刁 旭 上海電力日本株式会社社長
日本と共に歩むウィンウィンの道を作る

それは黒船? それとも赤船? 2013年に上海電力日本株式会社が設立されると、日本のメディアは一斉に「赤船が来た!」と騒いだ。日本人にとって、1853年に日本を開国させようとした黒船の来航は永遠のトラウマなのだ。同時に日本人にとって、中国からやってきた上海電力日本株式会社は「赤船」なのである。刁旭社長は、「黒船」と「赤船」とは大きな違いがあるとする。昔、黒船は軍事力で日本を開国させ、のちの不平等条約に結びついたが、赤船はグローバル経済の成長理念であり、友好、提携、ウィンウィンを追求するものだと刁旭社長は話す。3年間で上海電力日本株式会社は日本で嘱目される結果を残した。今回、刁旭社長はどのような新しい見解を示してくれるのだろうか。

経済のニューノーマルによる産物

—— 2013年、中国政府は経済の分野でニューノーマル(新状態)という新しい概念を打ち出しました。それ以降、中国はずっとニューノーマルを研究し、実践しており、実際に中日経済交流も一種のニューノーマルに突入したと言えるでしょう。御社も同じ2013年に設立されました。中日経済交流のニューノーマルについてどのようにお考えでしょうか。

刁旭 中国の経済はニューノーマルに入りましたが、その主な特徴の一つは企業の構造改革、もう一つの特徴は企業の海外進出です。国家電力投資集団は政府の呼びかけに応え、国家の方針に従わなければなりませんから、海外での発展は必然的な方向です。日本に進出した当時は2011年の東日本大震災により原子力発電所事故が発生、大量の放射性物質の漏えい後まもなくでしたから、新エネルギーに対する切迫したニーズがありました。当社はそんな中、国家発展改革委員会、国有資産監督管理委員会の強力な支持を得て、日本に進出しました。ですから、上海電力日本株式会社は経済のニューノーマルの産物であるともいえます。

中日環境保護は双方向の協力段階に

—— 御社は日本に進出してから、日本で主にクリーンエネルギー発電事業への投資、開発、経営事業に従事されています。このようなクリーンエネルギーの開発は2011年以降日本での重要性がますます増しています。同時に、中国国内においてもクリーンエネルギーの開発が進んでいます。中日両国は将来、環境保護の分野、特にクリーンエネルギー開発の分野でどのような協力ができるとお考えでしょうか。

刁旭 実は、中日両国はクリーンエネルギーや環境保護分野ですでに20年近い協力の経験があり、2年ごとに「中日省エネルギー・環境総合フォーラム」が開催されています。以前の数回のフォーラムでは基本的にいかに中国企業が日本企業に学ぶか、日本の先進的経験を取り入れるか、日本の先進技術によって中国企業の構造改革を進めるか、そして中国企業の環境保護分野のレベルを上げ、世界の先進レベルに到達するかというものでした。しかし、この1、2年変化が現れています。特に2016年のフォーラムでは、日本企業の中国企業への貢献にとどまらず、中国企業の日本企業への貢献も出現したのです。中国で発明された新しい技術、新しい工芸や新しい方法が日本企業に高く評価され、日本企業も中国から技術を導入し始めたのです。こういった変化は非常に重要で、中国が日本に学ぶという一方通行ではなく、双方向の動きに変わったのです。これは互恵、相互補完であり、「一帯一路」戦略を検討する際によく言われている交換であり、相互利用でもあります。

日本の「一帯一路」参加を歓迎

—— 今おっしゃった「一帯一路」、相互利用ですが、中国政府は5月に「一帯一路国際協力フォーラム」を開催し、日本からは自民党の二階俊博幹事長を団長とする訪中団が参加しました。二階氏は講演の中で日本の態度を明らかにしましたし、最近、安倍晋三総理も中国が主導する「一帯一路」建設に参加することを表明しました。中日両国の「一帯一路」分野での協力はどのようなやり方があるとお考えでしょうか。

刁旭 中国政府が開催した「一帯一路国際協力フォーラム」は注目を集めました。グローバル化進展のために新しい方法を提供したからです。日本企業は実質的にかなり以前から「一帯一路」の経済体系に参加することを希望していたようです。当時、日本政府は政治的な配慮から、企業の参加を支持していませんでしたし、政府も成り行きを見るという態度でした。アメリカがTPPから抜けた後、情勢は変わり、日本はグローバル化の問題にどのように対応するかを考える必要が出てきました。今回、二階俊博先生が北京でフォーラムに出席し、安倍総理もG20で「一帯一路」は世界に新しい成長のチャンスをもたらすものであり、日本企業も参入することを希望すると明らかにしました。今後は日本企業も「一帯一路」建設に参入してきますが、それはもう単なる企業行為ではなく、国家によって支持された企業行為となります。

昨年、私は日本国際貿易促進会の訪中団とともに重慶を訪問しましたが、三菱、日立、三井、日新、全日空などの各業界トップ企業も含まれていました。重慶は「一帯一路」の中国西部の中心他です。ここは中国からドイツへの物流ルートである渝新欧鉄道の起点です。日本企業が重慶に来れば、この鉄道によってヨーロッパへの物流ルートができるのです。三井物産と日揮はすでに提携して重慶に拠点を設け、開発区を結成し、率先して「一帯一路」に参入していこうとしているようです。日本企業は渝新欧鉄道を利用し、さらに重慶・日本間の空輸あるいは河川と海洋の水上輸送と連結することで、従来の海運路線に比べ輸送時間が半分に短縮できますし、空輸に比べて費用は半分になります。私は日本の「一帯一路」参入に大変期待しています。

