揺れ動く「野田外交」はどこに向かっているのか!?

外交は「内政の延長」である。この数年、日本では首相が頻繁に交代したことに伴い、外交もふらふらと揺れ動いている。今年9月に誕生した野田佳彦内閣の外交はどこに向かっているのか、関心を呼んでいる。

2001年、小泉純一郎が政権を握った後、一気にアメリカの懐に入り込み、アメリカが始めたイラク戦争を支持し、同時に靖国神社への参拝をかたくなに続け、日中関係を冷え切ったものにした。2006年、安倍晋三が後継となり、その後訪中し「氷を粉砕する旅」を実現させた。この時から日本の首相は靖国神社に参拝していない。安倍内閣は中国と戦略的互恵関係を確立する一方で、いわゆる「日米豪印四国連盟」を提案し、確立した。安倍内閣当時の麻生太郎外相が「自由と繁栄の弧」と「価値観外交」の確立にいたく熱を上げていたからだ。その後政権を担った福田康夫内閣は方針を改め、全面的に日中の戦略的互恵関係を推進した。しかし麻生が福田から政権を受け継いだ後は、過去の方向に風向きが変わった。続いて、鳩山由紀夫が民主党の初めての首相となり、外交においては古い思想を排除し新しいものを打ち立てるという考えに立って、日中韓三国間協力を強く提案、東アジア共同体を確立した。だが、これはアメリカと日本国内の右翼から二重の圧力を受けることになった。菅直人が政権を担当した以降も、もちろん靖国神社に参拝はしないが、小泉時代の自民党外交の古い慣行に戻ったばかりか、日本は戦後初めて尖閣諸島(釣魚島)問題を軍事及び日米同盟に関連付けた。

野田内閣は基本的にこの外交路線を継承し、(1)福田・鳩山路線を退け東アジア共同体と距離を置き、アメリカ主導の環太平洋経済連携協定(TPP)加入に関心を示し、(2)中国を潜在的脅威とみなし、日中戦略的互恵関係を弱体化させ、(3)南中国海紛争に積極的に介入し、フィリピンなど東南アジア諸国連合と連合して中国を抑え込もうとしている。

中国が繰り返し主張しているのは、南中国海問題は関係諸国と対話で解決し、南中国海問題の拡大化、複雑化、多角化には反対するということだ。しかし、今年9月27日、野田首相は来日したフィリピンのアキノ大統領と南中国海問題を重点的に討論し、海洋分野における二国間協力を強化するとした。両国が決定したのは海上演習を拡大することで、日本はフィリピンの沿岸警備隊の通信システムを支援することになった。続いて、野田内閣の玄葉光一郎外相がシンガポール、マレーシア、インドネシア三国を訪問し、南中国海紛争を解決するべく多国間の枠組みの構築を提案した。玄葉は「民主的価値観をもって、安定した秩序を支えるアジア太平洋地域の構築へ第一歩を踏み出した」と語った。これは、麻生元首相の「価値観外交」の焼き直しである。違うところは、領土問題を絡めて考えているところだ。

野田内閣が南中国海問題に介入する目的は、アメリカに呼応、いわゆる海洋航行の自由を守るという口実で、多国家が共同で中国を牽制する戦略構造を作ることである。それは東南アジア諸国連合の一部と中国との南中国海での争いを利用して、日本が東海および尖閣諸島の主権問題で中国より有利な態勢を確立するためだ。東南アジア諸国連合の一部から支持を得ようと計画しており、本年11月に行われる東アジアサミットなど様々な場で南中国海問題を持ち出し、いっそう中国を牽制し孤立させる考えだ。しかし、それらはすべて徒労に終わるだろう、と筆者は考えている。

今年10月16日、野田首相は日本の航空自衛隊の閲兵式で、朝鮮及び中国の動きによって日本の安全環境の「不透明性」が増したと言明した。さらに中国古代の兵法書『司馬法』の「天下雖安、忘戦必危(天下安なれども、戦を忘るれば必ず危し=平時においても有事のことを忘れないで備えること)」を引用して自衛隊に警告した。これは「中国の脅威」を暗示したものだ。私は中国人として、なかでもこの引用した文言には同意しかねる。野田外交のこのようなブレを、中国は重大な関心をもって注目している。中国の『易経』に次のような言葉がある。「君子安而不忘危、存而不忘亡、治而不忘乱、是以身安而国可保也。(君子は安くして危うきを忘れず、存して亡を忘れず、治にして乱を忘れず、ここをもって身安くして国家保つべきなり:君子は安泰な時にも危急の時を忘れず、長らえているときも亡びることを忘れず、よく治まっているときも乱れる道を忘れない)」。世の中を覚醒させる言葉として、中国人が深く心に刻みつけている。