ごみ分別と処理に見る日本人像

私は仕事の関係で、日中間を頻繁に行き来しているので、両国の人々の生活習慣上のちょっとした違いをいろいろ体験している。その中から有益な体験を皆さんにご披露したいと思う。今回はごみの分別と処理についてお話ししよう。

 日本の生活ごみはいくつかに大きく分別されている。①可燃ごみは、たとえば台所から出る生ごみ、庭の雑草、木の枝、紙切れなど。②不燃ごみは、プラスチック製品、金属製品、ガラス・陶器の破片など。③資源ごみは、本、雑誌、新聞などの紙製品、古くなった衣類など。④粗大ごみは、不要になった冷蔵庫、テレビ、家具など。⑤切れた電池や照明器具は、それぞれ別々に透明のビニール袋に入れて捨てねばならず、⑥医療廃棄物(注射針、薬瓶)などは、危険物として特別な処理を要すると決められている。

 

ごみの出し方

 これらのごみはどのように処理されるのか。日本では厳しい規定がある。たとえば、火曜日と土曜日は可燃ごみを捨てる。金曜日は不燃ごみを捨てる。土曜日は資源ごみを捨てる。粗大ごみは勝手に捨ててはならず、市や区の清掃課(環境保護センター)に取りに来てくれるよう電話をかけ、一定の料金を支払わなければならない。

特殊ごみ(環境を汚染する物や電池のような類)は、さらにもっと厳しく、1か月にたった1~2回のみ回収される。これらの決まりを、日本人は「国家的規定で公民が必ず実施する」責任があるものと考えていて、これに反するということは、つまり違法で道徳に背くということにつながる。時には、捨てた粗大ごみを盗む者もいるが、見つかると罰金を科せられ、起訴されることさえある。

 

ごみ分別のマナー

 日本人はごみの分別をきちんと守っていて、可燃ゴミを捨てる時の選り分け方は実に細かく注意深い。可燃ごみの中に不燃ゴミをわずかでも混じらせることはなく、どんなに小さなプラスチックの薬袋でさえ選り出してしまう。

ビンを捨てるのはもっと難しく、ゴミ箱の上に小さなカゴを見かけることがあると思うが、中にはビンのフタがいっぱい入っている。私は日本の友人がボールペンを捨てる時に金属製のペン先をねじりとってから、可燃ごみの袋に捨てるのを見たことがある。

私はびっくりして、「こんなにちっちゃなペン先、外すのだって面倒くさいじゃないか」と聞くと、彼は「慣れちゃったから、別に面倒くさくないし、大したことじゃないさ」という。日本人のマジメさからごみ分別の細かさを知ることになり、本当に驚ろかされたものだ。

 日本に来たばかりの留学生や旅行者に、一番慣れないことは何かと聞くと、彼らがほとんど異口同音に「ごみ捨てが面倒くさい、分別が細かすぎる」という。

私が見かけたのは、親切な近所のおばあさんが、留学生が捨てたごみ袋を開けて、間違って捨てたごみを拾い出し、分別し直してから、にこやかに留学生に説明をしてあげていた。日本のごみを詰め込むポリ袋には全部「燃やせる」「燃やせない」と印刷されている。ごみ袋はスーパーで売られていて、値段は比較的に安い。

 

ごみのリサイクル

 日本では、小型の生ごみ処理機を買っている家もある。家庭内で出た生ごみを処理して肥料にし、庭や花壇で使っているが、まさしくよくできた有機肥料だ。可燃ごみは処理センターに送られ燃やされ、燃やされた後の灰は、今度は肥料になる。専門的に生ごみを収集して高級な有機肥料を作り、売り出している会社もある。

不燃ごみは回収され処理を経てリサイクルされる。日本で名刺を交換すると、名刺の隅に「再生紙」と印刷してある。また、ほとんどの公衆トイレのトイレットペーパーにも「再生紙」と印字されている。

古新聞、雑誌、書籍及び紙製品を処分するときは、いずれも日時が定められていて、各人が自分できちんとまとめて、燃やせる紐できちんと縛ってから、清掃課の職員が運び出しやすいように指定された場所に置く。そして車で製紙工場に運ばれて新たに紙が作られるのである。

 レストランや食堂の廃油に関してもやはり厳しい規定があり、決して下水に流してはならない。油による水質汚染は糞便に比べて深刻であるからだ。それで、専門会社が専用車をレストランに着けて廃油を回収しているところもある。もちろん一定の回収費を支払わなければならない。

日本人はちゃんと自覚していて、こっそり廃油を下水に捨てたりすることはない。炒め物をした鍋を洗う時、その前に紙ナプキンで汚れをふき取ってから洗う人もいるくらいなのだ。

私が取材をしたことがある廃油処理会社では、廃油から重油(ディーゼルオイル)や各種の化粧品に使う原料を抽出している。彼らの理念は砂漠化した地帯にアブラナ(菜種油をとるアブラナ科植物)を植え、菜種から食用油やバイオディーゼルを抽出することだ。そうすると、無制限に石油を採掘することなく石油を使うことができるのである。日本人は地球を救うばかりか環境を浄化している。これは並大抵の心配りではない。