満州事変80周年に鐘とサイレンで警鐘
極めて価値の高い中国侵略史料を初公開

今年の9月18日は「九一八」(満州)事変勃発80周年記念日にあたる。当日午前、東北三省は「国辱を忘れず、中華を振興させる」ために、瀋陽の「九一八歴史博物館」で鐘を突きサイレンを鳴らすセレモニーを行った。

時を同じくして北京、瀋陽、長春などで日本の中国侵略犯罪証拠展が開催された。その中で、きわめて史料的価値の高い文物と資料が初めて公開された。

「国辱を忘れるな」と国民に警鐘

9時16分、中央政府の関係部門、東北三省政府、解放軍、社会各界の代表からなる鐘突き隊が一斉に警鐘の鐘を鳴らした。

9時18分、防空サイレンが四方から鳴り響き、瀋陽の街中を震撼させた。博物館の広場では、1000名以上の各界の人々が静かに起立した。同時に、瀋陽市内の決められた道路では、すべての車が停止し警笛を鳴らした。この瞬間、東北三省すべての市で一斉にサイレンが鳴り響いた。

3分後にサイレンは消えた。勇壮な義勇軍行進曲につれて、五星紅旗が広場にゆっくりと昇り始めた。その後、数千名の瀋陽市民は博物館を参観した。

瀋陽では、1995年からサイレンの音を鳴らす形式で「九一八」事変の記念事業を始め、現在までに17年連続して行っている。2006年からは、遼寧省内の14の市で同時にサイレンを鳴らしている。

 中国侵略の新しい証拠を発見

同日、北京の抗日戦争記念館でオープンした『日本の中国侵略罪証展覧会』には、日本の「公開不許可」の写真を含む初公開の文物と文献が展示された。

侵略戦争発動後、毎日新聞社など当時日本の代表的な新聞は中国各地へ記者を派遣し、侵略軍の中国での戦闘状況を報道し続けた。敗戦に際し日本政府は、日本に不利な資料を焼き捨てるよう指示し、数千万部に及ぶ日本の罪業記録が燃やされた。

しかし、毎日新聞社大阪本社だけは危険を冒して従軍記者の撮影した写真を秘かに保存し、1977年と1999年に「不許可写真」と銘打って出版した。これらの資料は、日本の侵略戦争の罪業を見極める上で極めて重要である。それはまた、侵略戦争を認めない一部の日本人の間違った言動に反駁でき得る資料である。

『TRUTH』と名付けられた証拠写真は、中国共産党地下党員の?天民、劉仲明、華天民などが共同で収集したものである。彼らは、それを装丁して本にし、中国語と英語で表記して、東北に来た国連調査団に送った。

瀋陽「九一八」歴史博物館保管部の関?心主任は、次のように語った。

「今回の展示は『TRUTH』の写真印刷本であり、正本は現在国連のジュネーブ図書館に収められている。2008年に?天民の子孫が四方八方探し回り、ついに、『TRUTH』の原本を見つけ、複写撮影して中国に持ち帰る許可を得た。そして、2010年に?天民の子孫が、この写真印刷本を博物館に寄贈した」。

展示品には、『TRUTH』を包む紺色の布袋、事変勃発後に日本軍が公刊した「安民告示」、出版された『盛京時報』、日本軍の銃撃で死傷した無辜(むこ)の一般人の名簿、日本軍が強奪した財政銀行の写真、などが含まれている。この他、?天民と劉仲明の子孫は、それぞれ当時使っていたオルガンとカメラを博物館に寄贈している。

中国近代史史料学会副会長の王建学教授は次のように語っている。

「『TRUTH』は実証的な価値があり、史料の背景にある物語は人々を感動させずにはおかない。国の滅亡に直面した「9君子」が、死を顧みず身を挺して発揮した愛国精神は、後世の人々にはるか昔を思い出させ、尊敬の念を抱かせる」。

吉林省長春市では「九一八」事変80周年に、日本が「九一八」事変発生の2日目に長春を侵略占拠した7枚の歴史的写真を初公開した。これらの写真はある日本人が個人的に撮影したもので、民間コレクターの王錦思さんが今年5月、東京の骨董市で購入したものである。

このアルバムには全部で30余枚の写真がある。アルバムの中で特に注目されるのは7枚の関東軍が長春を占拠した時の写真である。その中の1枚は、日本の複数の軍人と中国の軍人の遺体の写真である。

長春の偽満州国皇宮博物院の文物保護所の夏暁東主任の鑑定によれば、写真の下部に日本語で「寛城子(長春の当時の名前)戦役後、敵軍の大隊長の死体との記念撮影」と書いてあるという。

他の3枚の写真は、中国人軍人が戦死した悲惨な情景である。下部にそれぞれ「寛城子の敵軍の死体」、「南嶺(現在長春に属す)敵軍の死体」などとキャプションが付けられている。

もう1枚は、日本軍と中国軍の代表が協議する場面で、写真の下部に「寛城子戦役後の皇軍代表と敵軍代表の協議」とある。残りの1枚は日本軍負傷兵を写している。

『長春市志・軍事志』の記述によれば、1931年9月19日5時、関東軍が長春を突然襲撃したとある。当時の中国国民党軍隊は「不抵抗」政策をとっており、その日のうちに長春は陥落した。1932年3月1日、日本がでっちあげた傀儡政権の偽「満州国」は長春を首都と定め、のちに「新京」と改称された。

夏暁東主任は次のように語った。「これらの歴史写真は、発見されてから今回初めて公開されたもので、高い歴史的価値があり、日本の中国侵略の罪業をさらに一歩進んで暴くものである」。

 【ミニ知識】

1931年9月18日22時頃、関東軍は瀋陽の柳条湖付近の南満州鉄道を破壊し、中国軍がやったと濡れ衣を着せ、ただちに北大営を砲撃し東北軍を襲撃、こうして世界を震撼させた「九一八」事変はでっちあげられた。

 

コレクターの王錦思さんは、日本が「九一八」事変発生の翌日に長春を占拠した写真を展示した。撮影:新華社記者 常亦殊