月に住む中国人たち

祖沖之、李白、嫦娥、張鈺哲……これらの中国人は生きた時代こそ違え、今、月の上でご近所となって住んでいる。1961年、初めて月の命名表に祖沖之という中国人の名が現れた。1970年、中国は自国で製作した地球衛星を発射し、宇宙探検の旅を始めた。現在、中国は「嫦娥3号」を発射し、世界で3番目に月に人間を着陸させた国になろうとしているが、月の上ではすでに14人の中国人が静かにその時を待っている。

 

 

中国籍の「月の住人」14人

「14世紀末、万戸という人物が椅子に47本のロケットをくくり付け、自分は椅子に座り、手には2つの大凧を持ち、点火させたロケットの推進力と凧の上昇力を利用して空に上ろうとした。彼の目的地は月だった」。

米国のロケット研究者ハーバート・S・ジムが1945年に出版した『ロケットとジェット』の中にこの話が載っている。世界で初めてロケットの推進力で飛行した先駆者を記念するため、国際天文学連合(IAU)は1970年、月の裏側のクレーターを「ワン・フー・クレーター」と命名した。考証によると、万戸は明朝の役人であったという。

ガリレオが望遠鏡を発明して以来、人びとは月の表面にある地形に名前をつけてきている。1922年、IAUは最初の大会において月の地名の命名ワーキンググループを設置、そのための規範的、標準的管理を開始した。現在までにIAUが許可した月の地名は9112個で、1900以上が地球の実在の人物名で、そのうち14人の中国人の名称、または命名で、クレーター12カ所、渓谷2カ所、衛星衝突跡5カ所の合計19カ所である。

14人の「中国人」はすべてクレーターに「住んで」おり、月の表面には5人、あとの9人は裏側である。14人には、古代の科学者である郭守敬、石申、張衡、祖沖之、卒昇、蔡倫、万戸のほか、近現代の天文学者の高子平、張鈺哲の名もある。同時に神話の人物でもある嫦娥と唐代の詩人李白の名もある。そのほかの男性名ChingTe、女性名であるSungMe、WanYuについては文献資料がなく、その由来については分からない。

月面から世界に示す「中国の名刺」

後漢の科学者である張衡は世界で初めて天球を測定する天球儀を作った人物、石申は戦国時代の天文学者で方位天文学の創始者、張鈺哲は中国人が小惑星に命名した先駆けである。中国伝媒大学公共輿情研究所副所長である何輝教授によると、14の中国籍の「月の住人」は、世界に中国の名前を知ってもらう名刺のようなものだという。

ところで月の住人になるのは簡単なことではない。月の地名の名称はIAUの規定に合致していなければならない。例えば、クレーターには著名な科学者でかつ逝去して3年以上たった人物の名前しか付けられない。また、月の山脈には地球上の山脈名が付けられるのだが、月は全人類の共有財産であるから、研究者であれば誰でも科学研究の必要性に基づいてIAUに対して月の地名の命名を申請する権利を持つ。

例えば、張鈺哲は1928年、シカゴ大学で天文学の修士号を得たばかりのころに新惑星を発見し、「China」と命名し、中国人による惑星命名の先駆者となった。彼の数十年間の「星を追いかける」生涯の中で、彼や彼が率いるチームは多くの天体表にない小惑星と3つの新彗星を発見し、人工衛星軌道問題に対しても独創的な研究を行った。

「これらの中国人は、ずっと中国に対する世界の認識を代表していた。例えば李白は19世紀末、英国のF.H.バルフォアの『遠東漫遊』の中でも中国の最も偉大な詩人と言われている」と何輝教授は言う。「命名されたことは、西洋世界の中国の古今の傑出した科学者の貢献に対する敬意を表している」。

 

命名で科学技術の成果を強くアピール

もちろん、客観的に言えば、月の地理の命名の歴史と沿革は各国の科学技術の発展の歩みと同じではない。1900余りの月の地名の命名はほとんど1970年代に認められたもので、各国の数には大きな差があり、米国が300を超えていて第1位である。申請からみると、それ以前の長い期間での中国名の命名は他国の科学者によってなされたものである。

喜ばしいことに、2010年、中国の科学者は月探査プロジェクトを利用して月面の撮影データによって地名を命名し、初めてIAUの批准を受けた。月面の3つのクレーターにはわが国の著名な科学者である蔡倫、卒昇、張鈺哲の名前が付けられ、わが国の月探査プロジェクトの科学的応用の成果が月の地名命名においてその進展を示したのである。

月探査プロジェクトの応用システム総指揮にある劉暁軍は、月面地理の命名は、ある国家の月面探査とその科学研究で得られた成績を側面から反映するもので、国家の総合力と科学技術レベルを示すものでもあるとしている。

何輝教授は、対外的な普及から見ても、中国の経済科学力は飛躍的であり、近年、中国の各分野における科学技術の迅速な進歩は、すでに多くが世界の最前線にあり、中国人の科学技術に対する自信はこれに伴って強くなっている。中国が対外的に発する科学技術の成果はますます重視されつつある。

同時に何輝教授は、次の段階では、中国の科学技術を中国人の評価を上げるために利用するだけでなく、その他の国家、特に国際的に発言権のない小国の著名な科学者のためにも利用してもいいと提言している。「それが科学的自信であり、大国の風格というものです」。