深刻な被害に心を揺り動かされて
―― 東日本大震災被災地見聞録

ニュースサイト日本新華僑報網の報道によれば、「3·11」大震災後に起こった津波の被災地として知られている石巻市では、死者2933人、行方不明者2770人、住宅全壊2万8000棟、市外へ避難した住民は9692人に達している。筆者は今回、外務省の「メディアによる被災地取材ツアー」に参加し、宮城県石巻市雄勝町(おがつちょう)を訪問した。

 雄勝町に入ると、見渡す限り深刻な被災地の光景が広がっており、まるで「無人の町」のようだった。震災からすでに9カ月もたつというのに、しかも少し前まで世界第2の経済大国だった日本の光景とは思えないほど、被災地の有様は凄まじいものがあった。シャッターを押し続けたが、心が震えた。この光景には生命の代価があるからだ。

 半壊した家屋を撮影しながら、もし全壊なら家族の希望もなくなるだろうとの思いがよぎる。ガラスのない窓にはカーテンがユラユラと揺れている。遠くからは人が住んでいるように見えたが、近づくと人の気配はなかった。

 友人と起業した合同会社「OH!GUTS(オーガッツ、雄勝)」の代表、伊藤浩光さんは記者に対して「遅い、遅い、遅い」を連発し、「政府も県も地震の対応が遅すぎる。政府には何の期待もしていません。自分たちで立ち上がり自らを救うしかない。このままでは、日本は本当に映画『日本沈没』のようになってしまう」と語った。

 伊藤さんが住む雄勝町は人口およそ4300人あまり。だが、今は1000人ほどしか住んでおらず、もの寂しい気配が伝わってくる。取材中、東日本大震災を思い出した伊藤さんの目は涙で潤んでいる。そして、「地震の時のあの音は、今でも忘れられない。地下からバリッ、バリッと引き裂くようなものすごい音がして、まるで下から突き上げてくるような感じで、本当に恐ろしかった。そして、その後に海水が流れ込むように迫ってきて、山に三方を囲まれたこの辺はほとんど海水につかってしまった。津波は高い時には20m以上もの高さで、4、5分後には引いていったが、またすぐ波がやってきた。結局、これが4回も続いた。そして、すべてなくなってしまった」と話してくれた。

 伊藤さんは以前にやっていたホタテ貝の養殖場を再建している。その養殖場を特別に記者に見せてくれた。貝を引き上げる時に、「2年育ててやっと売りに出せる。地震前には、ここに広い養殖場があったが、みんな津波に持っていかれたよ。また一から始めなくてはならない」とつらそうに話した。

 救世主なんかいない――『インターナショナル』の歌詞を被災地の人たちは知らないかもしれない。だが、深刻な大震災から立ち直って自ら再建していくなかで、この言葉を身をもって体験していくのであろう。