「赤船」はウィンウィンを追求する

—— 御社が日本で設立されたばかりのころ、日本では「赤船」なのか、それとも「黒船」なのか、さまざまに取りざたされました。現在、御社は顕著な業績を上げていますが、日本社会の見方は変化したと思われますか。

刁旭 当社は2013年9月に会社登記し、2014年1月に正式開業しました。そして、5カ月という短期間で大阪に初のメガソーラー発電所を建設しました。この発電所は中国電力業界のG7先進国への進出の幕開けであり、はじめての生産品でもあります。また、この大阪発電所は中国電力業界が西側先進国に投資して、開発した初の発電所であり、はじめての発電、はじめての収益はここから始まったともいえます。

現在、当社は3年余の活動を経て、新しい発電所をつくり発電を続けており、それぞれのプロジェクトの建設によって日本社会にクリーン再生エネルギーを提供しています。また現地政府に多くの税金と雇用を創出しています。このほか、当社は発電所建設のプロセスで住民の利益を重視しており、兵庫三田発電所では住民との良好な関係を構築するため、現地の環境美化に取り組み、発電所と住宅地との間に植樹をしました。住民からは「緑の壁」と呼ばれており、当社を認めてくれています。

最近、当社はつくば市の35メガワットの農業ソーラーシェアリングに投資しました。これは現在日本最大の農業ソーラーシェアリングで、2017年4月1日に正式に発電を開始しました。プロジェクト用地は178戸の農家から提供された農地です。農地の上に太陽光パネルを設置し、その下では農業をおこなうという、日本初の大規模な試みです。

過去、178戸の農家は赤字経営でしたが、当社が進出し農地を借り上げことで彼らに資金を提供することができました。彼らは当社のソーラー発電所を利用し、朝鮮人参、セイヨウニンジン、パクチーなど日陰を好む市場価値の高い作物を栽培しています。

現在、彼らの農作物による収益は以前の10倍以上になっています。ですから、つくば案件に土地を提供している農家が当社に感謝してくれています。彼らが長年解決できなかった農業問題に対し、地方自治体も彼らの農業の構造改革に対するサポートをしていませんでしたが、当社が進出して以降、解決のチャンスを見出し、成功することができました。このプロジェクトは178戸の農家だけでなく、つくば市、つくば市議会からも大きな称賛をいただきました。

当社は現在、プロジェクト一つ一つについて、現地の住民、現地の自治体と良好なウィンウィンの関係を築いています。これも地道に中日民間の相互理解と友好を促進しています。数日前、当社は静岡県牧之原市市役所を訪ねましたが、彼らは当社の風力発電について聞くと提携を希望し、一緒に当地の産業の発展について討論しました。

当社はまたソーラー発電所を福島の山間部に建設しています。現地の自治体は当社を歓迎してくださいましたが、村の道路の補修を援助するよう頼まれました。その道路は長年補修をしておらず、洪水によって寸断されていました。当社が発電所を建設する際、現場への車はそこを通過しますので、その道路を修繕することによって、現地の村民がその道路上を通行でき、生活していければウィンウィンとなります。ですから、当社はためらわず承諾しました。市役所の方々は大変喜んでくれました。

3年余にわたる努力の結果、当社のプロジェクトはすべて良い結果を得ました。日本社会に、だんだんと中国の「赤船」を体感していただけたのではないでしょうか。


撮影/本誌記者 呉暁楽

留学経験は貴重な支え

—— 社長は日本に留学され、働いた経験があるとお聞きしています。中国に帰国して仕事をし、現在はまた国営企業の日本支社のトップとして日本で仕事をされていて、まるで中日両国を往来する海鳥のようですね。このような経歴は日本企業と付き合うことに有利なのではないかと思いますが。

刁旭 たしかに私は1980年代末に日本に留学しました。その頃の中国と日本は技術レベルだけでなく、経済においても、また生活レベルにおいても、30年以上の差がありました。50年以上の差があったかもしれません。ですから、当時日本に留学するということには、日本の先進技術と先進的な経験を学んで祖国に持ち帰って祖国に恩返しするという考えがあったんです。

長年私はずっとこの気持ちで仕事をしていました。私は日本で多くの先進技術と経験を学び、有名な大手企業にも勤め、日本企業の精神と文化も体験しました。帰国して働いている間、私は中国企業の実際の状況に、自分が学んだものを結び付けようと頑張りました。

国家電力投資上海電力が私を日本に派遣したのは、私が日本社会、企業や文化をわかっているからでしょう。私は一人の中国人として、もちろん中国文化、中国企業をよく知っています。ですから、私はいつも中国の特色を持ちながら、日本社会に受け入れられるモデルをどのように用いるべきか考えていますし、あるいはこの方法で企業を経営し、われわれ中国企業が日本で新しい局面を切り開き、根を生やし成長していくことを考えています。そのように、私が中国企業を日本で成長させるべくかじ取りをしていることに対して、日本留学と勤務の経験は貴重な支えとなっています。

今お話したように、当社の初のプロジェクトは大阪南港に建設したものであり、「赤船」はここから出航しました。3年間の営業を経て、大阪プロジェクトは今年、中国国家投資協会により2016-2017年度の国家優秀投資プロジェクトに選ばれました。この受賞は海外の投資プロジェクトにとってはかなり難しいことなのです。このプロジェクトは、今まで日本で中国企業が様々投資した案件の中で、唯一最初に受賞した案件です。6月24日、私は会社を代表して北京の釣魚台国賓館に赴き、表彰式に出席いたしました。

取材後記

今まで何度も刁旭社長に取材しているが、取材のたびにいくら話しても話し足りない気持ちになる。私は上海電力日本株式会社の成長プロセスの目撃者といえる。その中で最も感銘を受けたのは、台頭した中国は日本と手を携えてウィンウィンの道を歩むことができるということだった。