福武 總一郎 公益財団法人福武財団理事長ベネッセホールディングス名誉顧問に聞く
「瀬戸内国際芸術祭」誕生秘話

先頃、公益財団法人福武財団の招きを受け、「瀬戸内国際芸術祭2016」を取材するため、瀬戸内海の5つの島を訪ねた。福武財団もパートナー企業の一つである「瀬戸内国際芸術祭」は2010年に始まり、3年に一度開催されている。国内外から著名な芸術家を招き、彼らは瀬戸内の島々を舞台に作品を創造し、芸術的雰囲気を生み出し、現地の風景に息を吹き込んでいく。そこには世界中から観光客が訪れ、島民と観光客の交流が促進され、島の経済も活性化されている。「瀬戸内国際芸術祭」の前例のない壮大な規模とハイレベルな作品は、国際社会に広く認知され、現代芸術の力で地域の活性化を推進するという日本のシンボル的プロジェクトとなっている。

なぜ一つの財団が瀬戸内海の地域振興に力を入れるのか。なぜ現代芸術という手段を選んだのか。これらの疑問を抱きつつ、東京の帝国ホテルに公益財団法人福武財団理事長で、ベネッセホールディングス名誉顧問の福武總一郎氏を訪ねた。

 
撮影/本誌記者 張桐

“ゴミの島”を“芸術の島”に

—— 瀬戸内海の島々には日本の伝統的な風俗・文化をたたえた美しい景観が残っています。ところが、高齢化によって人口は年々減少しています。瀬戸内海の島々の活性化に取り組み始めたのはいつからですか。

福武 私は瀬戸内海を“希望の海”にしたいと思いました。直島の開発を始めたのは30年ほど前です。当時の直島は製錬所の亜硫酸ガスの影響で禿山でした。隣りの豊島、犬島も産業廃棄物と亜硫酸ガスで汚染され“ゴミの島”と呼ばれていました。若者も職を求めてどんどん都会に出て行きました。

しかし、この島は富士山より先に国立公園に指定された大変美しい場所なんですね。それが、工業汚染のために“ゴミの島”と呼ばれている。

どうにかしなければならないという気持ちで、30年ほど前に、直島の南部地域を買ってこの事業を始めたんです。その後、著名な建築家である安藤忠雄氏らを招いて創作活動を行いまして「Benesse House Museum」、「地中美術館」、「ANDO MUSEUM」等が誕生しました。現在、直島は“アートの聖地”と称され、青い空と青い海の間で自然と芸術が一体となり、現代と伝統が共存し、観光で訪れるべき世界の七大文化名勝地の一つにも選ばれました。

 
豊島美術館   写真/森川昇
Teshima Art Museum     Photo/Noboru Morikawa

現代人に新たなライフスタイルを提起

—— 福武財団の努力もあり、「瀬戸内国際芸術祭2016」には世界中から100万人以上の観光客が訪れています。観光事業と現代芸術を通して、直島の島民と観光客にどのような変化を望んでいますか。

福武 日本には1億3千万人弱の人口がいますが、東京周辺が3千万人ぐらいで、残り1億人近くは地方です。地方にこそ、国の本当の歴史というものが残っています。都会はどんどん新しいものをつくっては壊してしまい、経済が中心で、文化というものが忘れ去られていると思います。直島周辺の開発を通して、現代社会が抱えている多くの問題に気づきました。物とかお金とか情報にあまりに目が行き過ぎて、その土地の持っている自然や歴史や文化が忘れられています。

私は、もっと地方の生活や島の生活の素晴らしさを分かってもらいたいという気持ちで、このプロジェクトをやっています。経済はもちろん大事ですが、文化はそれ以上に重視されるべきです。そういう気持ちで、地方に残っている文化を、この活動でもっと残していければと思っています。

地方の高齢化が進むのは、その地域に魅力がないために若い人が出ていくからです。私は現代美術で地域のお年寄りを元気にする方法を見つけました。これを「直島メソッド」と呼んでいます。直島メソッドは豊島、犬島はじめ12の島に広がっています。

都会から島に観光に訪れて島民と交流した人たちは、島に移住したいと考えるようになります。だんだん移住者が増えて、男木島では廃校を迫られていた小学校が再開したりするなど、本当に珍しい現象が起こっているのです。

都会は貧富の格差が大きいですが、瀬戸内海の島々は水産物も豊富で、豊島には田んぼもある。だから自給自足もできるわけです。さらに、インターネットが発展していますから、移住してきた人たちは新しい仕事もやっていけます。瀬戸内海の島々は現代人に新たなライフスタイルを提起したのです。

 
地中美術館   写真/藤塚光政
Chichu Art Museum   Photo/FUJITSUKA Mitsumasa

中国の地方文化の活性化に貢献したい

—— 一つの財団が一つの県や一地域を活性化させるというのは偉大な企業理念です。それはお父様の夢だったとお聞きしています。具体的に教えていただけますか。

福武 父の福武哲彦は教師でもあり、直島に子どもたちのキャンプ場をつくる計画をしていましたが、道半ばで亡くなりました。その後、私が岡山の本社に戻り計画を実行しました。

