し、帰国して春節を過ごすことを申し出る者がいる。日本企業の管理職は、釈然としない様子で中国人従業員の“年越し”について語り出すに違いない。現在、自社の「国際化」を強調する日本企業こそ、中国人従業員が春節の期間に実家で年越しができるようにすることが必要だ!

 年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず(中国唐代の詩人、劉希夷が詠んだ詩。花は毎年同じ様に咲こうとも、それを見ている人は同じではない。すなわち、悠久たる自然に対する人間生命のはかなさを表現している)。すべての中国人が、それぞれの良き春節を迎えてほしいと願う。