派手な葬儀の考え方では“死ぬこともできない”

今年の清明節は「北京で暮らして、河北の墓にはいる」という話で持ち切りに。ではなぜそんなことが市民の話題になったのか。それは墓の値段が高すぎるからだ。ならば「公墓(共同墓地・公共墓地)の墓地の価格を下げて、1平米、1万元(約13万円)以下にする」というのはどうだろうか。この価格だと実勢の5分の1から8分の1となり、買い安くなるのだ。

最近はビジネス最優先という墓地もあらわれ価格は高止まり状態にある。そして、ますます「派手な葬儀」になってきている。副葬品(生前に愛用していた品物を遺体に添えて埋葬すること)もしだいに精巧になってきている。紙製の冷蔵庫やテレビなどが、今ではノートパソコンやiphone4sなどに変ってきている。こういった派手な葬儀がつづくかぎり、高騰する墓地価格を抑制することができない。

それだけではない、誰もが墓地として希望するのは、市街地からあまり離れておらず、樹木が茂っていて、さらに谷川の水のせせらぎが聞こえるような場所だ。はたしてそんな好条件の墓地がどれほどあるか。しかも、中国は人口大国、それこそ、市場競争が起こり墓地価格が住宅価格を超えて〝墓地バブル〝になるのではないか。

 この際、「派手な葬儀」をあらため、芝生の下、花壇の中、樹木の下、廊下や壁にスタンド型の遺骨置き、あるいは深い海の底といった埋葬をするようになれば、墓地問題も相当に解消するのではないだろうか。簡素だとか豪華だとかいう体面にもとらわれない墓地選びが求められているのだ。

伝統的な土葬から火葬へ、そして今、さらに古い概念から抜け出すことが求められている。伝統を超えるには時間が必要だ。いずれ、心のあり方が変わり「豪華な葬儀」が古くさい考え方だということになるかもしれない。