島の人たちを見ていると、本当に幸せそうなんです。お金も情報もそんなにあるわけじゃない。都会の人は毎日満員電車で通勤してあくせく働いている。ところが、ここの人たちは本当に幸せそうだ。この島に素晴らしい天国をつくりたいと思ったのです。それにはどうしたらよいかと考えて、現代美術で島を活性化しようと思いつきました。これは世界にも類のないことです。

つい最近ハワイに行きまして、公益事業に熱心な多くの中国人企業家の皆さんにお会いしました。中国の地方の活性化に貢献したいという思いを感じまして、直島の話をしましたら大変感動されていました。これから中国でも多くの企業家の皆さんが地方の地域振興に関心を寄せるようになるでしょう。直島の活動が少しでもお役に立てればと思っています。

直島プロジェクトは、著名な建築家である安藤忠雄先生とやってきました。安藤先生は中国でも人気のある建築家です。安藤先生とご一緒に、中国の地方文化の活性化のお役に立てればと思っています。

 
犬島精錬所美術館   写真/阿野太一
Inujima Seirensho Art Museum     Photo/Daici Ano

地域の食や文化を発信

—— 今年の「瀬戸内国際芸術祭2016」には、現地の食文化も取り入れていらっしゃいますね。これは理事長のアイデアですか。

福武 瀬戸内国際芸術祭はもともと現代美術が中心でした。今年で3回目ですが、もっと地方の魅力も見てもらおうということになりました。地方には地域独自の食文化があり、それも魅力の一つです。食は旅行者の大きな楽しみにもなっていますので、島のおじいちゃん、おばあちゃんに声をかけて、東京など都会からシェフの方を呼んで、一緒に島の料理を提供することになりました。

我々の大きな目標の一つに地域文化の発信があります。現代美術を観に来た旅行者に地域文化にも触れていただく。例えば、香川県は盆栽が有名です。さらには獅子舞もあります。中国でいうドラゴンダンスのようなものですかね。 香川県は日本で一番面積の狭い県ですが、千近い集落があり、集落ごとに独自の獅子舞があります。

中国には数千年の歴史があります。中国でも、現代美術を核として地方を活性化させ、あわせて地方の歴史、文化、食を発掘すれば、新たな魅力になると思います。中国の雲南に行きましたが、そこには少数民族の伝統的な生活や文化が残っていました。機会があればまた行きたいと思います。

 

 

島の生活には都会にはない充実が

—— 社名の「ベネッセ」は、ラテン語で「よく生きる」という意味の造語だそうですが、この社名にされたのはなぜですか。

福武 私個人は本当によく生きさせてもらっていると思います。事業もさせていただきましたし、財団もつくって島の開発をさせていただいたり、ヘリコプターやクルーザーの操縦もでき、色んな趣味もあります。人生を楽しんでいます。

それは、都会ではなくてずっと田舎に住んでいたために時間があったからです。都会にいますと、何が幸せかということを真剣に考える場所も時間もあまりないんですね。毎日競争や新しいものに追われて。

私は都会に暮らす現代の人々が、瀬戸内海の島で数日過ごして、本当の幸せとは何かを考えたり、自分や家族の将来のことを家族で話し合う時間があればと思いました。皆、そういう時間や空間を必要としています。島のおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔を見れば、幸福に対する考え方が違ってくると思います。

 

 

“経済は文化の僕”

—— 「瀬戸内国際芸術祭2016」では、三島由紀夫をモチーフにした作品もあり、非常にインパクトがありました。三島由紀夫の文学は右翼思想の産物と言われていますが、どうお考えですか。

福武 私自身は三島がそんなに好きというわけではありませんが、三島由紀夫がどうしてああいう死に方をしたんだろうということには大変興味を持ちました。三島が亡くなったのは、大阪万博があった1970年でした。私は日本のある種の転換期が1970年ではないかと思っています。

日本人はもっと日本の伝統文化の素晴らしさを知るべきだと思います。どんどん西洋化して、日本の伝統文化が壊されている。そういうことに対して三島は警鐘を鳴らしたのだと思うんですね。ところが、文化人、有識者と言われる人も含めてほとんどの日本人がそれに気づかなかった。それで、経済中心の国になってしまった。経済ももちろん大事だけれども、私は、経済は文化の僕だと言っているのです。

中国には豊かな文化の蓄積があります。中国であれ日本であれ、現在残っている文化というものは、近代化の前につくられたものばかりです。中国でも日本でも、近代化して経済が発展を始めた時代から、後世に残るような文化はつくられていません。文化こそ、その国や民族のアイデンティティです。

そして、文化は大衆が理解できる文化でなければなりません。奈良や京都の文化は貴族や僧侶がつくった文化です。瀬戸内海の直島、豊島、犬島の文化こそが真の大衆文化であり、島のおじいちゃん、おばあちゃんが主役の文化です。

私の目線は常に「大衆」です。このプロジェクトは、今まで注目されていなかった地域やそこに住む人たちにスポットを当てています。それをアートでやっています。アートには文学や哲学のような主義主張はありません。人によって表現が異なり、感じ方も人それぞれなのです。