「自然治癒療法」を確立し、上級鍼灸師、上級中医特色調理師として国内外に名を馳せる朱元塵は、難治疾患の治療を得意とし、特に整骨と鍼灸技術には定評がある。
漢方薬を生業とする家に生まれた朱元塵は、幼い頃から祖母に付き添って薬草採りをし、次第に漢方薬の魅力にとりつかれていった。この幼少期の記憶は、彼が中医薬学に従事する上での大きな精神的基盤となっている。
朱元塵は10代の頃、上海中医薬大学出身の名医・王紀忠から伝統的中医薬学理論を学んだ。1997年に北京中医学院を優秀な成績で卒業した彼は、高名な李子善医師に師事した。
2008年、朱元塵は「べん石療法」(針・灸・薬とともに親しまれてきた中国の伝統的四代医術の一つである石を用いた医療技術)を見出し、中医薬学における外治法を簡便にした。べん石療法には、気を静める、血行促進、気の流れを良くする、寒さの邪気を追い出す、解熱、むくみの解消、解毒等の効能がある。さらに、2009年には「自然治癒療法」を確立した。この療法は、梳(ほぐす)、理(整える)、排(流す)を正しく施すことによって経脈の流れを良くし、熱を下げ、気滞を解消し、多くの疾患の苦痛を取り除く。
朱元塵の説明によると、「自然治癒療法」の根本原理は西洋医学理論における「自己免疫力」に相当するのだという。また、中医薬学による治療の目的は、疾病を取り除くことではなく、疾病との互助共存点を探りバランスを追求して「陰平陽秘」を達成し、寿命を延ばすことなのだという。患者から支持されてきた「自然治癒療法」は、この原理に基づいて生み出されたものである。
朱元塵は、左脳の三叉神経の血栓によって、右半身が不随になり言語障害を患う老人に対し、反射区療法で塞栓部を拡げ、漢方薬で血栓を取り除き、一連の治療を施した。結果、患者は身の回りのことができるまで回復し、これまで再発は見られない。朱元塵はさらに、重度のうつ病に苦しむ44歳の男性を治療するため、新疆に赴いたこともある。この患者は自殺願望が強く、薬の効果は望めない状態にあった。
2016年8月、来日した朱元塵は、横浜に住む高齢の脳卒中患者に、鍼灸、按摩、カッピング療法を施して体内循環を整え、数度の治療を経て、一部運動機能が回復し、水を飲む際にむせる症状も軽減した。
低侵襲医療に携わるある日本人医師は、耐え難いかゆみと繰り返す発疹にずっと悩まされ、治療の効果はなかった。朱元塵が点穴療法、胸椎ほぐし、鍼灸等などの施術を行ったところ、首や背中一面を覆っていた赤い発疹はほぼ消えた。低侵襲医療の分野で豊富な実績を残してきた彼は、この驚くべき結果を目の当たりにして、中医薬学に対する認識を一変させた。
日本滞在中、朱元塵は日本の医療界のベテラン医師たちと、中医薬学における遠隔医療制御システムの応用について意見を交換した。そこで実業家の清水氏と出会った。清水氏は長時間のデスクワークによる下肢のむくみに悩まされていた。朱元塵は整骨術と鍼灸術によって、その悩みを解決したのである。
朱元塵によると、中医薬学理論では、背中は全身の陽の気を司っており、背中の中央の督脈は陽の気の通り道であるという。彼は長年の実践を通して、腰椎椎間板ヘルニアや足の長短差を改善するための、一連の実効性ある整骨術を生み出した。
現在、朱元塵は、北京、上海、新疆にも施術院を開設している。日本で施術を行うと、彼の名前と「自然治癒療法」は瞬く間に評判となり、症状を抱えた日本人の中には、朱元塵を頼り中国の施術院を訪れる者もいる。
足腰に痛みを抱えたある日本の老婦人は、常に両脚のむくみ、手足の冷え、背中の冷えを感じていた。階段を上るのにも苦労し、立つと左右の足の長さに1センチのズレがあった。胸椎10~12番に痛みを感じ、3~5番の左側にはしこりがあった。
初診の後、朱元塵は老婦人の両足の長短の問題を解決するために、骨盤矯正を行い、水道(ツボ)に鍼灸の施術を行うとともに、整骨術を施した。その後、老婦人の症状は大きく改善し、歩行は楽になり、階段の上り下りも苦にならなくなった。
中医薬学は世界196カ国・地域に広がり、国内外で中医薬学に関心を寄せる人が増えている。朱元塵は、日本で中医薬学による伝統的施術を行い、目覚ましい成果を上げ、中医薬学の文化を世界に広めた。
具体的な実績は一つや二つではない。家学によって堅固な基礎を築き、名医の下で知識体系を強固にし、三十年以上にわたって貴重な診療経験を積んだ宋元塵は、革新的・効率的な治療法を絶えず生み出している。中華民間特效医術研究会会員として、常に全力で患者の苦しみに寄り添い、彼らがより高い生活の質を享受できるよう心を尽くす。患者に真摯に向き合うことが、彼のキャリアを大きく輝かせるに違いない!
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